第十一話 わけが分からない涼太
第十一話 わけが分からない涼太
「読者のみんな、こんにちは!」
「今日の冒頭は、俺が担当します!」
どこから持ってきたのか。
涼太は一脚の椅子を画面のど真ん中に置き、堂々と腰掛けていた。
かなりご機嫌らしい。
「作者がどこにいるのかって?」
涼太の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「もちろん、お仕置き中だよ。」
画面が少し横へ移動する。
遠く離れた場所。
作者は、煮えたぎる溶岩の上に浮かんだ石板に座っていた。
その真下では。
ごぼっ。
ごぼごぼっ。
真っ赤な溶岩が絶えず泡を立て、熱気を噴き上げている。
作者は全身汗だくになりながら、手に持ったペンを必死に走らせていた。
『暑い……』
『なんで小説書くだけなのに、溶岩の上に座らなきゃいけないの……』
「なんで作者がお仕置きされてるのかって?」
涼太は、さも当然とでも言いたげな顔をした。
「そんなの決まってるだろ?」
「あいつ、毎日毎日俺の人生を好き勝手いじるんだぞ。」
「勝手に入部届を書かせるし、場面は飛ばすし、急にBGMは流すし。」
「挙げ句の果てには、青山さんに『存在しない小説を見せる』なんて約束までさせられた。」
涼太は遠くにいる作者を指差した。
「というわけで。」
「その小説は、今あいつに書かせてます。」
作者が勢いよく顔を上げた。
『青山に「小説書いてる」って言ったのは君自身でしょ!?』
「聞こえない。」
『おい!』
「全然聞こえない。」
『涼太ぁ!!』
涼太は作者の声を、極めて自然に雑音として処理した。
「とにかく。」
改めて読者のほうを見る。
「今日の本編は俺だけ。」
「あいつが隣で乱入してくることもない。」
「変な爆発もない。」
「空から何かが降ってくることもない。」
「いきなり変な場所に飛ばされることもない。」
そこで一度、涼太は口を止めた。
これまで自分が受けてきた数々の被害を思い返したらしい。
「……ないよな?」
遠くで作者が原稿に視線を戻す。
『少なくとも今日はね~』
「よし。」
涼太はぱんっと手を叩いた。
「それじゃ。」
「本編、スタート!」
今回は。
爆発もなかった。
眩しい光もなかった。
校舎が空から落ちてくることもない。
「ドカーン!」という音すらしない。
ただ、ごく普通に画面が暗くなり。
そして。
ゆっくりと明るくなった。
「……」
涼太は教室に立っていた。
左右を見回す。
何もおかしくない。
「……なんて優しい場面転換なんだ。」
作者が隣にいない一日目。
こうして始まった。
「……静かだな。」
涼太は自分の席まで歩き、鞄を置いた。
耳元で作者がぶつぶつ喋ることもない。
突然変なナレーションが入り込むこともない。
意味不明な効果音もない。
いつもと同じ教室のはずなのに。
なぜだか少しだけ落ち着かなかった。
「……」
涼太は席に座る。
静かだ。
本当に静かすぎる。
むしろ自分のほうが、この静けさに慣れていないのではないか。
そんなことを考え始めた時だった。
「相原くん、おはよう。」
聞き慣れた声が近くから聞こえた。
涼太が顔を上げる。
高橋蓮が机のそばに立っていた。
ただし、その表情には少し疑問が浮かんでいる。
「……今日、やけに静かじゃない?」
「あ、高橋くんか。」
涼太は椅子の背にもたれ、軽く息を吐いた。
「そうだな。」
「今日はたぶん、かなり静かな一日になる。」
「?」
蓮には意味が分からなかったらしい。
とはいえ、深く追及することもなく、鞄を置いて自分の席に座った。
しばらくして。
蓮が何かを思い出したように口を開く。
「そういえば、相原くん。」
「ん?」
「俺たち、もうそれなりに付き合いあるだろ?」
「まあな。」
「それなのに、ずっと名字で呼び合うのも少しよそよそしくない?」
蓮が涼太を見る。
「涼太って呼んでもいい?」
涼太は一瞬きょとんとした。
それから笑う。
「もちろん。」
「じゃあ俺も、蓮って呼ぶわ。」
「うん。」
蓮は軽く頷いた。
それだけだった。
作者が突然飛び出してきて、
『友情イベント発生!』
なんて叫ぶこともない。
変なウィンドウが宙に浮かぶこともない。
ただ普通に。
二人の友人が、互いの呼び方を変えただけ。
涼太は少しだけ黙った。
「……」
なぜだろう。
こういう普通の感じも、案外悪くない。
「そういえば、涼太。」
「何?」
「結局、超常現象研究部には入ることにしたの?」
「あー……あれか。」
その話題が出た瞬間。
涼太の表情が一気に曇った。
「まだ考え中。」
ため息をつく。
「あそこの人たちは悪くないし、活動も思ってたほど怖くなかったけど……」
頭の中に。
自分の名前が書かれた、あの入部届が浮かんだ。
「なんか正式に入った瞬間、面倒事が一気に増えそうな気がするんだよな。」
蓮がちらりと見る。
「でも、結構向いてると思うけど。」
「お前まで言うの!?」
「だって涼太、元から変だし。」
「おい!」
蓮は思わず笑った。
涼太は呆れたように椅子へもたれ直す。
「もういいよ。」
蓮を見る。
「そっちは?」
「柔道部?」
「うん。入るつもり。」
蓮は迷いなく答えた。
「雰囲気も結構好きだし、先輩たちもみんないい人だから。」
「そっか。」
涼太は頷く。
「それならよかったじゃん。」
「うん。」
蓮も笑った。
二人の会話は、それだけで終わった。
横から誰かが口を挟むこともない。
作者が「キャラクター同士の関係性が成長している」なんて分析することもない。
誰かが、この出来事にわざわざ意味を与えることもない。
ただ二人の高校生が。
朝の教室で、少し話をした。
それだけだった。
「……」
涼太はふと自分の隣を見る。
何もない。
空っぽだった。
「……本当に静かだな。」
「何か言った?」
「いや、何でもない。」
しばらくすると。
教室には少しずつ生徒が集まり始めた。
椅子を引く者。
鞄を机に置く者。
席の近くで友人と話す者。
そんな中。
教室の入り口から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
涼太が顔を上げる。
青山千夏が、少し寝癖の残った髪のまま教室へ入ってきた。
その隣を歩いている早川明日奈は、少し眉をひそめながら千夏の髪を整えている。
「千夏、また寝坊したでしょ?」
明日奈の声には、ほんの少しだけ呆れと注意の色が混じっていた。
けれど。
髪を整える手つきは、とても優しい。
乱れた髪だけではなく、少し曲がっていた襟までついでに直している。
「昨日も遅くまで起きてたんじゃない?」
「違うってば~」
千夏は声を伸ばす。
反省しているようには、まったく見えない。
「明日奈~、怒らないでよ~」
「毎回それ言うよね。」
「へへ……」
「昔からずっとそうなんだから。」
「分かった、分かったってば。」
千夏は両手を合わせた。
「ごめん。許して~」
明日奈は小さくため息をついた。
それでも最後まで、ぴょこんと跳ねていた髪を指で押さえて直してやる。
涼太はその光景を眺めていた。
なぜだか。
自然と口元が少し緩んだ。
「……」
「なあ。」
突然、隣から蓮の声がした。
涼太が振り向く。
蓮が、なんとも言えない目でこちらを見ていた。
「そんなふうに女子を見ながら笑ってると。」
「変態だと思われるぞ。」
「!?」
涼太は即座に笑顔を引っ込めた。
「お、俺は別に!」
声を落として反論する。
「ただ、あのやり取りがちょっと面白かっただけだって!」
蓮は一度、千夏と明日奈を見る。
そして再び涼太を見る。
「へえ~」
「……その『へえ~』は何だよ。」
「別に。」
「絶対何かあるだろ!」
蓮は笑いを堪えながら前を向いた。
涼太は気まずそうに椅子へ座り直す。
けれど。
しばらくすると。
その視線は、また少しだけ二人のほうへ向いた。
明日奈はまだ千夏の髪を整えている。
千夏は謝っているくせに、相変わらず全然反省しているようには見えない。
「……」
涼太は小さく笑った。
今度は。
すぐに視線を戻した。
授業中。
涼太は頬杖をつきながら、心ここにあらずといった様子で教師の話を聞いていた。
「……しんどい。」
小さく呟く。
「授業って本当に退屈だな。」
ノートの上でペン先が止まる。
黒板を眺めながら。
ふと、いつもは鬱陶しいと思っているあの存在を思い出した。
「作者がいたら、こういうところなんてとっくに飛ばしてるんだろうな……」
その頃。
溶岩の上に浮かぶ石板では。
『は……はっくしょん!』
作者が盛大なくしゃみをした。
『誰かがこのイケメンのこと考えてる?』
下では相変わらず。
ごぼごぼと溶岩が煮えたぎっている。
返事をする者はいない。
『……』
作者は鼻を擦り。
再び原稿へ視線を落とした。
教室。
涼太は教師の声を聞きながら、黒板の内容をノートへ写していく。
書くことがなくなると。
退屈そうにペンを指先で回した。
教師が再び黒板へ向き、新しい内容を書き始める。
涼太が顔を上げた。
「……」
見えない。
真正面に座っている蓮が。
ちょうどその部分だけを綺麗に遮っていた。
涼太は頭を左へ傾ける。
あと少し。
今度は右。
やっぱり見えない。
「……」
諦めきれず。
さらに体を横へ傾ける。
頭。
肩。
上半身まで、少しずつ横へ。
そして――
こつん。
額が何かに触れた。
「……?」
涼太が気づくより先に。
少し低めの声が隣から聞こえてきた。
「見えない?」
「!?」
涼太は勢いよく体を起こした。
「わ、悪い……ごめん!」
慌てて声を潜める。
「ちょっと黒板が見えなくて……」
隣の席のクラスメイトは一度、前方を見る。
そして。
自分の机に手をかけた。
ガタッ――
机の脚が床を軽く擦る。
そのまま机を涼太のほうへ少し寄せ、二つの机を並べた。
「私の見ていいよ。」
ノートも少しだけ中央へ押し出される。
「先生に何か言われたら、私から説明するから。」
「……いいの?」
「うん。」
「ありがとう!」
涼太はすぐに笑った。
「すごく親切だな!」
「どういたしまして。」
返事はやはり短い。
涼太はそこで初めて。
隣に座るクラスメイトを、少し真面目に見た。
そして。
視線が上へ。
さらに上へ。
「……」
でかい。
かなりでかい。
今は座っているにもかかわらず、周囲の生徒より明らかに体格が大きく見える。
立ったら……
おそらく百九十八センチ近くある。
「……」
涼太が瞬きをする。
「どうしたの?」
「い、いや、何でもない。」
慌てて視線を落とし、ノートを書き写した。
やがて。
授業終了のチャイムが鳴る。
涼太はようやく解放されたように息を吐いた。
隣のクラスメイトも黙って机と椅子を元の位置へ戻していく。
涼太は前の席にいる蓮の肩を軽くつついた。
「蓮~」
「ん?」
「さっきの授業、お前が黒板を完全に塞いでてさ。」
「危うくノート取り損ねるところだったぞ。」
「あっ!」
蓮がすぐに振り返る。
「ごめん。わざとじゃないんだ。」
「いいって。」
涼太は笑いながら手を振った。
「さっき、この……」
そこで言葉が止まる。
「……クラスメイトが。」
涼太は隣の席を見る。
改めて見ると。
かなり大きめの上着を着ていて、襟元と髪で顔の一部が隠れている。
さっきからほとんど自分から話そうともしていない。
涼太は少し考えた。
――人と話すの、あまり得意じゃないのかな?
「さっき、この人がノート見せてくれたんだ。」
隣のクラスメイトは、小さく頷いただけだった。
「そういえば。」
涼太は今さら、とても基本的なことに気づく。
「名前、まだ聞いてなかったな。」
「……」
相手はすぐには答えなかった。
代わりに机の上から教科書を取り。
表紙を開く。
そして。
そこに書かれた名前を指差した。
橘 凪
「橘……凪。」
涼太は一度、名前を読み上げた。
「じゃあ、橘って呼ぶな。」
凪は小さく頷いた。
涼太は再び蓮のほうを見る。
「橘がノート貸してくれたんだ。」
「へえ~」
蓮は一度、凪を見る。
そして涼太へ視線を戻した。
少し呆れたような表情だった。
「でもさ。」
「なんで俺に一言言わなかったの?」
「え?」
「俺が少し体ずらせば済んだじゃん。」
「……」
涼太は二秒ほど固まった。
「あ。」
今初めてその方法に気づいたような顔をする。
「……確かに。」
「全然思いつかなかったの?」
「思いつかなかったんだよ!」
蓮は思わず笑った。
「涼太って、たまに本当に変だな。」
「うるさい!」
涼太が文句を言う。
その隣で。
凪は俯いたまま教科書を整理していた。
口元がほんの少しだけ動いたようにも見えた。
けれど。
あまりにも小さな変化だったため。
誰も気づかなかった。
蓮が少し涼太へ身を寄せ。
耳元で声を潜める。
「橘って、なんで全然喋らないんだ?」
「分かんない……」
涼太も小声になる。
「授業中は何回か喋ってたけど、今はなんで黙ってるんだろ。」
「人見知り?」
「かもな。」
二人はこっそり隣を見る。
橘凪は相変わらず俯いたまま。
静かに教科書をめくっていた。
「……」
「……」
聞かれていない。
そう思った、その時。
凪の手が止まる。
そして。
ゆっくりとこちらを向いた。
「……聞こえてる。」
「……」
「……」
涼太と蓮が同時に固まった。
凪の声は、やはり少し低い。
「何を話せばいいのか、分からないだけ。」
そう言うと。
また静かに前へ向き直った。
「……」
涼太が蓮を見る。
蓮が涼太を見る。
「俺たち、今かなり失礼だった?」
「……たぶん。」
「謝る?」
「お前から。」
「なんで俺?」
「最初に聞いたのお前だろ。」
「答えたのは涼太じゃん。」
「……」
凪は黙って教科書を一ページめくった。
「気にしてない。」
二人は再び黙った。
しばらくして。
涼太はこっそり凪へ視線を向けた。
とにかく背が高い。
あまり喋らない。
名前を聞いても、どちらなのかよく分からない。
しかも。
体がほとんど隠れてしまいそうなくらい、大きな上着を着ている。
「……」
作者が隣にいなくなって、まだ一日目。
なのに。
今までまったく気づいていなかったクラスメイトと、なぜか知り合ってしまった。
涼太は机に突っ伏し、小さく呟く。
「なんかあいつがいないほうが、分からないこと増えてないか……?」
遠く離れた場所。
溶岩の上の作者が。
突然くしゃみをした。
『はっくしょん!』
『……絶対誰か僕の悪口言ってる。』
作者が隣にいない一日目。
こうして。
よく分からないまま終わった。




