最終章「答えは、鏡の中にない」
ライブ当日。
冬城律は、いつも通りだった。
少なくとも。
周りから見れば。
衣装。
イヤモニ。
靴。
髪。
メイク。
立ち位置。
出番順。
必要なものは、全部確認した。
「律、今日もう3回くらい確認してない?」
隣から、凪野乃々香。
「3回じゃ足りないこともあるでしょ」
「今日の律、いつも通りすぎる」
「いつも通りで悪い?」
「悪くない」
乃々香は笑う。
「むしろ安心する」
律は少しだけ乃々香を見る。
「何それ」
「りつまるこっぺって感じ」
「その呼び方やめて」
「本番の日も通常営業」
「意味分かんない」
言いながら。
律はもう一度、セットリストを見た。
いつも通り。
でも。
胸の奥だけは。
少し違っていた。
◇
リハーサル。
客席には、まだ誰もいない。
照明だけがステージを照らしている。
律は自分の位置につく。
音が始まる。
身体が動く。
入り。
移動。
サビ。
最後のポーズ。
全部。
大丈夫。
振付の先生から細かい修正が入る。
「律、そこ半歩だけ前」
「はい」
すぐ直す。
それはできる。
言われたことを直す。
間違いを見つける。
正しい位置へ戻す。
やっぱり。
こういうのは、安心する。
「じゃあ本番、楽しんで」
先生が言う。
律も。
「はい」
と返した。
でも。
その言葉だけ。
少し引っかかった。
楽しむ。
それも。
正解が分からない。
◇
本番前。
控室の端にある鏡の前。
律は一人で立っていた。
衣装姿の自分。
髪も。
メイクも。
大丈夫。
律は小さくサビの振りをやる。
いつもの角度。
止まる。
もう一度。
少し強く。
止まる。
もう一回。
今度は少し抜く。
「……違う」
小さく呟く。
でも。
何が違うのかは分からない。
前なら。
そこから答えが出るまで続けていた。
何度も。
何度も。
でも今日は。
一度、腕を下ろした。
鏡を見る。
そこにいるのは。
いつもの冬城律。
それだけ。
「まだ探してる?」
後ろから声。
鏡越しに。
乃々香が立っている。
「何を」
「答え」
律は少しだけ笑った。
「分かるんだ」
「なんとなく」
「禁止」
「今日くらいいいじゃん」
乃々香は律の隣に立つ。
鏡の中に。
二人並ぶ。
「で?」
「何」
「見つかった?」
律は鏡を見る。
少し考える。
「……ない」
「そっか」
それだけ。
乃々香は、何も言わない。
律は続ける。
「鏡見れば、間違ってるところは分かる」
「うん」
「角度も」
「うん」
「位置も」
「うん」
「表情も」
「うん」
「でも」
少し息を吐く。
「どうしたいかまでは、映ってない」
乃々香は律を見る。
「じゃあ、どうするの」
律は。
少しだけ考えて。
答える。
「やってみる」
「何を?」
「それは」
一瞬。
言葉が止まる。
でも。
前みたいに焦らない。
「……その時決める」
乃々香が笑う。
「いいじゃん」
「何が」
「知らない」
「また」
その時。
スタッフの声が飛ぶ。
「スタンバイお願いします」
律は鏡から離れる。
乃々香も。
歩き出す。
数歩進んで。
乃々香が言う。
「りつまるこっぺ」
「何」
「今日の律、なんか好き」
「まだ何もしてないけど」
「なんとなく」
律は少しだけ目を細める。
「……今日は許す」
乃々香が立ち止まった。
「え」
「何」
「今、許した?」
「行くよ」
「律がなんとなく許した!」
「言ってない」
「言った!」
「早く」
律は少しだけ早足になる。
でも。
笑っていた。
◇
ステージ袖。
16人が集まる。
この先。
出る曲も。
立つ場所も。
それぞれ違う。
でも。
今は。
同じ場所にいる。
新宮楓花がみんなを見る。
「行こう」
短い。
でも。
それで十分だった。
律も周りを見る。
いつもの16人。
隣には乃々香。
「緊張してる?」
「してる」
乃々香が少し驚く。
「素直」
「別に隠すことじゃないでしょ」
乃々香が笑う。
「やっぱ変わった」
「それ、最近みんな言うね」
「本当だからじゃない?」
律は少しだけ考えて。
「……そうかも」
乃々香の目が大きくなる。
「認めた」
「うるさい」
出番が呼ばれる。
律は一度。
深く息を吸う。
答えは。
ない。
それでも。
前へ出る。
◇
音が鳴る。
照明。
歓声。
客席の光。
一気に世界が変わる。
律は立ち位置につく。
身体が動く。
ここまで。
何度も練習した。
何度も確認した。
何度も考えた。
だから。
今は。
少しだけ。
考えなくても踊れる。
Aメロ。
抑える。
サビ前。
一歩。
踏み込む。
その瞬間。
頭の中に。
いくつも浮かぶ。
これでいい?
強すぎる?
やりすぎ?
戻る?
ほんの一瞬。
足が止まりそうになる。
でも。
戻らない。
そのまま。
いつもより。
少し強く踏む。
視線を上げる。
前を見る。
客席。
光。
声。
次の振り。
手を伸ばす。
少し大きく。
誰かに言われたわけじゃない。
動画で見たわけでもない。
ノートにも書いていない。
ただ。
今は。
こっちがいいと思った。
それだけ。
次の瞬間。
乃々香と目が合った。
気がした。
本当に合ったかは分からない。
でも。
乃々香が笑った。
ように見えた。
律も。
少しだけ笑う。
それで。
次へ進んだ。
◇
曲が終わる。
歓声が残る。
律は最後のポーズのまま。
数秒。
呼吸だけが速い。
正しかったか。
分からない。
でも。
妙に。
気持ちが軽かった。
ステージを降りる。
袖に入った瞬間。
乃々香が来る。
「律」
「何」
「今の」
「何」
「やったでしょ」
律はタオルを受け取る。
少しだけ目を逸らす。
「……やった」
「どうだった?」
律は考える。
「怖かった」
「うん」
「でも」
一度。
水を飲む。
「嫌じゃなかった」
乃々香が笑う。
「じゃあいいじゃん」
律も。
少しだけ笑った。
「それでいいのかな」
「知らない」
「またそれ」
「でも」
乃々香は言う。
「律がやったんでしょ」
それだけ。
律は。
何も返さなかった。
でも。
その言葉は。
残った。
◇
全体の出番が終わったあと。
控室。
メンバーたちが。
今日のことを話している。
楽しかった。
暑かった。
あそこ危なかった。
写真撮ろう。
いつもの声。
律は少し離れたところで。
靴紐を直していた。
「律」
振付の先生。
律は立ち上がる。
「はい」
先生は。
少しだけ律を見る。
「今日、良かったよ」
律は一瞬。
聞き返しそうになる。
どこが。
何が。
どのくらい。
何点。
いつもの癖。
でも。
その言葉を。
飲み込む。
「ありがとうございます」
先生が笑う。
「聞かないんだ」
「何をですか?」
「どこが良かったですか、って」
律も少し笑う。
「聞こうと思いました」
「やっぱり」
「でも」
一度。
ステージの方を見る。
「今日は、いいです」
先生は頷いた。
「うん」
それだけ。
律も。
それ以上は聞かなかった。
◇
着替えを終える。
控室には。
もう人が少なくなっていた。
律は最後に。
もう一度だけ。
鏡の前に立つ。
朝と同じ。
でも。
少し違う。
髪は少し崩れている。
メイクも。
少し落ちている。
完璧ではない。
それでも。
朝より。
今の方が。
自分に見えた。
「帰るよー」
乃々香の声。
律は振り返る。
「今行く」
「りつまるこっぺー!」
律は。
鏡を見る。
あの日。
先生から。
「律が見えない」
と言われた。
今。
そこに映っている自分が。
どれだけ見えているのか。
それは。
まだ分からない。
たぶん。
これからも。
分からない時はある。
でも。
律は。
もう鏡に答えを求めなかった。
「乃々香」
「何ー?」
「その名前」
「りつまるこっぺ?」
少し間。
「……まあ、もういい」
乃々香が振り返る。
「え!?」
律は笑う。
「早く帰るよ」
「なんで急に許したの!?」
律は歩き出す。
少しだけ考える。
でも。
理由は。
別に。
なくてもいい。
「なんとなく」
後ろで。
乃々香が叫ぶ。
「今言った!」
律は振り返らない。
ただ。
少しだけ笑う。
答えがないまま。
選ぶことは。
まだ少し怖い。
でも。
そのままでも。
前には進める。
冬城律は。
鏡から離れて。
廊下へ出た。
ーー続く




