第十話 作者:涼太、これは想定外なんだ! 僕を責めないで!
第十話 作者:涼太、これは想定外なんだ! 僕を責めないで!
作者がどうしても今回の冒頭を思いつかなかったので。
――そのまま。
帰り道まで飛ばすことにした。
放課後の街並みは、夕日に淡いオレンジ色へ染められていた。
涼太は鞄を背負って歩道を歩き、その隣ではいつものように作者がふわふわと浮かんでいる。
たった今、物語の冒頭を丸ごと省略したことに対する罪悪感など、欠片もなさそうだった。
『いや~、今日も一日が終わったね~。めでたい、めでたい~』
「そうだな~。めでたいな。」
涼太は引きつった笑顔で作者を見る。
「また冒頭を丸ごとすっ飛ばしたもんな。」
『怒らないでよ~。僕だって原稿があるんだから、少しくらい楽させてよ』
「へえ~、原稿ねえ。」
涼太は小さく笑い、疑うような目で作者を上から下まで眺めた。
「お前、いつからそんな真面目になったんだ?」
『もっとたくさんの人に、この作品を読んでもらえるように頑張りたいんだよ~』
「結局、自分の承認欲求を満たしたいだけだろ~」
『な、何言ってるの! そんなことないから!』
作者は即座に反論した。
ただし、なぜか少しどもっていた。
「図星じゃん。」
『ち、違う!』
「はいはい。」
涼太は得意げに口元を緩める。
しかし。
その時の彼は、まったく気づいていなかった。
すぐ隣から、ずっと自分の様子を見ている視線があったことに。
「ねえ~」
突然、聞き覚えのある声が横から聞こえた。
「相原くん、さっきから誰と話してるの?」
「!?」
涼太は勢いよく振り向いた。
そこには。
青山千夏が、何事もなかったかのように自分の隣を歩いていた。
「あ、青山さん!?」
涼太の体がびくっと跳ねた。
「い、いつから俺の隣にいたの?」
作者も一緒になって固まる。
一方、千夏は不思議そうに首を傾げた。
「いつからって?」
「部室を出てから、ずっと一緒に歩いてたよ?」
ぱちぱちと瞬きをする。
「忘れたの?」
「……」
涼太は黙り込んだ。
千夏はそんな彼を見たあと。
先ほどまで涼太が話しかけていた方向へ視線を向ける。
当然。
そこには何もいない。
少なくとも。
彼女にはそう見えている。
「だから――」
千夏は再び涼太を見る。
「誰と話してたの?」
「それは……」
涼太の額を、一筋の冷や汗が流れた。
視線が無意識に作者のほうへ向く。
すると作者は即座に顔を逸らし、急に道端の景色へ強い興味を抱いたふりを始めた。
「も、もちろん自分と話してたんだよ~」
「自分?」
「そ、そう!」
涼太は慌てて頷く。
「最近、小説を書いててさ。」
「その……主人公が、自分は小説の登場人物だって知ってる話。」
『……』
作者がゆっくり涼太を見る。
涼太は見なかったことにした。
「だから今のは、小説の会話を考えてただけなんだよ~」
乾いた笑いを二回。
「へへ……面白そうだろ?」
千夏は少し真剣に考えた。
「結構面白そう!」
笑顔を浮かべる。
「変で、面白い!」
「……それ、褒めてる?」
「褒めてるよ?」
千夏は当然のように答えた。
「それにしても、相原くんが小説を書くなんて知らなかったな~」
『あれ、距離を縮めようとしてるよ~』
作者が突然、涼太の耳元へ近づいてきた。
『知り合ってまだ数日なのに、相手が普段何をしてるかなんて知るわけないじゃん』
『つまり今のは、会話を広げるための接近作戦だよ』
「お前……黙ってろ……」
涼太は歯を食いしばり、できる限り声を小さくした。
しかし千夏は不思議そうに瞬きをする。
「なんで急にそんな小さい声で喋るの?」
「普通に聞こえてるよ?」
「……」
『ぷっ』
作者が吹き出した。
涼太は思いっきり睨みつける。
「笑うな。」
「また?」
千夏が涼太を見る。
「……また小説のこと考えてた?」
涼太は二秒ほど黙った。
「……そう。」
「小説書いてる時って、いつもそんな感じなの?」
「最近こうなったんだよ……」
『なんか全部僕のせいみたいな言い方だね』
「お前のせいだろ。」
「ん?」
「……小説の台詞。」
「なるほど~」
千夏は納得したように頷いた。
本当に信じているのかどうか。
涼太はもう確認する気にもならなかった。
「でも、相原くんが小説を書くっていうのは本当に意外だったな」
「俺は……たまに書くだけだよ。」
「じゃあ今度、読ませてくれない?」
「え?」
涼太の足が一瞬止まる。
「読むの?」
「うん。」
「でも……」
「お願い~」
千夏は笑顔で彼を見る。
「……」
涼太はしばらく迷った。
そして。
負けた。
「わ、分かったよ……」
『押しに弱いなあ』
涼太が作者を睨む。
作者は何食わぬ顔で空を見上げた。
「やった。」
千夏は嬉しそうに笑う。
「実は私も小説を書くんだよ」
「青山さんも?」
「うん。」
千夏は頷いた。
「じゃあ今度、私のも見せるね」
「お互い書いてる者同士、交換しようよ。」
「でも絶対笑うなよ!」
「笑わないって!」
千夏は迷いなく答えた。
そして。
ふと何かを思い出したように続ける。
「でも、私が書いてる話も結構変なんだよね」
「……どれくらい?」
「んー……」
千夏は少し考えた。
「すっごく小さな怪物が一匹いてね」
「小さな怪物?」
「うん。」
「それと、一冊の本。」
「本?」
「あと、ものすごく大きな巨人。」
「……」
涼太は瞬きをした。
「その三つをどうやって一つの話にするんだよ?」
「一緒に暮らしてるの。」
千夏は当たり前のように答える。
「小さな怪物がたまにこっそり動き回って」
「本はずっとそこにいて」
「それで巨人は……」
少し考える。
「色んなことを知らないの。」
「……それ、本当に物語なの?」
「失礼だなあ。」
千夏は頬を膨らませた。
「ちゃんと書いてるんだから。」
「じゃあもうちょっと教えてくれよ。」
「やだ。」
「なんで?」
「交換した時に自分で読んで。」
「……」
『ちょっと読みたくなってきた』
「お前は読むな。」
『なんで!?』
「青山さんが俺に見せるやつだろ!」
「ん?」
千夏が再び振り向いた。
涼太の体が固まる。
「……自分の小説のこと考えてた。」
「相原くん、本当にすぐ創作モードに入るね。」
「頼むから変なキャラ付けを増やさないでくれ……」
千夏は思わず笑った。
「とにかく、今度交換しようね。」
「青山さんのと、俺の?」
「うん。」
千夏は軽く頷く。
「私も気になるし。」
「相原くんの頭の中って、いったい何が入ってるんだろうって。」
「……なんで褒められてる感じがしないんだ?」
「褒めてるよ?」
「なんで疑問形なんだよ!?」
千夏が笑う。
しかし涼太は笑えなかった。
なぜなら。
彼女が読みたがっているその世界は――
まだ存在していない。
一文字たりとも。
書いていない。
『頑張れ~、小説家・相原涼太』
「全部お前のせいだ!」
二人は再び歩き出す。
……いや。
二人と、一作者。
とにかく。
彼らは十字路へ辿り着いた。
千夏が足を止め、一方の道を指差す。
「私はこっち。」
そして涼太を見る。
「相原くんは?」
涼太は反対側の道を指した。
「俺はこっち。」
「じゃあ、ここで別々だね。」
「そうだな。」
「じゃあね~」
千夏が手を振る。
「あと、今日は部活見学に来てくれてありがと。」
「別に大したことじゃないよ。」
涼太も手を上げた。
「また明日。」
「うん。また明日~」
二人は手を振り合った。
千夏は背を向け。
ゆっくりと別の道を歩いていく。
涼太もその場を離れようとした。
夕日に染まった街。
遠ざかっていく少女の背中。
静かな放課後の十字路。
ほんの少しだけ。
青春ものらしい空気が漂い始めた。
その時――
どこからともなく。
音楽が流れ始めた。
「……」
涼太が足を止める。
眉をひそめた。
「なんで急に音楽が流れてるんだ?」
『タンタン~、タタタン~♪』
涼太が振り返る。
そこには。
どこから持ってきたのか分からないスピーカーを抱えた作者がいた。
音楽を流しながら。
本人まで気持ちよさそうに鼻歌を歌っている。
『青春だねぇ~』
「もういいだろ。」
『なんでそんな怒るの~』
作者はスピーカーを抱きしめる。
『今の、結構いいシーンだったじゃん』
『夕日、女の子、十字路、手を振ってお別れ』
満足そうに頷く。
『青春。』
「その感動的なシーンの裏で、俺は今から存在しない小説を書かなきゃいけないんだよ!」
『おめでとう~』
作者はすぐに拍手した。
『君も今日から小説家だね!』
「何がおめでとうだ!」
涼太は作者を指差す。
「今日、お前も一緒に書くんだからな!」
『は?』
「とぼけるな!」
『何~? 聞こえな~い』
作者はすぐに両耳を塞いだ。
『それに今日の話、もうそろそろ終わりでいいでしょ?』
『僕は次の話を書きに行かないと~』
言い終わるや否や。
作者はくるりと背を向け、逃げ出そうとした。
涼太は即座に手を伸ばし。
その耳をぎゅっと掴んだ。
『痛い痛い痛い痛い!』
「逃がすか!」
『分かったから! 先に離して!』
「それに、まだ話は終わってない!」
『どこが!? 夕日まで出したのに!』
「俺はこれから妹を迎えに行かなきゃいけないんだよ!」
『……』
「今ここで勝手に場面を切ったら、次に気づいた時どこまで飛ばされてるか分からないだろ!」
『大丈夫だって~』
作者はごく自然に答えた。
『せいぜい夕食まで飛ぶくらいだよ』
「だから信用できないんだよ!」
『痛い痛い! 分かったってば!』
涼太はようやく手を離した。
作者は耳を押さえながら、不満そうな顔で立っている。
涼太はため息をついた。
「それでいい。」
再び歩き出す。
「ほら、行くぞ。」
「小春を迎えに行く。」
『はいはい~』
二人が数歩進んだところで。
涼太が突然、立ち止まった。
「……待てよ。」
『今度は何?』
涼太は振り返り。
千夏が去っていった方向を見る。
「青山さん……」
少し眉をひそめる。
「なんでさっき、俺と一緒に帰ってたんだ?」
『……』
作者も立ち止まった。
「お前がそうしたのか?」
『してないよ』
「……は?」
涼太が作者を見る。
作者は当然のような顔で答えた。
『僕はただ、場面を君の帰り道まで飛ばそうとしただけ』
「じゃあ、なんで青山さんがいたんだよ?」
『……』
「……」
二人は数秒間。
黙って見つめ合った。
作者がゆっくり一歩後ずさる。
『涼太』
「なんだよ。」
作者は突然。
この上なく真剣な表情になった。
そして。
涼太を指差す。
『これは想定外なんだ!』
『僕を責めないで!』
「お前、作者だろ!」
『冒頭を丸ごと飛ばしたんだから、その途中で何があったかなんて僕にも分からないよ!』
「作者だから分かってなきゃ駄目なんだよ!」
『と、とにかく僕のせいじゃない!』
作者は踵を返した。
そして逃げた。
「待てこら!」
『やだ~~!』
夕日の下。
前を全力疾走する作者。
その後ろを追いかける主人公。
先ほどまで漂っていた、ほんの少しの青春らしさは。
跡形もなく消え去っていた。
今日も。
とても平和な放課後だった。
たぶん。
ちなみに。
小春はちゃんと無事に家へ帰りました。




