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COLORS  作者: 和泉 兎
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銀竜

柔らかい風が顔をそっと撫でていく。

深い眠りへと誘う優しい感触を、鵺は力無く受け入れていた。

常に浅い睡眠しかとらず、他人に隙など見せたことのない男は安らかな顔で眠っている。


絶え間なく風に揺れる髪が瞼をくすぐり、少しずつ意識が引き上げられてゆく。

目元をわずかに震わせて覚醒した鵺は、ゆっくりと目を開けた。

霞む視界は大きく揺れ動き、目が回る。視界をクリアにするために、もう一度目を瞑り再度開いた。

しかし目眩は治まらず、鵺は目にした光景に呆然とした。


自分の感覚がおかしいのではない。紛れもなく鵺の身体は揺れ動かされ、周りの景色は次々に流れていた。

見えるのは一面の森。葉は夜の色を吸い込み真っ黒く、海原のように波打っている。

眼下にあったのは、誰も見たことがないであろうアングルの森だった。


空を飛んでいる。


息苦しさと腹の圧迫感に次第に意識がはっきりしてくると、状況を確認するべく顔を巡らせた。

腹の下には綺麗に整列した銀色の鱗が隙間無く並び、既に月は沈んでいるにもかかわらず煌めいている。

鵺は鱗に覆われた丸太のようなそれに、うつ伏せの状態で布団を干すように乗せられていた。

見間違うはずもないその色は、銀竜の色。

鵺は空を飛ぶ銀竜の首の付け根に横たわり、運ばれていたのだ。


なぜこんな状況に陥っているのかと思考を巡らせるが、未だ朦朧とする頭では事態を把握できなかった。身体の様子もおかしい。

こんなに眠気を感じたことも、頭が回らないなんてことも初めてだ。

それでも何故か、不安も焦りも不思議と感じない。

何とか力を入れて腹這いの体勢から身体を起こし、予想に反して温かく柔らかい銀竜の首もとに跨がった。

その動きに銀竜はわずかに顔を向ける動きをしたが、振り返ることもなく何事もなかったかのように羽ばたきを続ける。鵺は全身に冷たい風を受けて目を細めた。

気温は寒いくらいだが、すっきりとしない身体には心地好かった。

地平線を一望できるこの景色も悪くない。

銀竜は一番強く光る星に向かっているようだった。大きな翼を繰り返し上下に動かしながら、まっすぐに飛び続ける。


どれくらい飛んだのだろうか。それまで森よりも大分上空を飛んでいた銀竜だったが、次第に高度を落とし始めた。

前方に見えた森の切れ目に向かってどんどん降りていくと、ぽっかりと小さく開いた木々の隙間に巨体を滑り込ませた。

衝撃もほとんどなく風と共にふわりと地に降りると、銀竜は頭を低く下げた。鵺はすぐに理解して首から降りる。

降りた場所は森に囲まれた小さな湖だった。


銀竜は湖に近付き澄んだ水に口を付け、水を飲み始める。

鵺も喉の渇きをおぼえて同じように水を飲んだ。


「腕を見せてみろ」


突如、低いしゃがれた声が聞こえ鵺は顔を上げた。

声のした先には銀竜しかいない。だが今聞こえたのは間違いなく鵺に掛けられた言葉だった。

一体誰がどこから、と見回しても何の気配もない。


「呪いを受けただろう。腕を見せてみろと言っているのだ」


鵺は耳と目を疑わずにはいられなかった。再度掛けられた低く轟くその声は、銀竜から発せられていた。

銀竜はしっかりと鵺と視線を合わせ、喉を震わせて語り掛けている。

人語を解し操る竜など聞いたこともないが、生物の中で最も聡いと云われる伝説の銀竜だ。鵺は事実のみを受け止め耳を傾けた。


「……呪い?」

「そうだ」


言われてあの時の腕の痛みを思い出した。今では何でもないが、確かに傷を負った時の痛みと違い、精神を直接攻撃されているような苦しみがあった。

そして、この喪失感。

身体のだるさと意識の混濁は次第に治まってきていたが、何か大切なものを無くした感じが消えない。


「あのときの白いやつか……」


鵺はグエルの最後を思い出した。屍の指から伸びた光は確かに腕に届いていた。

グエルは死の間際に反撃を成功させていたのだ。


銀竜に言われるままにコートを脱いで腕を捲ると、そこには白い紋様が描かれていた。

細かな模様がぎっしりと渦を巻き円状に並んでいる。銀竜は顔を近付けてそれを覗き込み呟いた。


「成立しているな」

「成立?」

「完全に呪いを受けてしまっている、という事だ」

「……そうか」


鵺はそう聞いてもショックを受けてはいなかった。

自分が呪いを受けたという現実だけを理解し、この気持ちの悪い感じと体調の悪さがそのせいだということが判っただけで、少しすっきりした。


「何の呪いかわかるか?」


鵺は銀竜に向き直り問い掛けた。


「ああ。おそらくそれは封印の呪いだろう」

「封印……」

「何か封じられたはずだが、わかるか?」


まさかと思いつつも思い当たる節があり、鵺は魔弾を一つ取り出すと掌の上にのせた。いつものように力を込めるが、反応はない。魔弾は燃えずにその手にあり続けた。


「魔術が使えない」


この喪失感は魔力を封じられたことによるものだったのか。妙に納得して魔弾をしまう。


「その呪い、解きたいか?」


銀竜の言葉に、鵺は静かに考えた。


「わからない」


しばらくしてやっと言葉を返す。


「俺は“鵺”だ。人じゃない。でも魔力がなくなったら、俺は何だ?」

「……人になりたいのか?」

「いや、そんなものはどうでもいい。ただ、縛られるのは嫌だ」

「そうか」


お互いに湖畔を見つめ、沈黙が流れた。


「魔力がなくても何も変わらないだろう。その瞳の色だけで縛ろうとするものはいくらでもいるぞ。私も、呪われているのだ」


鵺は目を見開いた。そうだ。確かにこの銀竜からは魔力を感じなかった。

鵺と並び伝説になるほどの力を持つ銀竜が、人に囚われていたのもその為か。魔力が封じられていたために、無意味に鱗が剥がされることもなかったのだろう。

もしかするとコレクターには魔具としての価値より、この容姿だけでも十分だったのかもしれない。


鵺は銀竜を見た。


「呪いを解きたい」


銀竜も鵺を見た。


「ついでに、お前の分もまとめて解いてやる」


続けて聞こえた鵺の言葉に、今度は銀竜が少しだけ目を見開いた。


「助けてもらったからな」


あのとき、グエルの屋敷で意識を失ったままいれば、今頃は間違いなく主に捕らわれていただろう。これまでの銀竜の生活は、これからの鵺の生活だったかもしれないのだ。

銀竜は恐ろしい雄叫びを上げて唸った。

肉食獣の喧嘩かと思うほどの迫力だったが、どうやらそれは銀竜の笑い声らしい。


「そうか、では私の分も頼むとしよう。だが、先に助けられたのは私の方なのだ」


笑いを抑えると、ぐるぐると咽を鳴らして言った。


「グエルと戦っていたとき、柱を破壊しただろう?あれは私を閉じ込めていた檻だったのだ。こわしてくれたおかげで、拘束の魔術が解けた」


あれか、と鵺は納得した。

だから最初、銀竜の存在に気付かなかったのだ。


「本当に助かった。感謝する」


鵺は生まれて初めて掛けられた感謝の言葉にかすかに戸惑いの表情を浮かべたが、銀竜は気付かなかった。


「私の名はアルファルドだ」


名を持つ竜というのも聞いたことはないが、もう不思議には思わなかった。

そして、鵺も自らの意思で名乗る。


「俺は鵺。他に俺を指す言葉はない」

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