小劇場 ネバネバのお天気探検
小劇場 ネバネバのお天気探検
『はろ~、みんな~。またネバネバの時間だよ~』
窓辺に置かれた小さな粘土の怪獣が、陽の光を浴びながら、ゆっくりと体を揺らした。
まるで読者に手を振っているみたいだった。
『今日の窓辺も気持ちいいね~』
『お日さま、ぽかぽかしてる。ネバネバ、お日さま大好き』
ネバネバは、もう少しだけ窓に近づいた。
金色の光が、丸い体の上に落ちる。
あたたかい。
明るい。
まるで誰かが、やわらかい毛布をそっとかけてくれたみたいだった。
『きもちいい……』
ネバネバの体が、少しずつ柔らかくなっていく。
『……ん?』
ネバネバは、自分の体を見下ろした。
『あれ?』
体の端が、ほんの少しだけ外側へ広がっていた。
『だ、だめだ~!』
『体が溶けちゃう~!』
ネバネバは慌てて二本の小さな手を伸ばし、空中をぱたぱたと振った。
何かをつかもうとしているみたいだった。
けれど、何もつかめない。
なぜなら、空気は粘土を助けてくれないからだ。
これは、とても残酷な自然法則である。
『お日さま……熱いよ~!』
『ネバネバ、もうだめかも~!』
ネバネバが、自分はこのまま奇妙な粘土せんべいになってしまうのではないかと思った、そのとき。
窓の外から、ゆっくりと雲が流れてきた。
雲は太陽を隠した。
窓辺に落ちていた光が、少しだけ薄くなる。
ネバネバの体は、ようやくそれ以上柔らかくならなくなった。
『ふう……』
ネバネバは窓辺にぺたりと倒れ込んだ。
まるで、大きな危機を生き延びた者の姿だった。
『助かった……』
『お日さま、悪い子だね』
ネバネバは小さく文句を言った。
さっきまで大好きだと言っていたのに。
ネバネバの好き嫌いは、どうやら温度によって変わるらしい。
しばらくすると、窓の外の雲がどんどん増えていった。
空は少しずつ暗くなっていく。
やがて、雨粒がぽつぽつと窓ガラスに落ち始めた。
ぽつん。
ぽつん。
ぽつん。
ネバネバは顔を上げた。
『雨だ』
窓に顔を近づける。
丸い体が、ほとんどそのままガラスにくっつきそうになった。
『雨粒が歩いてる』
窓ガラスについた水の粒が、ゆっくり下へすべっていく。
それは、透明な小さな道のようだった。
ネバネバは目を輝かせた。
そのとき、下の道を誰かが走ってくるのが見えた。
その人は両手にいくつかの袋を持って、急いで家のほうへ向かっている。
『あれは……涼太のお母さん?』
美咲だった。
美咲は手に持った袋を守るようにしながら、雨を避けて家へ急いでいた。
『お母さん! がんばって!』
ネバネバは窓ガラスにぺたりとくっつき、下にいる美咲を一生懸命応援した。
『あと少しだよ!』
『もうちょっと!』
もちろん、美咲にはまったく聞こえていない。
二階の窓辺で、小さな粘土の怪獣が自分を応援しているなんて、普通は誰も思わない。
雨は少し強くなっていく。
美咲が玄関の近くまで来たとき、足元に小さな水たまりがあった。
ネバネバは目を大きく開いた。
『水たまり! 気をつけて!』
小さな声で叫ぶ。
偶然かどうか、美咲もその水たまりに気づいた。
彼女は軽く一歩跳んで、無事に水たまりを越えた。
『ふう~』
ネバネバはほっと息をついた。
『お母さん、若いねぇ』
美咲が無事に家へ入ったあと、ネバネバはまた窓の外へ目を向けた。
雨の中の世界は、いつもと少し違っていた。
地面がつやつやと光っている。
木の葉が雨に打たれて、ぴくぴくと震えている。
排水溝の近くでは、何かがゆっくりと這い出してきた。
『ミミズがいっぱい!』
ネバネバは驚いて窓の外を見つめた。
『みんなも旅してるのかな?』
少し離れた草むらから、小さなカエルがぴょんと跳び出してきた。
カエルはぴょん、ぴょん、と水たまりの中へ跳び込む。
水面に小さな水しぶきが上がった。
『あ! あれはカエル?』
ネバネバの体が、嬉しそうに揺れた。
『すごい! 雨の日って、いつも見えない小さな生き物がいっぱい出てくるんだね!』
ネバネバはミミズを見た。
カエルを見た。
それから、雨に濡れて小さな毛玉みたいになった小鳥が、木の枝の下で羽を震わせているのも見つけた。
『小鳥……ちっちゃくなってる』
ネバネバは少し心配そうに、その小鳥を見つめた。
『がんばれ、小鳥』
雨の音はしばらく続いた。
けれど、やがて少しずつ弱くなっていく。
窓を叩いていた雨粒の音が、たくさんの音から、ぽつり、ぽつりという少ない音に変わっていった。
外の空も、少しずつ明るくなっていく。
『雨、やんじゃうのかな……』
ネバネバは、消えていく小さな水しぶきを見ながら、少し残念そうにつぶやいた。
雨がやんだら、ミミズもカエルも、また見えないところへ帰ってしまう。
そのときだった。
雲の向こうから、光が差した。
ネバネバは顔を上げる。
空の一角に、ゆっくりと色の橋が浮かび上がっていく。
赤。
橙。
黄色。
緑。
青。
紫。
その色たちは、雨上がりの空に静かにかかっていた。
まるで誰かが、空にこっそり綺麗な線を描いたみたいだった。
ネバネバの体が、ぴたりと止まる。
『あ……あれは……』
そして、急に大きく揺れた。
『虹!』
『みんな見て! 虹だよ!』
ネバネバは興奮して、二本の小さな手をぶんぶん振った。
窓辺で小さく跳ねる。
『きれい!』
『すっごくきれい!』
ネバネバは、窓の外の虹をずっと見つめていた。
今日の陽の光は、ネバネバを溶かしかけた。
雨は美咲を急いで家へ走らせた。
ミミズやカエルや小鳥は、いつも見えない場所から姿を見せた。
そして最後に、空は虹を見せてくれた。
ネバネバは、少しずつ静かになっていく。
小さな手を窓ガラスにぺたりとつけた。
『今日、ネバネバは分かったよ』
『天気って、ころころ変わるんだね』
『気持ちいいときもある』
『ちょっと危ないときもある』
『みんなを急がせるときもある』
『でも、とってもきれいなものを連れてきてくれることもあるんだ』
ネバネバは少し黙り、真剣に考えるような顔をした。
『だから今日は……』
『ネバネバのお天気探検』
そう言って、満足そうに頷いた。
もっとも、ネバネバが頷く姿は、丸い粘土の塊がぽよんと弾んだようにしか見えなかった。
階下から、美咲が袋の中身を片づける音が聞こえてくる。
洗面所のほうからは、水の流れる音もした。
家の中は、またいつもの空気に戻っていく。
ネバネバは窓辺に座り直し、雨上がりの光をそっと浴びた。
『読者のみんな』
ネバネバは小さな声で言った。
『今日のことも、秘密にしてね』
『特に作者には内緒だよ』
『知られたら、きっと「天気回でも一話できるじゃん」とか言い出すから』
ネバネバは少し黙った。
『……まあ、ほんとに一話できちゃったけど』
ネバネバは、また小さな置物のふりをする姿勢に戻った。
窓の外では、虹がまだ淡く空にかかっている。
『次は、もっといろんなものを見たいな』
『ねば~』




