第十四話 遅れてきた猫
第十四話 遅れてきた猫
『わはははは! ついに終わったぞ!』
『時は来た!』
作者は勢いよく椅子から立ち上がると、興奮した様子で部屋中を見回した。
右。
左。
もう一度、右。
『……あれ?』
涼太がいない。
作者は窓の外へ目を向けた。
いつの間にか、空はすっかり暗くなっている。
『っていうか、もう夜じゃん』
『涼太、なんでまだ帰ってきてないの?』
少し考えてから。
『電話してみよ』
何もない空間へ手を伸ばす。
すると次の瞬間。
ぽんっ、とスマホが現れた。
『ふふん』
『やっぱ作者って便利だなぁ』
そのまま慣れた手つきで、涼太へ電話をかける。
◇
プルルルル——
「ん?」
家へ向かってのんびり歩いていた涼太は、ポケットの中の振動に気づいた。
スマホを取り出す。
画面には、見覚えのない名前。
【Apple】
「……Apple?」
二秒ほど見つめる。
「誰だよ」
「営業?」
少し迷ったものの。
結局、そのまま出なかった。
「まあいいや」
スマホをポケットへ戻す。
そして何事もなかったように、また歩き始めた。
◇
『……』
作者はスマホを見つめていた。
『出ない?』
もう一度かける。
プルルルル——
やっぱり出ない。
『……』
作者の眉が寄る。
『あいつ、まだ僕のこと根に持ってて、わざと無視してるんじゃ……』
そこで。
ふと窓の外を見る。
『……待って』
もう夜だ。
『涼太って、いつもならとっくに帰ってる時間じゃない?』
『まさか……』
作者が勢いよく立ち上がる。
『何かあった!?』
慌てて窓まで走り。
ガラッ!
勢いよく開ける。
ヒュウウウ——!
冷たい風が一気に部屋へ吹き込んできた。
『……』
窓から出そうとしていた足を。
そっと戻す。
そして。
ガラッ。
窓を閉めた。
『寒っ』
『上着着てこよ』
作者は何事もなかったように振り返り、クローゼットへ向かう。
扉を開ける。
中にあるのは。
涼太の服ばかり。
『こっちじゃない』
作者はクローゼットのさらに奥へ腕を突っ込んだ。
本来なら。
そこには壁しかないはずなのだが。
何かを掴む。
そして——
ぐいっ。
ガコン。
壁であるはずの場所から。
もう一枚の扉が引っ張り出された。
その向こうには。
大量の服。
そして端のほうには。
見覚えのある真っ白なウェディングドレスまで掛けられていた。
『……』
作者はウェディングドレスを見つめる。
二秒。
『今日はやめとこ』
灰色のコートを取り出し。
中には白いシャツを合わせる。
襟元を軽く整えて。
『よし!』
『準備完了!』
作者は再び窓へ走った。
窓を開け。
窓枠に足をかけ。
そのまま——
飛び出した。
『涼太ぁぁぁ——!!』
近くの電柱へ着地。
そこから一気に跳び。
屋根から屋根へ。
電柱から電柱へ。
夜の街を駆け抜けながら、涼太を探し始めた。
そして。
その頃の涼太は——
◇
「変な電話だったな……」
「ふぁ~……」
涼太は大きくあくびをして。
そのまま両腕を上へ伸ばした。
「そろそろ帰るか」
夜の街を一人で歩く。
道沿いの店には明かりが灯り。
時折、車が横を通り過ぎていく。
涼太は両手をポケットへ突っ込んだ。
「作者、今頃何してんだろ」
たぶん。
まだ清書している。
そう考えると。
少しだけ笑えてきた。
「ざまあみろ」
しばらく歩いて。
ふと。
今日の出来事を思い返す。
一人だからなのか。
いつもなら考えないようなことまで、頭に浮かんできた。
「……」
「そういえばさ」
夜空を見上げる。
「こういう時って、隣に女の子が歩いてたほうがラブコメっぽいんじゃないか?」
想像してみる。
「……」
すぐに首を振った。
「いや」
「明日奈さんとは、夜に二人で帰るような仲じゃないだろ」
自分で言って。
自分で納得する。
それなのに。
頭の中には自然と、今日の明日奈の姿が浮かんできた。
学校とは全然違う私服。
知らない男たちに声をかけられて。
困ったように笑っていた顔。
そこへ自分が飛び込んで——
「『クラスメイトです!』……」
「……」
涼太は片手で顔を覆った。
「あああ……」
「思い出すとやっぱ恥ずかしい……」
なのに。
そのあと明日奈が笑いながらお礼を言ってくれたことまで。
しっかり思い出してしまう。
体育の時間。
ボールを受け取るたびに。
褒めてほしそうにこっちを見ていたこと。
今日だって。
千夏に「可愛い」と言われただけで。
すぐ嬉しそうな顔になっていた。
「……」
涼太はゆっくり手を下ろした。
「でも……」
「俺、なんでこんなに明日奈さんのこと気になるんだろ」
可愛いから?
それも。
もちろんある。
初めて見た時。
目を奪われたのは確かだった。
でも。
「顔が可愛いから……それだけ?」
涼太は眉を寄せる。
「それとも、最初に見た時から……なんか特別だったから?」
「……」
分からない。
考えれば考えるほど。
余計に分からなくなる。
「人を好きになるって……」
「どういう感じなんだろ」
恋愛したい。
彼女がほしい。
ずっとそんなことを言っていたくせに。
いざ本当に誰かを意識し始めると。
自分の気持ちすら、よく分からなかった。
涼太はそのまま歩き続ける。
頭の中には、まだ明日奈がいる。
笑っている明日奈。
飲み物を飲んでいた明日奈。
スマホを手にしていた明日奈。
そして——
テーブルにぐでっと突っ伏している千夏。
「……」
涼太の足が止まった。
「待て」
さっきまで明日奈だったはずなのに。
いつの間にか。
頭の中では千夏がだらしなくテーブルに突っ伏している。
その次には。
体育の時間。
ゴール下で何度もぴょんぴょん跳ねていた姿。
さらに。
スマホを手に。
笑いながら——
『涼太くん!』
「……」
涼太の目がゆっくり見開かれた。
「いやいやいやいや!」
「なんで千夏さんまで出てくるんだよ!?」
ぶんぶんと頭を振る。
「今、明日奈さんのこと考えてたよな!?」
一瞬。
沈黙。
「……」
「なんで最近、頭の中に二人とも出てくるんだよ……」
頭を抱える。
「もしかして俺……」
「めちゃくちゃ浮気性なんじゃ……!?」
「いや待て!」
「俺、まだ誰とも付き合ってないぞ!?」
「付き合う前から浮気性って何!?」
「終わってるだろ!!」
一人。
夜道の真ん中で頭を抱えていると。
「どうした、涼太?」
「頭痛いのか?」
「うわっ!?」
涼太の肩が跳ねた。
勢いよく振り向く。
そこにいたのは。
蓮だった。
体にフィットしたスポーツウェアに短パン姿。
片手には。
コンビニで買ってきたらしい食材の入った袋を提げている。
「蓮!?」
涼太は胸元を押さえた。
「びっくりした!」
「近づいてくるならちょっとくらい音出せよ!」
蓮は一瞬きょとんとして。
すぐに申し訳なさそうに笑った。
「悪い、悪い」
「走った帰りに、晩飯買ってたんだよ」
そう言って。
袋を軽く持ち上げる。
「そしたら、お前が一人で頭抱えてるから」
「具合でも悪いのかと思って」
「別に具合悪くないよ」
涼太は少し不機嫌そうに答えた。
「ちょっと悩んでただけ」
「悩み?」
蓮が涼太を見る。
「何の?」
「……」
涼太の体が固まった。
「べ、別に……」
「大したことじゃない」
気まずそうに髪を掻く。
——やば。
——口滑った。
——明日奈さんと千夏さんのことで悩んでたなんて知られたら……
——死ぬほど恥ずかしい。
蓮は二秒ほど。
じっと涼太を見た。
「……」
「お前、ほんと嘘下手だな」
「うるさい!」
涼太がすぐ噛みつく。
「嘘なんかついてない!」
「顔赤いぞ」
「赤くない!」
「赤い」
「赤くない!」
蓮は耐えきれず笑った。
「分かった、分かった」
「怒んなって。冗談だよ」
「……」
涼太はじろりと睨む。
蓮はまだ少し赤い涼太の顔を見て。
ふと。
「……女?」
「なんで分かった!?」
反射的に答えてしまった。
「……」
「……」
二人の間に。
沈黙が落ちる。
涼太の顔が。
ゆっくり固まっていく。
蓮が瞬きをした。
「いや」
「適当に言っただけ」
「……」
「当たったんだ」
「……」
涼太はゆっくり下を向いた。
「ああああああ……!」
「俺の口ぃぃぃ!!」
◇
ひとしきり叫んだあと。
涼太はすべてを諦めたように、長いため息を吐いた。
「もういい!」
髪をぐしゃぐしゃと掻く。
「そうだよ!」
「女の子のこと考えてたよ!」
「恋愛したいんだよ、俺は!」
「ぷっ……」
蓮が吹き出した。
すぐに口元を手で隠す。
「それだけで、さっき一人で頭抱えてたのか?」
「笑うなって!」
涼太が睨む。
「こっちは本気で悩んでんだよ!」
「悪い、悪い」
そう言いながら。
蓮の口元にはまだ笑みが残っていた。
そして。
急に興味が湧いたのか。
少しだけ涼太へ身を寄せる。
「で?」
「誰?」
少し間を置いて。
「明日奈?」
「……」
「だろ?」
蓮がじっと涼太を見る。
けれど。
涼太はすぐに答えなかった。
「……俺も分かんない」
「分かんない?」
蓮が首を傾げる。
「どういうこと?」
涼太は視線を落とした。
自分の靴を見る。
「明日奈さんのことは好きだよ」
「それは……たぶん間違ってない」
「うん」
「でも……」
少しだけ言葉に詰まる。
「たまに、別の女の子のことも頭に浮かぶんだよ」
千夏の名前は。
あえて言わなかった。
なぜか。
「千夏さん」と口にした瞬間。
今よりもっと。
何かが決定的になってしまう気がしたから。
「ほぉ~~」
蓮がわざとらしく声を伸ばす。
涼太が顔を上げた。
「何だよ」
蓮は妙に真剣な顔で。
一言。
「クズ男」
「おい!!」
涼太が一瞬で爆発した。
「違うから!」
「はははは!」
「笑うな!」
「悪い悪い」
蓮は笑いながら手を振った。
「冗談だって」
「全然面白くない!」
「はいはい」
蓮の笑みが。
少しずつ落ち着いていく。
今度は。
ほんの少し真面目な顔になった。
「でもさ」
「恋愛って、アニメみたいなもんでもないだろ」
「え?」
「ほら」
蓮は少し考える。
「誰か一人を好きになった瞬間、そいつしか目に入らなくなるとか」
「他の女子が全員モブになるとか」
「……」
涼太が瞬きをする。
「まあ……そこまで極端じゃないだろうけど」
「で、でも……」
「それに」
蓮は涼太が言い終わる前に続けた。
「お前、明日奈と付き合ってるわけじゃないだろ?」
「……」
「今は好きってだけなんだろ?」
涼太は少し黙った。
「……うん」
「だったら、他の女子のことが頭に浮かんだからって」
「それだけで別の誰かを好きになったってことにはならないだろ」
「……」
涼太は答えなかった。
蓮は手にしていたコンビニ袋を軽く持ち直す。
「まあ、誰のこと考えてるのかは知らないけど」
「俺だって恋愛したことないし」
「聞かれても正解なんて知らないけどな」
「じゃあなんで今までそんな偉そうに喋ってたんだよ!?」
「なんとなく」
「お前なぁ!」
蓮がまた笑う。
「でも」
涼太を見る。
「お前がそんなことで悩んでるってことは」
「それだけ気にしてるってことなんじゃないの?」
「……何を?」
「知らん」
「おい!」
「お前の恋愛だろ」
蓮は当然のように言った。
「自分で考えろよ」
「……」
涼太の口元が引きつる。
「急にお前に相談した意味がなくなった気がする」
「だったら道端で頭抱えてないでくれ」
「俺が呼んだわけじゃないだろ!」
「はいはい」
蓮は軽く受け流す。
涼太は。
少しずつ静かになっていった。
——他の女の子のことを考えたからって。
——その人を好きになったとは限らない。
「……」
でも。
もし本当に。
それだけなら。
どうして——
千夏さんのことが。
あんなに自然に頭に浮かんだんだろう。
「……」
やっぱり。
分からない。
恋愛って。
思っていたより。
ずっと面倒くさい。




