106話 穢典庫
祈りを捧げるための神室には女神様の木像があった。
声を重視するからだろう。
僅かに唇が開かれ、啓示を与える直前を精密に表していた。
「お掃除終わったら、ガーベラさんの分もありますからね~~。」
「は~い。」
まるで言い訳をするように私たちは大きく声を上げた。
滑らかな木の曲線と、ズシリという重みを感じる。
私は女神様を台から降ろした。
信者が屈む地面より少し高いそれは、蓋となっていた。
彼女の足元に隠された鍵穴に挿入する。
カチャ
上でおやつの皿を重ねた音か、それとも鍵の金具が返る音か。
それを判別できないことを祈って開く。
中は薄暗く、ロウソクの炎がなければ覗き込めない。
木造りの階段の下。
そこは少し広い空間。
石の壁は飾り気がなく、吐く息は冷たく凍える。
冷たい壁を撫でながら降りると、古びた木の棚の感触が伝わってきた。
「……55番・いわくつきのチェスボード。」
陳列された木箱を火に照らしながら私は呟いた。
地下の冷気は乾いていて、鼻の奥が少し痛んだ。
だが、棚板も木箱も、指先にだけ薄く湿り気を返した。
この感触は聖水で拭き取ったものだろう。
それも、随分と高頻度。
埃臭さは無く、清潔だと理解できた。
………いや、清潔という言葉は不一致か。
清くも潔くもない何かが、すぐ隣で息を潜めている。
そんな感覚が肌を汗で湿らせた。
なるべく早く調べるために、中心から棚を眺めた。
番号は階段の左脇から始まり、壁沿いに右奥まで続いていた。
木箱が積んであったり、本棚として一か所にまとめられていたり。
中には、壺の中の聖水に沈められている刃片もあった。
与えられた時間はそう長くはない。
今重要なのは、”信仰者”という組織が関わっているかだ。
存在は広まっていないが、神の降誕による世界の破滅を目論む集団。
………蘇らせる神が何者なのかは分かっていない。
だから、とにかく強力な気配を探ろう。
そう思い、目を閉じて清聴する。
だが、あるのは肌をなぞるような不快感。
身体を突き刺すような恐怖はどこにもなかった。
目を開き、次は全体を俯瞰した。
二度か三度。
ぐるぐる身体を動かしながら見定める。
木箱
本棚
剣置き
水壺
木箱
本棚
剣置
水壺
木箱
本棚──
本棚?
目に留まったのは本棚の右下あたり。
黒い表紙の一冊。
その本だけ、何かが違った。
僅かな違和感の理由を探ると、手に取った瞬間に分かった。
栞が挟まっている。
木を薄く削ったそれが、僅かに本からはみ出ていた。
そこには二重丸も刻まれている。
エルファノさんのものだ。
そして、栞というものはそこで読むのを止めた証。
つまりは読んでいた証である。
任されているのは保管だけのはずだ。
「これだ……!」
興奮を身体に押し込めて、小さく呟いた。
何かを掴んだ確信のまま、栞の挟まれたページを開く。
『十月七日午後三時 初めて来た街。リンゴを盗んでやった。』
綺麗な、むしろ綺麗すぎて人間味の無い文字で書かれていた。
『午後3時2分 爽やかな気分を、握られた感触が邪魔をする。』
『午後3時8分 魔道士に追い詰められ、居合わせた執行官に取り押さえられた。クソが。』
『午後3時9分 魔道士の顔を見上げると、そいつは女。それもガキだった。』
左上から箇条書きで記される文章に目を走らせると情景が浮かんでくる。
これは私が昔取り押さえた男が書いたのか?
『午後4時18分 牢屋。あの赤毛を思い出すと腹が立って来た。』
『午後4時18分 俺がやらかしたのは別の街でだ。』
『4時19分8秒 何故こんなちんけな罪で裁かれんにゃならんのだぁ?』
そこまで読んだ時点で理解する。
栞というのは目印でもある。
人に、ここを読むようにという印。
『19分20秒 あの女が悪い。』
『19分28秒 あの女が憎い。』
『19分39秒 あの女が居なければ。』
『40.087秒 ぜってぇブッ殺してやる。』
ぬるりとした感覚が、手の甲を撫でた。
魔力や肉体の感触ではない、純粋な不快感。
黒い何かが這っていた。
垂れた粘液がそのまま枝分かれし───
「クソッたれがぁーーーーー!?」
──こちらに向かってきた。
動きは素早い。
人肌より少し熱いくらいのそれは、腕を舐るように這い上がる。
僅かに裏返った声には意に介さず、袖の下へ潜り込む。
ジワリとかいた汗と混ざって、粘つく感触だけを残した。
「か…はっ………!」
胸にまで熱さが這いあがった時、急激な窒息感が始まった。
腕だけがあるその黒い何かは私の首を絞めていた。
うめく声が僅かに漏れるだけ。
「ま……法……使え……な……」
指を入れる隙間すらない。
強いというより、緩める気が一切ない。
脈の無いその腕は、黒く蠢くだけで言葉を持たなかった。




