幕間:ぷんぷんネバネバ
幕間:ぷんぷんネバネバ
『みんな~、こんにちは~!』
『世界でいちばん可愛いネバネバだよ~!』
真っ白な画面の下から。
ぬるっ。
小さくて丸い頭が、ゆっくりと顔を出した。
続いて体。
最後に、ネバネバがよいしょ、よいしょと画面の中央まで這い上がってくる。
そして、丸っこい両手を元気いっぱいに振った。
『久しぶり~!』
『なんと一ヶ月ぶりだよ!』
『この一ヶ月、ネバネバは色んなことをしてたんだからね!』
とても楽しそうだ。
ネバネバは左右をきょろきょろ確認する。
誰もいない。
すると、急に声を潜めた。
『へへへ……』
『みんなにも見せてあげる』
そう言って、くるりと背中を向ける。
丸い体を左右に揺らしながら。
のそのそ。
のそのそ。
ゆっくり進んでいく。
一歩。
二歩。
三歩。
……
遅い。
ものすごく遅い。
しばらくすると。
ネバネバがぴたりと止まった。
ゆっくり振り返る。
『……』
『急かさないでよ!』
『ネバネバ、足短いんだから!』
再び前進。
のそのそ。
のそのそ。
さらにしばらく進んで。
ようやく、小さな机の前へ到着した。
その上には。
武器と呼ぶべきなのか。
工作と呼ぶべきなのか。
非常に判断に困る物体が置かれていた。
ネバネバは大きく両手を広げる。
『じゃじゃーん!』
『これだよ!』
机の上から、それを勢いよく持ち上げた。
『狼牙棒!!』
得意げに一回転。
『すごくよくできてるでしょ?』
『まあ、みんなには想像するしかないんだけどね~』
ネバネバが「狼牙棒」と呼んでいる物。
その正体は。
細い小枝。
その先端に、綿棒を何本か括りつけただけのものだった。
しかも綿棒は、ネバネバなりに一生懸命折り曲げたらしく。
微妙にトゲトゲしている。
確かに。
ものすごく頑張って見れば。
狼牙棒に見えなくもない。
ただし。
攻撃対象がアリなら。
という条件付きで。
だがネバネバ本人は大真面目だった。
両手で武器を抱え。
得意げに胸を張っている。
『これ、何に使うか知りたい?』
ネバネバがゆっくり顔を伏せる。
さっきまで可愛らしかった顔に、暗い影が落ちた。
『これはね……』
ゆっくりと狼牙棒を持ち上げる。
『作者を不意打ちするための武器だよ』
一瞬。
周囲の空気まで薄暗くなったような気がした。
『丸々一ヶ月も休載して!』
『しかも読者のみんなに何のお知らせもなし!』
『急に消えて!』
『急に更新しなくなって!』
『一ヶ月後に何事もなかったみたいな顔で「やっほ~、みんな~」って戻ってきて!』
言えば言うほど腹が立ってきたらしい。
ネバネバの小さな体が、ぷるぷる震え始める。
『許せない』
狼牙棒をゆっくり掲げた。
『ぺちゃんこにしてやる』
沈黙。
ネバネバは自分の体を見る。
『……』
『まあ、ネバネバも元から結構ぺちゃんこだけど』
二秒ほど黙った。
そして突然。
顔を上げる。
『あっ、そうだ!』
『今、顔がちょっと暗く見えるのは、わざとホコリ塗ってるからだよ!』
『色落ちしたわけじゃないからね!』
ぱん。
ぱん。
丸い手で顔を叩く。
ふわっ。
細かいホコリが舞った。
『けほっ、けほっ……』
自分で撒き散らしたホコリにむせる。
『けほ……と、とにかく!』
『ネバネバの色は健康です!』
『色落ちしてません!』
『安心してください!』
気を取り直し。
狼牙棒を握り直す。
『それに!』
『用意したのは武器だけじゃないよ!』
ネバネバは再び机の後ろへ移動した。
ごそごそ。
がさがさ。
何かを探している。
数秒後。
ひょこっ。
再び顔を出す。
頭には。
ペットボトルのキャップ。
『じゃじゃーん!』
『ヘルメット!』
普通のプラスチック製キャップだった。
ネバネバの頭には、少し大きい。
一歩動くたびに。
ずるっ。
少し下がる。
『これがあれば、作者に反撃されても頭は守れる!』
続いて。
小さな丸い段ボールを取り出した。
『盾!』
中央には。
歪んだ星のマークまで描かれている。
『作者の攻撃もこれで防げる!』
さらに。
くしゃくしゃになったお菓子の袋を引っ張り出す。
それを体に巻きつけた。
『鎧!』
カサカサ。
カサカサ。
ネバネバが自分の体を見る。
『……』
少し動く。
カサカサカサ。
『ちょっとうるさい』
二秒考える。
『でもカッコいい』
そして最後に。
小さなクッキーの欠片を持ち上げた。
表情が急に真剣になる。
『そして食料』
『これは長い戦いになるからね』
クッキーを見つめる。
ぱく。
一口。
『……』
もう一口。
ぱく。
半分になった。
ネバネバは慌てて言い訳する。
『これは戦闘前の栄養補給!』
もう一口。
『つまみ食いじゃないよ!』
さらに一口。
『本当だよ!』
そして。
食料はすべて消えた。
空っぽになった手を見る。
『……』
しばし沈黙。
ネバネバは顔を上げた。
『大丈夫』
『真の戦士は補給なんかに頼らないから』
キャップのヘルメットを被り直す。
お菓子の袋の鎧を纏い。
左手には盾。
右手には狼牙棒。
机の上に堂々と立つネバネバ。
本人だけは。
ものすごく勇ましいつもりだった。
『よし!』
『作戦開始!』
狼牙棒を高々と掲げる。
『今日こそ!』
『読者のみんなの恨みを晴らしてみせる!』
『作者!』
『ネバネバの制裁を受けるがいい!』
くるりと背を向ける。
一歩。
二歩。
三歩。
……
『……』
止まった。
『遠い』
短い足を見下ろす。
『復讐って大変だね』
それでも。
諦めない。
のそのそ。
のそのそ。
どれくらい進んだのか。
ようやく、見慣れたスマホの画面へ到着した。
ネバネバは周囲を見回す。
作者はいない。
よし。
画面に体をぺたりとくっつける。
すると。
水面へ沈むように。
少しずつ。
少しずつ。
ネバネバの体がスマホの中へ吸い込まれていった。
次の瞬間。
現実世界。
スマホの横から。
小さなネバネバが、そっと姿を現す。
『……』
まずは頭だけ。
右を見る。
左を見る。
誰も気づいていない。
よし。
何より。
絶対に守らなければならないことがある。
作者は。
ネバネバの存在を知らない。
だから。
『絶対にバレちゃ駄目』
ネバネバは読者にだけ聞こえるよう、小声で言った。
『見つかったら、絶対追い出されちゃうから』
体を低くする。
慎重に前へ進む。
ずるっ。
キャップが目元まで落ちてきた。
『……』
止まる。
キャップを押し上げる。
また歩く。
カサカサ。
お菓子袋の鎧が音を立てた。
ネバネバが凍りつく。
『……』
自分の鎧を見る。
前方を見る。
二秒考えた。
迷いなく脱いだ。
『うるさい』
盾もそっと置く。
『これも置いていこう』
残った装備は。
キャップのヘルメット。
そして。
何より大切な。
小枝と綿棒で作った狼牙棒。
ネバネバはそれを大事そうに抱え。
さらに進んでいく。
そして。
見つけた。
作者だ。
作者は机に座り。
スマホを見ている。
指を忙しなく動かしていた。
ネバネバはすぐ物陰に隠れる。
半分だけ顔を出した。
『見つけた……』
目を細める。
作者はまったく気づいていない。
ネバネバはこっそりスマホの画面を覗いた。
『……』
ゲーム。
顔が一気に暗くなる。
『やっぱりゲームしてる』
作者は椅子にもたれたまま。
自分の後ろから秘密のマスコットが、自作武器を持って近づいてきていることなど知る由もない。
ネバネバは少しずつ進む。
ちょっと。
ちょっと。
もうちょっと。
ついに。
作者のすぐそばまで辿り着いた。
見上げる。
作者。
大きい。
ネバネバ。
小さい。
手に持った狼牙棒を見る。
作者を見る。
『……』
少し考える。
そして。
力強く頷いた。
『いける』
何がいけるのかは分からない。
でも本人はいけると思ったらしい。
両手で狼牙棒をしっかり握る。
ゆっくり持ち上げる。
『作者……』
反応なし。
『一ヶ月も休載して……』
反応なし。
『読者にも何も言わず……』
作者はまだスマホを見ている。
ネバネバの顔がどんどん険しくなる。
『そのうえゲームしてる……』
狼牙棒を限界まで振り上げた。
『許せない!』
そして。
全身の力を込めて。
作者の手の甲へ。
思いっきり振り下ろした。
『くらええええ!』
ぺち。
ものすごく小さな音。
作者の指が、一瞬止まった。
ネバネバの体も固まる。
『……』
作者が自分の手の甲を見る。
ネバネバは机にぺたっと伏せた。
ぴくりとも動かない。
作者は手の甲を軽く擦った。
「……蚊?」
ネバネバ。
『……』
作者は気にしなかった。
そのまま再びゲームを始める。
ネバネバは。
ゆっくり。
ゆっくり。
顔を上げた。
作者を見る。
手元の狼牙棒を見る。
『……』
そして。
目が輝いた。
『成功した』
満面の笑み。
『当たった』
『へへへ~』
もちろん。
ダメージはない。
作者は蚊に刺されたとすら思っていない。
たぶん。
少し触れた程度にしか感じていない。
だが。
そんなことはどうでもいい。
ネバネバは成功した。
作者を。
ちゃんと殴った。
『ふふん』
満足そうに狼牙棒を肩へ担ぐ。
『ネバネバの恐ろしさ、思い知ったか』
作者は当然。
何も思い知っていない。
しかしネバネバは心の底から満足していた。
くるり。
背中を向ける。
こっそり撤退開始。
一歩。
二歩。
三歩。
途中で。
ふと振り返った。
まだゲームをしている作者を見る。
『……』
狼牙棒を再び掲げた。
『今度また、読者に何も言わず休載したら』
『また来るからね』
少し考える。
さらに付け加える。
『次は、もっと大きい狼牙棒にする』
今の武器を見る。
小枝。
綿棒。
『最低でも……』
真剣な顔。
『綿棒をもう一本増やす』
大きく頷いた。
『威力が二倍になるはず』
満足。
ネバネバはまた、のそのそとスマホへ戻っていった。
画面の前まで来る。
体をゆっくり中へ潜り込ませる。
完全に消える直前。
ひょこ。
ネバネバが顔だけ出した。
読者を見る。
人差し指を口元に当てる。
『しーっ』
『今日のこと、絶対作者には言っちゃ駄目だよ』
『作者はネバネバの存在を知らないんだから』
『バレたら大変なことになるからね』
少し考える。
自分の狼牙棒を見る。
そして。
得意げに笑った。
『でも今日の復讐は大成功!』
『作者、最後までネバネバだって気づかなかった!』
『へへへ~』
狼牙棒を高く掲げる。
『読者のみんな!』
『みんなの恨みは、ネバネバが晴らしておいたからね!』
『お礼はいらないよ!』
『だってネバネバは、世界でいちばん可愛いから~!』
再びスマホの中へ潜っていく。
最後に。
丸っこい手だけが画面の外に残った。
ふりふり。
『じゃあ、またね~!』
『ばいば~い!』
手も消えた。
画面が静かになる。
数秒後。
ひょこ。
また半分だけネバネバの頭が出てきた。
『……あと』
『絶対に告げ口しちゃ駄目だからね』
『本当だよ』
目を細める。
狼牙棒を掲げる。
『じゃないと……』
間。
『次は、君だからね』
……
ネバネバ自身が先に笑ってしまった。
『へへへ、冗談だよ~』
『ネバネバは読者を殴ったりしないもん』
『おやすみ~』
今度こそ。
ネバネバは本当に姿を消した。




