↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/6

エピローグ「正解じゃなくても」

数日後。


また、新しい振付が始まっていた。


「はい、そこ一回止めます」


振付の先生の声で、音が切れる。


冬城律はその場で息を整えた。


まだ振入れの途中。


動きも完全には身体に入っていない。


先生が何人かに修正を入れていく。


そして。


「律」


「はい」


律が顔を上げる。


「ここ、今の形でも間違いじゃないんだけど」


「はい」


「律なら、どうしたい?」


ほんの一瞬。


身体が止まる。


以前なら。


ここで先生の表情を見ていた。


何を求めているのか。


どちらが正しいのか。


先に答えを探していた。


でも今日は。


律は何も聞かずに、もう一度その振りをやってみた。


一度目。


今まで通り。


二度目。


少しだけ手を低く入れて。


そこから強く出す。


「あ」


小さく声が漏れる。


先生が待っている。


律は少し考えてから言った。


「私は、こっちでやってみたいです」


「うん。どうして?」


理由。


頭の中には。


すぐにいくつも浮かぶ。


音との相性。


腕の軌道。


全体の見え方。


歌詞。


でも。


今、自分がそれを選んだ理由は。


たぶん。


もっと単純だった。


「……こっちの方が好きだからです」


少し離れたところで。


「おお」


という声。


律が横を見る。


凪野乃々香が、にやにやしていた。


「何」


「言えるじゃん」


「何が」


「好きだから」


「別に普通でしょ」


「前の律なら絶対言わなかった」


「またそれ」


「りつまるこっぺ、成長したねえ」


「その名前で成長を語らないで」


近くにいた新宮楓花が笑う。


「でも、本当に変わったよね」


律は少し眉を寄せる。


「楓花まで」


「前だったら、先生に聞き返してた気がする」


「何を?」


「どっちがいいですか、って」


律は。


少しだけ黙った。


「……そうかも」


乃々香がすぐ反応する。


「認めた!」


「うるさい」


また笑いが起きる。


律も。


少しだけ笑った。


     ◇


休憩時間。


楓花が鞄の中を探していた。


「あれ」


律が気づく。


「何探してるの?」


「イヤホン」


「右の小さいポケット」


楓花が止まる。


「なんで分かるの」


「さっき入れてたから」


ポケットを開ける。


「あった」


「でしょ」


乃々香が横から顔を出す。


「出た、楓花専属家政婦」


律はすぐ返す。


「まだ専属じゃない」


「なるつもりなの?」


「本人の許可が出れば」


楓花が吹き出す。


「本当に来そうだから怖い」


「行くよ」


即答。


「掃除もするし」


「え」


「洗濯もする」


「え」


「冷蔵庫も整理したい」


乃々香が笑う。


「重い重い!」


律は真顔のまま続ける。


「生活動線も見直したい」


「もう家政婦じゃないじゃん!」


楓花も笑いながら聞く。


「それって愛情なの?」


律は少し考える。


昔なら。


冗談にして逃げていたかもしれない。


でも。


「……両方」


「何と両方?」


「愛情と業務改善」


一瞬。


沈黙。


そのあと。


乃々香が大笑いした。


「やっぱりりつまるこっぺだ!」


「どういう意味」


「分かんない!」


「じゃあ使わないで」


言いながら。


律も笑っていた。


     ◇


レッスンが終わる。


律はいつものようにノートを開いた。


修正点。


カウント。


立ち位置。


気づいたこと。


細かく書いていく。


それは。


何も変わっていない。


たぶん。


これからも変わらない。


分からないことは調べる。


できないことは練習する。


何度も確認する。


準備する。


そこまで書いて。


少し前のページをめくる。


『乃々香――昨日より好き』


『好きだから選ぶ』


『違ったら直せばいい』


『怖くないのかな』


『なんとなく』


全部。


そのまま残っている。


律は少しだけ笑った。


新しいページ。


一行だけ書く。


『正解じゃなくても、選べる』


ペンを止める。


少し考える。


その下に。


『間違ってたら、その時直す』


「それ」


声がした。


律が顔を上げる。


乃々香が立っている。


「見ないで」


「見えた」


「最悪」


乃々香は隣に座る。


「私が言ったやつじゃん」


「そうだっけ」


「絶対覚えてる」


「証拠は?」


「私」


「弱い」


「ひど」


乃々香はノートを見る。


「でもさ」


「何」


「律、正解探すのやめたわけじゃないんだね」


律はすぐに答えた。


「やめないよ」


「そっか」


「だって、それも私だから」


乃々香が少しだけ笑う。


「うん」


律はノートを閉じる。


「準備した方が安心するし」


「うん」


「考えた方がいい時もあるし」


「うん」


「なんとなくだけじゃ困るし」


「最後いらなくない?」


「いる」


「まだ禁止なんだ」


律は一瞬。


考える。


「……全部は禁止しない」


乃々香が目を見開いた。


「え」


「何」


「今なんて?」


「聞こえたでしょ」


「律が“なんとなく”を許した!」


「一部だけ」


「歴史的瞬間!」


「大げさ」


乃々香が立ち上がる。


「楓花ー!」


「やめて」


「律がー!」


「本当にやめて!」


律も立ち上がる。


乃々香が逃げる。


律が追う。


その先で楓花が振り返る。


「何?」


「聞いて! 律が――」


「乃々香!」


笑い声が広がる。


律も。


追いかけながら。


笑っていた。


デビューした頃。


こんな自分を。


想像したことはなかった。


でも。


それを確かめるために。


もう昔の自分と比べる必要もなかった。


今ここで笑っている。


それだけで。


十分だった。


     ◇


最後の一人になったレッスン場。


律は照明を消す前に。


一度だけ。


鏡の前に立った。


あの日と同じ場所。


先生に。


「律が見えない」


と言われた場所。


鏡には。


いつもの冬城律が映っている。


別人にはなっていない。


きっと明日も。


何か分からなければ調べる。


ノートも書く。


正解を探す。


迷う。


怖くなる。


それでも。


答えが見つかるまで。


ずっと立ち止まることは。


もうしないと思う。


「りつまるこっぺー!」


廊下から声がした。


「帰るよー!」


律は鏡から目を離す。


「今行く」


「早くー!」


鞄を持つ。


ドアへ向かう。


途中で。


少しだけ足を止めた。


「乃々香」


「なにー?」


「その名前」


「りつまるこっぺ?」


少し考える。


以前なら。


意味が分からない。


やめて。


そう言っていた。


でも。


今は。


「……まあ、もういい」


廊下の向こうから。


「え!?」


大きな声が返ってくる。


「なんで!? 急に!?」


律は笑う。


理由を考えかけて。


やめた。


「なんとなく」


「今言った!!」


乃々香の声が響く。


律はまた笑う。


そして。


今度こそ。


鏡に背を向けた。


そこに答えがないことを。


もう知っているから。


ーー完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。