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第十六話 そろそろイベントが欲しくない? ところで、千夏に小説を渡すのはいつ?

第十六話 そろそろイベントが欲しくない? ところで、千夏に小説を渡すのはいつ?


朝。


涼太の部屋の壁が、突然、扉のように開いた。


そこから作者が姿を現した。


どうやら今日はずいぶん機嫌がいいらしく、聞いたこともない曲を鼻歌で歌っている。


制服に着替えている涼太を見つけると、嬉しそうに声を張り上げた。


『おはよう! 涼太!』


『今日は重大イベントがあるんだぞ!』


「……ん?」


涼太はあくびをしながら、のんびりと制服に袖を通した。


「重大イベントって、何?」


そう言って洗面所へ向かう。


作者もその後をついていった。


『ふっふっふ!』


涼太が洗顔料を取ろうと手を伸ばすと、作者が先回りしてそれを手渡した。


『もちろん、文化祭だよ!』


「……文化祭?」


涼太は顔を洗いながら、不思議そうに聞き返した。


「でも、先生からそんな話、聞いてないけど」


『……』


作者の笑顔が一瞬だけ固まった。


しかし、すぐに自信満々の表情に戻る。


『いやいや、ちゃんとお知らせはあったよ!』


『涼太が忘れてるだけだって!』


「そうだっけ?」


『信じられないならスマホを見てみなよ!』


作者はどこからともなく涼太のスマホを取り出した。


素早く画面を操作すると、そのまま涼太の目の前に差し出す。


『ほらほら!』


涼太は顔の水を拭き、スマホを受け取った。


画面には、クラスのグループチャットに届いた文化祭のお知らせが表示されていた。


「……おかしいな」


「こんなの、全然覚えてないんだけど」


作者は隣で得意げに笑っていた。


――そりゃ覚えてないよね!


――だって、たった今思いついた展開なんだから!


――毎日毎日、僕たち二人で言い争ってるわけにもいかないし!


――それに、僕だって文化祭を書いてみたいんだよ!


『きっと忘れちゃったんだよ~』


「そうなのかな……」


涼太はスマホを作者に返した。


そして、ふと思い出したように尋ねる。


「で、文化祭って何するの?」


『……』


作者の動きが止まった。


「ん?」


『……』


「おーい?」


作者は黙ってうつむいた。


そして、スマホの画面を操作し始める。


『……知らない』


「は?」


『今、調べてるところ』


「……」


涼太は数秒間、作者をじっと見つめた。


それから洗面所を出ると、思わず文句を言った。


「文化祭で何をするかも知らないのに、よくそんな展開を入れようと思ったな!?」


『まあまあ! 展開に身を任せようよ!』


『あっ、待って! 見つけた!』


作者は嬉しそうにスマホを掲げた。


『まず第一段階! ホームルームで話し合う!』


「うん」


『第二段階! 役割分担!』


「うん」


『第三段階! 放課後に準備!』


「……うん?」


『第四段階! 文化祭当日!』


「おお」


『第五段階! 片付け!』


「……」


『……』


作者の指が止まった。


スマホの画面を見つめたまま、その笑顔が少しずつ消えていく。


「どうした?」


『……ちょっと待って』


「ん?」


『この文化祭って……』


『もしかして、準備に何週間もかかるの?』


「当たり前だろ?」


『……』


作者はゆっくりと顔を上げた。


『今日一日で全部終わらせるつもりだったんだけど』


「バカなのか!?」


『うぅ……』


作者はスマホを見下ろした。


それから涼太を見て、今度は天井を見上げる。


何やら考え込んでいるようだった。


『……』


「おい、今度は何を考えてるんだ?」


『何でもない』


『ただ、すごく大事なことを考えてるんだ』


「何だよ?」


『……』


作者は突然、拳を握りしめた。


『よし! 決めた!』


「……は?」


『文化祭が一日で終わらないなら!』


『今日から準備を始めればいいんだよ!』


「……何?」


『今日、学校でみんなに文化祭の話し合いをしてもらおう!』


涼太は一瞬、ぽかんとした。


そして眉をひそめる。


「ちょっと待て! 勝手に決めるなよ!」


『大丈夫、大丈夫!』


作者は涼太の肩をぽんぽんと叩いた。


『こういうのは先生に発表してもらえばいいんだよ!』


「さっきまで文化祭で何をするかも知らなかったくせに!?」


『今は知ってるもん!』


「五つの手順を調べただけだろ!?」


『五つだって立派な手順だよ!』


「そういう問題じゃない!!」


作者は自信満々の表情を浮かべた。


『とにかく!』


『今日の目標は、文化祭の準備を正式にスタートさせること!』


「……」


涼太は目の前の男を見つめた。


そして、深いため息をつく。


「……なんか、嫌な予感がしてきた」


『安心してよ~』


『今回は絶対に面白くなるから!』


「お前、毎回そう言うだろ!!」


『もう! 細かいことはいいから! そろそろ出発しよう!』


『場面転換!』


作者が指を鳴らした。


パチン!


次の瞬間、涼太の周囲に巨大な幕が二枚現れた。


まるで舞台の幕が下りるかのように、左右からゆっくりと閉じていく。


「おい! ちょっと待て! まだ俺は――」


シャッ!


幕が完全に閉じた。


ところが、数秒後。


閉じた幕の隙間から、一本の腕がにゅっと伸びてきた。


その手には、清書を終えた一冊の小説と、小さな紙切れが握られていた。


『あっ! 危ない危ない! これを忘れるところだった!』


『読者の皆さん! ご安心ください!』


『涼太はちゃんと家族に挨拶してきたし、小春の登校にも付き添ったからね!』


『作者である僕は、ちゃんと家族のことも覚えてるんだよ!』


そう言って、その手は小説と紙切れを涼太に渡した。


「……これが、千夏さんに渡すって約束してた小説?」


『その通り!』


涼太は手元の原稿をぱらぱらとめくった。


「本当に書き終わってたんだ……」


『何その疑わしそうな言い方!?』


「いや、別に」


涼太は小説と紙切れを鞄にしまった。


「機会があったら、千夏さんに渡そう」


『うんうん!』


作者は満足そうにうなずいた。


そして、その腕も幕の向こうへ引っ込んでいった。


しばらくして。


シャッ!


幕が再び開いた。


そこは、学校の正門前だった。


そして涼太と作者は、何やら激しく言い争っている真っ最中だった。


『ねえ、涼太』


『やっぱりさ、誰かと一緒に登校する展開を入れたほうがいいと思わない?』


『それに、ここには桜の木もあったほうがいいよね!』


『桜の花びらが舞う校門で、主人公とヒロインが一緒に登校する!』


『そういうのって、すごく絵になるじゃない?』


「バカなのか!?」


涼太は容赦なくツッコんだ。


「今、十月だぞ!? どこに桜が咲いてるんだよ!?」


『……えっ?』


「えっ、じゃない!」


「まあ……誰かと一緒に登校するっていうのは、悪くないけどさ」


『おお~!』


作者の目が輝いた。


『涼太もそう思うんだね!』


『じゃあ、今誰が一番近くにいるか調べてみよう!』


そう言うと、作者はどこからともなくタブレットのような機械を取り出した。


画面が光る。


そこには、明日奈、千夏、そして蓮の現在地が表示されていた。


「……」


涼太は画面を見つめた。


それから作者を見る。


「……お前、ちょっと変態っぽいぞ」


『はあ!?』


「みんなに位置情報の発信機でもつけてるのか?」


『違うってば!』


作者は慌てて否定した。


『僕だって、一日中みんながどこにいるか見張ってるわけじゃないんだよ!』


『それに、この機械だって……一回きりの道具になるかもしれないし!』


「……かもしれない?」


『そう!』


作者は得意げにタブレットを掲げた。


『だって、読者の皆さんがこの機械を気に入ってくれるかどうか、まだ分からないでしょ?』


『面白いって思ってもらえたら、また登場するかもしれないし!』


『でも、もし読者の皆さんに不評だったら……』


作者はタブレットの両端をつかみ、折り曲げるような仕草をした。


『こうやって、ポキッと――』


パキッ!


「……」


『……』


タブレットが真ん中から真っ二つに折れた。


作者は両手に残った破片を見下ろした。


それから涼太を見た。


そして、ゆっくりと顔を上げる。


『……あの』


「……ん?」


『本当に折れちゃった』


「……え?」


涼太は作者の手元を見た。


「そうだな……」


「修理できるんじゃないか?」


『……』


作者は真っ二つになったタブレットを見つめた。


数秒後。


『ああああああああ!!』


頭を抱えて絶叫した。


『これだってお金を出して買ったのにいいいい!!』


「何で本当に折っちゃうんだよ!?」


『ちょっと実演するつもりだっただけなのに!!』


「だったら力加減くらい考えろよ!!」


作者がまだタブレットのことで嘆いているときだった。


校門の向こうから、ひときわ背の高い人影がゆっくりと歩いてきた。


「……おはよう、涼太」


「おっ、凪じゃん! おはよう!」


凪は小さくうなずいた。


「うん」


二人の間に、短い沈黙が流れた。


そのとき、涼太はふと気づいた。


さっきまで騒がしかった隣が、妙に静かになっている。


「……ん?」


振り返る。


すると、そこにいたはずの灰色のコートを着た、筋骨隆々のスキンヘッドの男が、いつの間にか消えていた。


代わりにいたのは、小さくて半透明の奇妙な生き物だった。


丸っこい体が、スライムのようにぷるぷると揺れている。


よく見ると、その表面には作者の顔までついていた。


『……僕のタブレット』


『うぅ……』


「……」


涼太は足元の奇妙な生き物を見下ろした。


それから凪を見る。


凪は静かに隣に立っていた。


涼太はかがむと、スライムになった作者をひょいっとつかみ上げた。


『ぐえっ!?』


そして、そのまま制服の胸ポケットへ押し込んだ。


『ちょ、ちょっと!』


『僕、まだ悲しんでるんだけど!』


「だったら中でゆっくり悲しんでろよ」


涼太は小声で答えた。


『ひどい……』


ポケットの中から、かすかな抗議の声が聞こえた。


凪は涼太を見下ろした。


「……行く?」


「あっ、うん! 行こう!」


「うん」


凪は向きを変え、校舎へ歩き始めた。


涼太もその隣に並ぶ。


二人は並んで校内を歩いていった。


あまりにも身長差があるため、涼太はときどき少し顔を上げないと、凪の表情が見えなかった。


けれど凪は特に気にする様子もなく、涼太の歩幅に合わせてゆっくりと歩いている。


『……うぅ』


胸ポケットがまた少し動いた。


『僕のお金……』


「……」


涼太は指先でポケットを軽く押さえた。


「静かにしてろって……」


凪が少しだけ顔を傾ける。


「……?」


「あっ、何でもない!」


「……うん」


凪はそれ以上何も聞かなかった。


二人はそのまま校舎に入り、廊下を通って教室へ戻った。


⸻


「おはよう、涼太!」


教室に入るなり、聞き慣れた声が飛んできた。


蓮が自分の席に座ったまま、涼太に手を振っている。


「おはよう、蓮」


「おっ、凪も一緒か」


「……おはよう」


凪は軽くうなずき、そのまま自分の席へ向かった。


涼太も鞄を机の上に置く。


「涼太くん、おはよう!」


「あっ! 明日奈さん、おはよう!」


明日奈は何人かのクラスメイトと話していたが、涼太に気づくと自然に声をかけてきた。


「今日は元気そうだね」


「そうかな? むしろちょっと疲れてるんだけど……」


「あれ? あんまり眠れなかった?」


「まあ、そんな感じ……」


涼太は無意識に胸元へ目を向けた。


ポケットの中では、小さな何かが隅っこに縮こまっている。


『……僕のお金……』


「……」


こいつ、いつまで落ち込んでるんだよ。


「涼太くん!」


また別の聞き慣れた声が響いた。


「おはよう!」


千夏が反対側から歩いてきた。


「おはよう、千夏さん」


「今日、クラスのグループチャットのお知らせ見た?」


「ああ……文化祭のやつ?」


「そうそう!」


千夏は嬉しそうにうなずいた。


「今日、クラスで何をやるか話し合うんだって!」


「そうみたいだね……」


涼太の視線が、再び胸ポケットへ向かう。


『……うぅ』


……その文化祭、今朝どこかの誰かが思いついたばっかりなんだけどな。


「涼太くん?」


「あっ! 何でもない!」


千夏は不思議そうに首をかしげた。


「ん?」


しかし、すぐに何かを思い出したように拳を握る。


「とにかく! 私、もう提案するもの決めてるんだ!」


「へえ? 何?」


「ふっふっふ……」


千夏は意味ありげに笑った。


「それは後のお楽しみ!」


「……何で急にもったいぶるんだよ?」


そのとき。


キーンコーンカーンコーン。


チャイムが鳴った。


おしゃべりをしていた生徒たちが、それぞれ自分の席へ戻っていく。


しばらくして、先生が資料を持って教室に入ってきた。


「はい、みんな。ちょっと静かにして」


教室のざわめきが少しずつ収まっていく。


先生は資料を教卓に置いた。


「もうお知らせを見た人も多いと思いますが」


「そろそろ今年の文化祭の準備が始まります」


「今日のホームルームでは、クラスで何をやるか決めたいと思います」


その言葉を聞いた途端、教室が一気に騒がしくなった。


「ついに始まるのか!」


「食べ物売りたい!」


「お化け屋敷とかどう?」


「でも、準備が大変じゃない?」


先生はチョークを手に取り、黒板に大きく書いた。


――文化祭の出し物について。


「じゃあ、何か案がある人は手を挙げてください」


「いくつか案を出してもらってから、みんなで話し合って投票しましょう」


涼太は黒板を見つめた。


「……本当に始まっちゃったよ」


『ふっふっふ』


胸元から得意げな声が聞こえた。


「……ん?」


涼太が視線を下げると、胸ポケットの縁から小さなスライムの頭が顔を出していた。


『どう?』


『作者の僕って、仕事が早いでしょ!』


「さっきまで泣いてたくせに……」


『それとこれとは別!』


涼太は慌てて指で作者をポケットの中へ押し戻した。


「静かにしろって!」


「相原?」


先生がこちらを向いた。


「何か意見でもあるの?」


「えっ!?」


クラス中の視線が、一斉に涼太へ集まった。


「い、いえ! ただの独り言です!」


「……そう」


先生はもう慣れているのか、それ以上追及しなかった。


一方、隣の蓮は思わず吹き出していた。


「ぷっ……」


涼太は思いきりにらみつける。


「何笑ってんだよ!」


「いや、別に」


蓮は顔をそらした。


「お前、またいつもの変な状態に戻ったなと思って」


「いつもの変な状態って何だよ!?」


「ははは!」


「はい、そこ。静かに」


先生が教卓を軽く叩いた。


「じゃあ、誰からいく?」


「はい!」


千夏が勢いよく手を挙げた。


先生に指名されるよりも早く、立ち上がってしまう。


「私、お化け屋敷を提案します!」


先生はチョークを持ち直した。


「お化け屋敷ね。理由は?」


「だって、文化祭なら忘れられない体験をしてもらいたいじゃないですか!」


千夏は両手を机についた。


「それに、いろんな怪談を取り入れられるんです!」


「勝手に動く人形とか、突然消える生徒とか、鏡の中から現れる――」


「青山、ちょっと待って」


先生が慌てて止めた。


「具体的な内容は、企画が決まってからにしましょう」


「ええ~!」


千夏は少し不満そうに座った。


涼太はその様子を見ていた。


……やっぱりお化け屋敷か。


でも、千夏さんらしいな。


「ほかに案はありますか?」


「先生~!」


今度は教室の後ろから声が上がった。


澄んだ声だった。


柔らかく、語尾が少し弾むような話し方。


一人の男子生徒が、堂々と手を挙げていた。


「僕、メイド喫茶がいいな!」


教室がざわついた。


「メイド喫茶?」


「おお! いいじゃん!」


「でも、うちのクラスって男子も結構いるよな?」


涼太は振り返った。


手を挙げていたのは、とても綺麗な顔立ちの男子だった。


さらさらとした髪が頬にかかり、長いまつげが柔らかな目元を際立たせている。


男子の制服を着ていなければ、女子生徒だと思ってしまいそうだった。


けれど、涼太がそれ以上に気になったのは、その表情だった。


彼はとても自然に立っていた。


顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいて、クラス中の視線が集まっても、まったくひるむ様子がない。


「男子が多いからって、何か問題あるの?」


彼は小さく首をかしげ、軽やかな調子で続けた。


「男の子だってメイドになれるでしょ?」


「えっ!?」


「それにね、僕も着てみたいんだ!」


教室に笑い声が広がった。


けれど彼は恥ずかしがるどころか、楽しそうに話し続けた。


「ねえ、想像してみてよ!」


指を立て、身振りを交えながら説明する。


「みんなで可愛い衣装を考えて、教室もすっごく可愛く飾りつけるの!」


「それで、飲み物やお菓子を用意して、お客さんにゆっくりしてもらうんだ!」


「素敵だと思わない?」


話し方は柔らかく、語尾がときどき楽しそうに上がる。


それでも、一つひとつの言葉ははっきりしていて、教室の端までよく通った。


「もちろん、メイド服を着たくない人は着なくてもいいよ!」


「受付とか、飾りつけとか、飲み物の準備を担当してもらえばいいんだし!」


「へえ……」


涼太は少し驚いた。


最初は冗談半分で言っているのかと思ったが、どうやら本気で考えているらしい。


「じゃあ、女子に見せたくてメイド服を着るのか?」


ある男子生徒が笑いながら尋ねた。


「違うよ~!」


彼は迷わず答えた。


「僕、男の子のほうが好きなんだ!」


「……えっ?」


「だから、かっこいい男のお客さんが来てくれたら、僕も嬉しいな!」


そう言って、彼は自分から楽しそうに笑った。


何人かの生徒もつられて笑う。


「なるほどな!」


「お前、堂々としてるなあ!」


「別に隠すことじゃないでしょ?」


彼は笑顔で両手を広げた。


「好きなものは好きなんだもん!」


そう言うと、耳元の髪を軽く整え、何事もなかったかのように席へ戻った。


涼太は思わず、もう一度彼を見た。


……すごく堂々としてるな、この人。


『おお~』


ポケットから作者の声が聞こえた。


『この子、なかなか面白いね』


「……」


『しかも自分からメイド喫茶を提案するなんて!』


『こういう自分の意見を持ってるキャラ、僕は好きだな!』


涼太は胸元をちらりと見た。


……その前に、タブレットのことはもう忘れたのかよ。


先生は黒板に案を書き足していった。


――お化け屋敷。


――メイド喫茶。


「ほかには?」


「普通の喫茶店でもよくない?」


「脱出ゲームがいい!」


「クラスで劇をやるのは?」


「焼きそば売ろうぜ! 絶対売れるって!」


「そもそも教室で焼きそばって作れるの?」


「……知らない」


「じゃあ何で提案したんだよ!」


教室のあちこちから声が上がる。


黒板の選択肢も、どんどん増えていった。


涼太はその様子を眺めながら、思わず感心していた。


文化祭って、何をやるか決めるだけでもこんなに盛り上がるんだな。


そのとき、一人の生徒が黒板を見ながら手を挙げた。


「先生、ちょっといいですか?」


「はい、どうしました?」


「お化け屋敷って、準備するものがすごく多くないですか?」


「教室の飾りつけとか、小道具とか、あとお化けの衣装とか……」


別の生徒も続けた。


「そうそう。普通に授業もあるし」


「放課後だけで本当に準備できるの?」


「お金の問題もあるよね?」


「材料をいっぱい買うなら、結構かかりそう」


教室に、さまざまな意見が飛び交い始めた。


さっきまで楽しそうにお化け屋敷の話をしていた千夏も、少しだけ固まった。


「……うっ」


涼太は千夏を見る。


千夏はうつむいて少し考えた。


そして、もう一度手を挙げる。


「あのっ!」


先生が顔を向けた。


「青山?」


「そんなにたくさん買わなくても、できるんじゃないでしょうか?」


千夏は立ち上がった。


「古い段ボールとか、使わなくなった布とか、借りられる道具とか!」


「そういうのを使って飾りつけすればいいと思うんです!」


「それに、お化け屋敷って、必ずしも大がかりじゃなくてもいいですし!」


「怖いって思ってもらえれば、それでいいんです!」


「……確かに」


何人かの生徒がうなずき始めた。


「教室を暗くして、布で通路を作るだけでも雰囲気出そうだよね」


「効果音だって自分たちで用意できるし」


「そうだね! それに分担すればいいんだよ」


千夏の目が輝いた。


「そうそう!」


「絵が得意な人は背景を描いて!」


「工作が好きな人は小道具を作って!」


「演技が好きな人は、お化け役をやればいいんです!」


「そうすれば、できると思いませんか?」


「でも、やっぱり忙しくなりそうだなあ」


別の生徒がつぶやいた。


そのとき、先ほどメイド喫茶を提案した男子が、笑顔で手を挙げた。


「じゃあ、衣装は僕に任せてよ!」


「えっ?」


「僕、もともと衣装を考えるの好きだし!」


彼は楽しそうに言った。


「もしお化け屋敷に決まっても、僕も手伝えるよ!」


千夏はすぐに振り返った。


「本当!?」


「もちろん!」


「おお! ありがとう!」


先生は活発になってきた話し合いを見て、うなずいた。


「いいですね」


「でも、まだお化け屋敷に決まったわけではありませんよ」


「それぞれの企画の良いところと大変なところを考えてから、投票しましょう」


「はーい!」


話し合いは、もうしばらく続いた。


喫茶店のほうが準備しやすいという意見もあれば、劇ならクラス全員で参加できるという意見もあった。


どの企画にも、それぞれ支持する生徒がいた。


涼太は黒板を眺めた。


「蓮、お前はどれがいい?」


「俺?」


蓮は黒板を見た。


「お化け屋敷かな」


「えっ? 何で?」


「面白そうだから」


「それだけ?」


「ほかに理由いるか?」


蓮は当然のように答えた。


「それに、本当にお化け屋敷になったら、お前が怖がるところを見てみたいし」


「この野郎!」


「ははは!」


一方、明日奈もクラスメイトと話していた。


「私は喫茶店もいいと思うな」


「明日奈さん、喫茶店が好きなの?」


「うん! みんなで教室を飾りつけるのって、楽しそうだし」


彼女は黒板に目を向けた。


「でも、お化け屋敷も面白そうだよね」


少し離れた席では、凪が静かに黒板を見つめていた。


何かを考えているようだった。


「橘は、どれがいい?」


隣の生徒が尋ねる。


「……お化け屋敷かな」


「どうして?」


「……荷物を運ぶの、手伝えそうだから」


「ああ、確かに!」


その生徒は凪の大きな体を見上げ、納得したようにうなずいた。


「橘がいてくれたら、大きな道具を運ぶのも楽そうだね」


凪はそれ以上何も言わず、小さくうなずいた。


しばらく話し合ったあと。


先生が手を叩いた。


「はい、そろそろ投票にしましょう」


「一人一票ですよ」


黒板に書かれた案に、順番に番号が振られていく。


生徒たちは投票を始めた。


喫茶店に入れる人もいれば、劇をやりたい人もいる。


脱出ゲームに興味を持っている生徒もいた。


そんな中、千夏は最初から最後まで、お化け屋敷一筋だった。


「お化け屋敷! お化け屋敷!」


「千夏さん、張り切りすぎじゃない……?」


「だって、本当にやりたいんだもん!」


そして、ついに。


先生が最後の一票を黒板に書き込んだ。


「それでは、結果を発表します」


教室が静かになっていく。


「今年、私たちのクラスが文化祭でやるのは……」


「お化け屋敷です!」


「おおおお!」


「やったー!」


千夏が勢いよく立ち上がった。


「成功だー!」


「青山、まず座りましょう」


「あっ! はい!」


千夏は慌てて座った。


けれど、顔いっぱいに浮かんだ笑顔は隠しきれていなかった。


涼太は思わず笑ってしまう。


「そんなに嬉しいんだ……」


『だって、自分の好きなことだもんね』


ポケットの中から、作者が小さな声で言った。


『みんなで好きなことに取り組めるって、いいよね』


「……うん」


涼太は小さくうなずいた。


そのとき、ふと先ほどメイド喫茶を提案した男子のことを思い出した。


残念がっているだろうか。


ところが。


「よーし!」


その男子が突然立ち上がった。


顔には、相変わらず明るい笑顔が浮かんでいる。


「お化け屋敷に決まったなら、幽霊メイドをやろうよ!」


「……」


「……えっ?」


クラス中が数秒間、静まり返った。


先生もチョークを持った手を止めた。


「……幽霊メイド?」


「そうそう!」


男子は嬉しそうに胸の前で両手を合わせた。


「メイド喫茶ができないなら、お化け屋敷のメイドになればいいんだよ!」


「……」


「……」


「そんなのあり!?」


「もちろん、ありでしょ!」


彼は迷わず答えた。


「お化け屋敷って、お化け役が必要なんだよね?」


「だったら僕がメイド服を着て、お化けになればいいじゃない!」


「それに、服をちょっとボロボロにして、血のりをつけたりしてさ!」


彼は楽しそうに、衣装の形を身振りで表現した。


「想像しただけで楽しそう!」


千夏の目が突然輝いた。


「……待って」


ゆっくりと立ち上がる。


「そのアイデア……」


男子が振り返った。


「ん?」


「すっごく面白そう!」


「でしょ~!」


二人は顔を見合わせて笑った。


「呪われた洋館って設定なら、幽霊メイドがいても全然おかしくないよ!」


千夏はますます興奮していく。


「昔、その洋館で働いていたメイドが、最後には幽霊になっちゃったとか!」


「おお! それいいね!」


男子もすぐに話に乗った。


「じゃあ、衣装は僕が担当してもいい?」


「本当!?」


「もちろん!」


「やったー!」


涼太は二人を見つめた。


「……」


……何だか、急に二人だけの世界になってないか?


『ふふっ』


作者がポケットから小さな頭を出した。


『もう本気で準備を始めてる子たちがいるみたいだね』


「……」


涼太はそのスライムを見下ろした。


「お前、今朝まで文化祭を一日で終わらせるつもりだったよな?」


『……』


作者は黙ってポケットの中へ引っ込んだ。


『その話はもうしないでよ……』


先生は盛り上がる二人を見て、苦笑した。


「はいはい。お化け屋敷の詳しい内容は、次の話し合いで決めましょう」


「今日は企画を決めるところまでです」


「はーい!」


「それでは、残りの時間で必要な準備を簡単に整理しておきましょう」


黒板に、さらにいくつかの項目が書き足された。


――教室の飾りつけ。


――小道具の制作。


――衣装。


――宣伝。


――当日の役割分担。


涼太は、どんどん文字で埋まっていく黒板を眺めた。


「……」


こんなにやることがあるのか。


『……』


ポケットの中の作者も黙り込んでいた。


しばらくして。


『……涼太』


「ん?」


『僕たち、また面倒なことを始めちゃったんじゃない?』


「……」


涼太は作者を見下ろした。


「始めたのはお前だろ」


『うぅ……』


⸻


放課後。


夕日が教室の窓から差し込んでいた。


昼間はあれほど賑やかだった教室も、少しずつ静かになっていく。


帰り支度をする生徒もいれば、部活動へ向かう準備をしている生徒もいた。


涼太は自分の席に座り、教科書をゆっくりと鞄にしまっていた。


「ふぅ……」


「今日は賑やかだったな」


『本当だね』


作者はすでに元の姿に戻り、隣の空いている席に座っていた。


『まさか、みんなあんなに文化祭に興味があるなんて』


「自分で言い出したくせに、何でそんなに驚いてるんだよ……」


『だって、僕には一人ひとりの好きなものまで決められないからね!』


「……まあ、そうだな」


涼太は鞄のファスナーを閉めた。


そのとき。


ブブッ。


スマホが突然震えた。


「ん?」


涼太はスマホを取り出した。


画面には、新しいメッセージが表示されている。


千夏からだった。


【千夏:涼太くん!】


【千夏:今日の放課後、時間ある?】


【千夏:超常現象研究部に来てもらってもいいかな?】


涼太はメッセージを見つめた。


「……超常現象研究部?」


『おっ?』


作者がすぐに顔を近づけてきた。


『千夏からのお誘い?』


「うん」


『ふっふっふ~』


作者は妙な笑みを浮かべた。


『もしかして、放課後の秘密のお誘いだったりして!?』


「お前、何でもそっちに持っていくなよ!」


涼太はツッコミを入れながら、返信を打った。


【涼太:大丈夫だよ】


【涼太:今から行くね】


すぐに既読がついた。


【千夏:やった! じゃあ部室で待ってるね!】


涼太はスマホをしまった。


「よし、行くか」


『出発~!』


作者は嬉しそうに片手を挙げた。


涼太は鞄を背負い、教室を出た。


廊下には、もうあまり生徒の姿がなかった。


旧校舎へ向かって歩いている途中、涼太はふと今朝のことを思い出した。


「……あっ」


足を止める。


『ん? どうしたの?』


涼太は鞄を開けた。


中には、清書を終えた一冊の小説と、小さな紙切れが入っていた。


「……そうだ」


『……』


作者もその小説に目を向けた。


『あっ』


二人は数秒間、黙り込んだ。


「今朝、機会があったら千夏さんに渡そうって言ってたよな?」


『うん』


「だったら、今日ちょうど渡せるんじゃないか?」


『……そうだね』


珍しく、作者は冗談を言わなかった。


涼太は手元の小説を見つめた。


以前、千夏に自分がよく誰もいない場所に向かって話している理由を説明するため、読ませると約束した物語だ。


まさか、本当に完成するとは。


「……」


涼太は小説をもう一度鞄にしまった。


「行こう」


『うん!』


二人は再び旧校舎へ向かって歩き出した。


しばらくして。


少し古びた建物が、涼太の目の前に現れた。


「……ここだな」


涼太は旧校舎に入り、見覚えのある廊下を進んでいく。


そして、超常現象研究部の部室の前にたどり着いた。


片手を上げる。


コン、コン。


「千夏さん?」


「来たよ!」

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