第二章「なんとなく禁止」
「そこ、もう一回」
音楽が止まる。
振付の先生の声に、冬城律はすぐ位置へ戻った。
「サビ前、少しだけ溜めてから入って」
「はい」
「律は今ので大丈夫。乃々香、もうちょっとだけアクセント強くしてみようか」
「はーい」
凪野乃々香が返事をする。
音が頭から流れ直す。
律は鏡を見る。
自分。
その隣。
乃々香。
同じ振付。
同じカウント。
同じように腕を伸ばす。
――はずなのに。
やっぱり少し違う。
乃々香の方が、ほんの少しだけ動きが大きい。
正確に言えば、大きいわけでもない。
一瞬だけ強い。
そこから抜く。
次の動きに入る。
律は踊りながら、その差を見ていた。
曲が止まる。
「はい、今のいいね」
先生が言う。
乃々香が小さく両手を上げる。
「よし」
律は横を見る。
「乃々香」
「ん?」
「今のところ」
「どこ?」
「サビ前」
「うん」
「なんで、そこだけ強くしたの?」
乃々香が瞬きをする。
「そこ?」
「うん」
「なんでだろ」
律の眉が動く。
「自分でやったんでしょ」
「やった」
「じゃあ、なんで?」
乃々香は数秒考えた。
そして。
「なんとなく」
律は即答した。
「なんとなく禁止」
乃々香が吹き出す。
「出た」
「何が」
「昨日からそれ言うじゃん」
「だって、それじゃ分からない」
「分からなくてよくない?」
「よくない」
「なんで?」
「再現できないから」
「再現?」
「本番でも同じことするんでしょ?」
「まあ」
「じゃあ、理由分かってた方がよくない?」
乃々香は首を傾げる。
「でも、次も同じにするか分かんない」
律が止まった。
「……なんで?」
「その時こっちの方がいいって思ったら、変えるかも」
「勝手に?」
「振付変えるって意味じゃないよ」
「分かってる」
「じゃあいいじゃん」
「よくない」
「なんで?」
「だから――」
律が言葉に詰まる。
乃々香が笑った。
「りつまるこっぺ、難しいね」
「誰」
「律」
「その呼び方やめて」
「最近これ好き」
「最近っていつから」
「今週」
「短い」
「昨日より長い」
「そういう問題じゃない」
近くで聞いていた一乃瀬紡が口を挟む。
「りつまるこっぺ、ちょっとおいしそう」
「増やさないで」
「コロッケパンっぽい」
「食べ物に寄せないで」
乃々香が笑う。
「じゃあ、りつまる」
「短くすればいいって話じゃない」
「りっちゃん?」
「普通すぎる」
「注文多いな」
「注文してない」
紡が肩をすくめる。
「じゃあもう、りつまるこっぺでよくない?」
「よくない」
「なんで?」
乃々香がすかさず聞く。
律は答える。
「意味が分からないから」
「意味なくてもいいじゃん」
「よくない」
「それも?」
「それも」
乃々香と紡が顔を見合わせた。
そして同時に笑った。
律は少しだけ睨む。
「何」
「やっぱ律だなって」
紡が言う。
「どういう意味」
「意味聞くの禁止」
「なんで」
「なんとなく」
「それも禁止」
今度は周りにいた何人かまで笑った。
律はため息をついた。
でも。
少しだけ。
自分も笑っていた。
◇
休憩時間。
律は鏡の前で、さっきのサビを一人で確認していた。
乃々香と同じように。
少し強く。
そこから抜く。
もう一回。
今度は少し違う。
止まる。
「……これ?」
自分で呟く。
違う気もする。
でも。
昨日までよりは、少しだけ曲に乗れている。
気がする。
「また研究してる」
後ろから声。
律は振り向かない。
「してない」
「してるじゃん」
乃々香が隣に来る。
「さっきの真似?」
「真似じゃない」
「じゃあ何」
「確認」
「何の?」
「どうやったら、ああなるのかなって」
乃々香が笑う。
「気になってるじゃん」
「気になるよ」
「私のなんとなくが?」
「そこは気になってない」
「強がり」
「違う」
律は一度動きを止めた。
鏡越しに乃々香を見る。
「乃々香ってさ」
「うん」
「決める時、何考えてるの?」
「何を?」
「今みたいなやつ」
「踊り?」
「うん」
乃々香は少し考える。
律は待つ。
「楽しいとか?」
「楽しい?」
「ここ強くしたいとか」
「それは分かる」
「この歌詞好きだなとか」
「うん」
「この音気持ちいいなとか」
律が少し目を細める。
「それで決めるの?」
「たぶん」
「基準は?」
「基準?」
「何をもって、それを選ぶの」
乃々香はまた首を傾げた。
「……好きだから?」
律は黙った。
乃々香は続ける。
「やってみて、こっちの方が好きだったらこっち」
「それだけ?」
「それだけ」
「でも、違うかもしれないじゃん」
「何が?」
「曲の解釈とか」
「違ったら直せばいいじゃん」
「そういう問題かな」
「そういう問題じゃない?」
乃々香は当たり前みたいに言う。
律には、その当たり前がよく分からない。
「好きだから選ぶって、怖くない?」
「何が?」
「間違ってたら」
乃々香は少しだけ真面目な顔になった。
「間違ってるかどうか、やってみないと分かんなくない?」
律は答えない。
「先生に止められたら、その時直すし」
「でも最初から合ってた方がよくない?」
「そりゃそうだけど」
乃々香は笑う。
「全部最初から合ってたら、レッスンいらないじゃん」
律が止まる。
「……それは」
「違う?」
「違わないけど」
「じゃあいいじゃん」
簡単に言う。
本当に。
簡単に。
律は少しだけ悔しくなった。
自分は昨日からずっと考えている。
先生に言われたこと。
乃々香に言われたこと。
ノートにも書いた。
動画も見た。
なのに乃々香は、
好きだから。
やってみればいい。
違ったら直す。
それだけで進む。
「乃々香って、ずるい」
「何が!?」
「なんか」
「何それ」
「なんとなく」
乃々香が一瞬止まる。
そして、ものすごく嬉しそうに笑った。
「今言った!」
「……言ってない」
「言った!」
「言ってない」
「なんとなくって言った!」
「忘れて」
「やだ」
「今のなし」
「無理」
乃々香はすぐに周りを見る。
「ねえ、律が今なんとなくって――」
律は慌てて腕を掴んだ。
「言わなくていい!」
「ほら、変わった」
「何が」
「昔だったら、こうやって止めに来なかったよね」
律の手が止まる。
「……そう?」
「うん」
乃々香が当たり前のように言う。
「もっと静かだった」
「今もうるさくないけど」
「そういう意味じゃなくて」
乃々香は少し考える。
「前はさ、思ってても言わない感じだった」
「……」
「今は全部言う」
「全部じゃない」
「結構言う」
「乃々香が変なこと言うからでしょ」
「ほら」
「何」
「そういうの」
律は黙る。
自分ではよく分からない。
変わった。
そう言われることは、最近確かに増えた。
デビューした頃と一番印象が違う。
そう言われたこともある。
でも。
自分の中では。
毎日少しずつだった。
レッスンに慣れた。
メンバーに慣れた。
ステージに慣れた。
自分の意見を言うことにも。
それだけ。
「そんな変わったかな」
律が呟く。
乃々香は即答した。
「変わった」
「どのくらい」
「かなり」
「雑」
「じゃあ」
乃々香が少し笑う。
「前は“冬城律”って感じ」
「今も冬城律だけど」
「今は“りつまるこっぺ”」
「最悪」
「褒めてる」
「絶対褒めてない」
また笑う。
律も。
ほんの少しだけ。
◇
「楓花、それ持つ」
レッスン終わり。
新宮楓花が大きめの荷物を抱えているのを見て、律はすぐ手を伸ばした。
「大丈夫だよ」
「重いでしょ」
「そんなに」
「貸して」
半ば強引に受け取る。
楓花が笑う。
「ありがと」
「うん」
律は荷物を持ちながら、楓花の鞄を見る。
開いている。
「鞄、開いてる」
「あ、ほんとだ」
「財布落ちるよ」
「閉める閉める」
「あとさっき水置いてきてた」
「え」
「取ってある」
「え、ほんと?」
律は自分の鞄からペットボトルを出す。
楓花が目を丸くした。
「なんで持ってるの」
「忘れてたから」
「いつの間に」
「帰る時」
楓花が笑う。
「律ってほんとよく見てるね」
「楓花が見てなさすぎるだけ」
「ひどい」
「事実」
そこへ乃々香がやって来る。
「なにしてんの」
「楓花の忘れ物回収」
「また?」
「またって何」
「前もなんかやってなかった?」
律は少し考える。
「充電器」
「やっぱり」
楓花が苦笑する。
「助かってます」
律は真顔で答える。
「もう私が全部やりたい」
「え?」
楓花が止まる。
乃々香も止まる。
「全部って何」
「家事とか」
「家事?」
「掃除、洗濯、片付け」
「なんで!?」
「生活を支えたいから」
乃々香が吹き出した。
「家政婦じゃん!」
律は平然と言う。
「だから家政婦になりたい」
「そこ認めるんだ!?」
楓花が笑いながら律を見る。
「それ、愛なの?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
律は少し考えて。
「効率が悪そうだから放っておけない」
「急に愛じゃなくなった」
「両方」
乃々香はお腹を抱えて笑っている。
「りつまるこっぺ、重い!」
「その名前で呼ばないで」
「でも今の絶対りつまるこっぺだった」
「どういう意味」
「意味はない」
「じゃあやめて」
「やだ」
楓花も笑っている。
律は少し不満そうに二人を見る。
でも。
嫌ではなかった。
デビューした頃なら。
たぶん、こんな話はしなかった。
思っていたとしても。
「楓花、大丈夫かな」
くらいで止まっていた。
今は。
家政婦になりたい。
そんなことまで口にしている。
自分でも。
ちょっと変だと思う。
「……私、変わったかも」
小さく呟く。
「え?」
楓花が聞き返す。
律は首を振った。
「何でもない」
乃々香がすぐ入る。
「また出た」
「何が」
「昔の律」
「今の私だけど」
「今の律は言うでしょ」
「何を」
「今、何考えたか」
律は少しだけ黙った。
そして。
「私、前より喋るようになったなって思った」
乃々香が笑う。
「でしょ」
楓花も頷く。
「それは思う」
「楓花まで」
「だって本当に」
「そんなに?」
「うん」
楓花は少し考えてから言った。
「前より、律が何考えてるか分かるようになった」
その言葉だけ。
律の中に少し残った。
前より。
何を考えているか分かる。
先生は。
律が見えないと言った。
でも。
少なくともメンバーには。
少しずつ。
見えるようになっているのかもしれない。
◇
その日の夜。
律は自宅でノートを開いていた。
今日のレッスン。
修正点。
次回までに確認すること。
いつものように書いていく。
最後。
少し手が止まる。
昨日書いた文字が目に入る。
『乃々香――昨日より好き』
やっぱり意味が分からない。
その下に。
新しく書く。
『乃々香――好きだから選ぶ』
さらに。
『違ったら直せばいい』
そこまで書いて。
律はペンを止めた。
少し考える。
その横に、小さく。
『怖くないのかな』
と書く。
正解がないまま選ぶこと。
それが間違っていた時。
恥ずかしくないのか。
悔しくないのか。
怖くないのか。
乃々香は、たぶん怖くないわけではない。
ただ。
止まらない。
そこが。
自分とは違う。
律はノートを閉じようとして。
もう一度開いた。
一番下に。
『なんとなく』
と書く。
数秒見る。
やっぱり落ち着かない。
その横に。
『禁止』
と書こうとして。
手が止まった。
少しだけ考えて。
そのまま。
何も書き足さなかった。
ーー続く




