第五話
05
朝の気配に目が覚めるのとイヴァンが部屋の扉をノックしたのは同時だった。
頭が重い。また殺される夢を見た。最悪の目覚めにこのまま布団に潜り込んでしまいたくなる気持ちを押さえて寝起きの擦れた声で返事をすると、部屋に入ってきたイヴァンは嬉しそうに笑っていた。
「おはようございます! よかった、ちゃんと起きれたんすね」
「おはよう。そんな心配をされるほど我は子供じゃないぞ」
「八日間も眠ってた人の言う台詞じゃないっすね」
「それでその手に持っているものはなんだ?」
挨拶もそこそこに興味はイヴァンが手にしている小さな土鍋に向かった。
蓋の隙間から漂ってくる食欲をそそる香り。
「まだ胃腸が本調子じゃないでしょうから昨日と同じ粥にはなるんですけど、それだけだと味気ないと思うんで焼き魚の身を解して入れてあります」
「へえ。それはありがたい」
体を起こし備え付けのテーブルの前に行くと、イヴァンが土鍋を目の前に持ってきてくれた。
火傷をしないように蓋には手ぬぐいが掛けられており、それごと蓋を持ち上げると穀物を煮込んだ粥の中には白身魚がほぐして入れてあった。
「匙は蓋の上にありますから」
見ると蓋の持ち手は二つの切りこみが入っていて、はめ込むようにスプーンが置かれていた。
「美味そうだ。いただくよ」
「はい」
粥を掬くい息を吹いて冷ましてから口に入れる。魚臭さを消すために身に香辛料でもまぶしてあるのか、それがとてもいい仕事をしていて噛みしめるとじんわりと粥の優しい味わいと、魚の身のピリッとする刺激と香りが見事に合っていてとても美味い。
一口目を飲み込むと、腹がもっと寄こせと言わんばかりに音を立てた。
「すごく美味しい」
「そう言ってくれると嬉しいっす」
しばらくは穀物粥に舌鼓を打つ時間が続いた。その間イヴァンは新しい着替えを用意してくれたり、昨日着ていたものを洗濯してくれるなど献身的に世話を焼いてくれた。
流石にそんな状態で自分だけ食事をしているというのは居心地の悪いものがあるが、こちらのそんな気持ちを見抜いてか、イヴァンは「これは俺の仕事っすから気にせずリウムさんはゆっくりご飯食べててください」と笑顔で言われては気持ちを無下にもできない。
申し訳なさと、穀物粥の美味さに挟まれながら土鍋の中を綺麗に食べ尽くすころ、タイミングを見計らったかのようにイヴァンも戻ってきた。
「ありがとう。本当に美味しかった」
「俺が作ったわけじゃないっすけど、お粗末さまっす」
「あれこれ世話を焼かせてしまって悪いな。土鍋はどこに片付ければいい?」
「ああ、それは置いといてくださいっす。俺が後で片付けるんで」
「いや、流石にそこまでしてもらうわけにはいかない。これくらいはやらせてくれよ」
「本当に大丈夫っすよ。リウムさんの看病は俺の仕事なんで、遠慮しないでください!」
とてもいい笑顔で言うから、余計に申し訳なさが募る。なんだか駄目な男になってしまいそうな気がしてきた。
「しかしな……」
イヴァンは一歩も引く気配を見せないので、ここで言い合っていても平行線が続くだけだろう。であれば、他になにかできることをやらせてもらえないだろうか。
「あっ……だったら」
そんなことを考えていると、ふいにイヴァンが顔を覗き込むように上目遣いになって、
「リウムさん、体調はどうっすか?」
と、尋ねてきた。
「うん? まあまあだな。体の怠さも昨日ほどひどくない」
「そうですか。あの、もしリウムさんが大丈夫ならなんすけど、会ってもらいたい人がいるんす」
「会ってもらいたい人?」
「はいっす。リウムさんが病み上がりだってことは分かってるんすけど、できるだけ早い段階で顔合わせはすませてもらいたくて」
余程重要なことなのだろう。真剣な面持ちで言うイヴァンに思わず姿勢を正してから頷いた。
「よかった。それじゃあ食器を下げたら早速向こうに話しを通しておきます」
◇◇◇
そんなやり取りがあったもののどうやら先方の予定が空かないらしく、結局時間が取れるのは夕方あたりらしいという話を聞いてリウムは一日やることもなく自室でぼんやりとすごすことになった。
少し外を歩こうかとも思ったが、それはまだ早いとイヴァンに断固拒否されてしまい、更には先方も用事をすませ次第すぐに訪ねてきてもらえるらしいとのことで部屋を開けるわけにもいかずにただぼんやりとしているしかなかった。
ただ、暇だから軽く体でも動かして時間つぶしでもしようとしたら途端に節々が痛み始め、なんとなく体も重く感じるようになってきたので結果的に丁度よかったのかもしれない。
部屋にノックの音が響いたのは空が茜色になり始めたころだった。
「おう! アンタが無謀にもトリアン相手に素手で戦ったっていう世間と怖いもの知らずの大馬鹿者の兄ちゃんか!」
そして開口一番飛んできたそんな台詞にリウムは目を瞬かせた。
なんなんだ、この人は。
「なんでい、その素っ頓狂な顔は。男ならもっとどっしりと構えてな!」
ずかずかと入ってきたのは服の上からでも盛り上がった筋肉の線が見えるほどの大柄で髭面の男。
「俺はヴィクター・ラルベルだ」
そう名乗った男は肉の壁とも見間違うような胸を堂々と張った。
「初めまして。アメリ・ラルベルよ」
そして、続けて聞こえてきた声は明らかに女性のもので、どこから聞こえてきたのかと驚いているとヴィクターの背後から女性が顔を覗かせた。
手提げを抱えたアメリはヴィクターとは対照的にほっそりとしているが、凛々しい目つきが印象的な女性だった。
「は、初めまして。リウムです」
「リウム? なんか女みてえな名前だな。まあこれからよろしくな!」
遠慮のない物言いは元々の性格なのだろう。屈強な体に似つかわしくない爽やかな笑みを浮かべてヴェクターが右手を差し出して握手を求めてきた。だが、リウムの右腕がないことに気がつくとすぐにバツの悪そうな顔をして左手に変えた。
「あっと、すまん」
「いいえ。痛みもないですし、気になさらないでください」
「そうか。なら改めて」
そうして握手を交わす。盛りあがった腕の筋肉からとんでもない力で握られるのではと少し心配したが、予想外にヴィクターの手は柔らかく包み込むような握手だった。
続けてアメリとも握手を交わす。こちらは細くてひんやりとした手だった。
対照的な二人だ。それが二人と接した感想だ。
「聞いた話じゃ随分と大立ち回りをしてきたみてえじゃねえか」
「大冒険?」
「ああ、空から落っこちてくるときにトリアンに抱きついて抵抗したんだろ?」
トリアンと聞いて昨日イヴァンが話してくれたことを思い出す。
確かあのドラゴンの総称だっただろうか。
「トリアン……ああ、えっと、はい」
「知らないとはいえ、あんな化け物にしがみつくなんざ、やろうと思ってできるもんじゃねえさ。恐れ知らずのとんでもない野郎がやってきたって噂になってんぜ」
部屋に入ってきて開口一番に世間知らずの大馬鹿者などと罵られ、何事かと思っていたが、なるほどそういうことだったか。
「迷ってる暇はなかったので。とにかく食われたくない一心の行動だっただけです」
「そうか。まあこうして生きて話しができれば問題ねえさ。それにしても運が悪かったな。生れ落ちたてを狙われるなんて聞いたことがないんだが」
「そうなんですか?」
「おおよ。大体はなあ──」
と、ヴィクターが前のめりになって話し出しそうになった途端、隣のアメリが脇腹を小突いた。
「そういう話はまた今度。今日は他にやることがあるんだから」
「あ、ああ。そうだったな。悪いな、続きはまた今度に」
リウムとしては話を聞きたいという気持ちが強かったが、二人がいそいそとなにやら準備を始めたのを見てぐっと堪えた。
イヴァンから会ってほしい人がいると言われて少し身構えていたが、どうやら二人の様子から深刻そうな話ではなさそうだ。ただ、であれば一体この二人はなんの目的があって会いにきたのだろうか。
不思議に思っていると、アメリは持ってきた手提げから等間隔に印のついた細い帯や布が張ってある木の板、インクの入った小瓶と筆を取り出して並べ始める。
どれも見たことがないもので、なにかの道具なのだろうがそれで一体なにを始めようとしているのかは検討もつかない。
「あの、それで今日はなにを……?」
いい加減焦れてそう問うとアメリが意外そうな顔をしてこちらを振り向いた。
「あれ、聞いてない? あたしたちは服の仕立て屋を営んでいるの。今日はリウム君に挨拶をしにきたのもあるんだけど、それとは別に採寸をしにきたのよ」
「服の仕立て、ですか」
「そうよ。だって生活をするのに服は重要でしょう? 今着ているのはみんなのお古だし、丈だって合ってないじゃない。こんな場所だからこそ、身なりにはある程度気をつけるようにするっていうのが決まりなの。ほら、きちんとした恰好をしていると心が自然と前向きになるじゃない」
「俺たちはこういう風にしか貢献できねえ。その代わり最高の服をリウムに送ってやるよ」
「任せておいて。きっとリウム君に似合う素敵な服を作ってあげるから」
そうして始まった採寸はヴィクターが行い、アメリが読み上げられた数字を書き留めていく。
役割分担はしっかりとしていて、手際もいい。採寸の間会話はなく、たまに体の向きや手を上げてくれなどの指示が出されるのでそれに従うという時間が続いた。
「うっし。これで終いだ。お疲れさん」
「ありがとうございます」
本当にあっという間だった。勝手な想像でもっと時間のかかるものだと思っていたが、無駄のない動きはまさに職人の技というほかない。
「そうだ、リウム君は好みの色とかはある?」
ヴィクターが道具を片付けている様子を見ていると、アメリから質問が飛んできた。
「そうですね……藍色とかが好きかもしれません」
なんとなく頭に浮かんだ色を率直に伝える。アメリは「ふんふん」と鼻を鳴らしながら頷く。
「若いのに結構落ち着いた色を好むのね」
「変でしょうか」
「いいえ、そんなことないわ。リウム君は品のある顔立ちをしてるしとてもよく似合うと思う」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
世辞だと理解しつつも、つい顔が熱くなってしまう。
「あら照れてるの? 可愛いところもあるじゃない」
そんな姿がアメリの目には初々しく映ったのか、少しだけ悪戯な笑みを浮かべた。
耐性のないリウムは顔を真っ赤にして俯くしかない。
「なぁにが藍色が好きだよ。リウムよお、おめえ男なら情熱の赤だ! とか言って見ろって」
そんなやり取りを横で見ていたヴィクターからヤジが飛んできた。
視線を向けると、俺の女に褒められてなにをそんなに顔を赤くしてるんだという声が聞こえてきそうな顔をしている。
別に他意はなく、単純に褒められたことに対する照れなのだが、ヴィクターの目にはそう映らなかったようだ。
さて、どう返したものかと思案していると。
「あたしがリウム君を褒めたのが気に食わないからってやきもちなんて焼くんじゃないよ。いい歳して女々しやつだね」
最高の援護射撃が窮地にあったリウムを救ってくれた。
「や、やきもちなんか焼いてないわ!」
しかし、その指摘は図星だったらしく頬を赤く染めてむっとした顔をするヴィクターにアメリは溜息をついて呆れ顔をしていた。だが、口元が緩んでるのを見るとどうやら満更でもない様子。
「二人はとても仲がいいのですね」
リウムとしては褒めたつもりだが、それが余計にヴィクターの羞恥を刺激してしまったようだ。
「いいかぁ! 男ってのはな、家族と仲間を守って生きてかなきゃならねえんだ。仲がいいだのお似合いだの羨ましいだの、ナヨナヨしたこと言っていると痛い目見るぜ!」
捲し立てる台詞の中に覚えのないものが混じっている気がしたが、それを指摘するのは流石に藪蛇になりそうなので止めておいた。
「別にいいじゃないのよ、男が藍色好きでなにが悪いっていうの。アンタみたいに男なんだから情熱の赤みたいな短絡的な思考している男よりよっぽど思慮深くて素敵じゃないさ」
「なっ……母ちゃんリウムに惚れたのか!?」
「なにが母ちゃんだか。普段はそんな風に呼ばないくせに。いつもは──」
「だぁー! やめてーー!」
きっとこれが二人の普段のやり取りなのだろう。目の前で繰り広げられる夫婦漫才に嫌味を感じないのはきっとその漫才の中にリウム自身も巻き込まれているからだ。
「で、でも、母ちゃんだって俺がいないと寂しいだろ? 夜だって一緒にじゃないと悲しくて寝れないだろ?」
「いびきがうるさくて眠れないことはあっても、悲しくて眠れないことなんかないよ。それにもしそんなことがあったとしたら……そのときはアンタみたいながさつな男じゃなくて、リウム君みたいに品のある顔のいい男に慰めてもらおうかしら」
腰にしなを作って艶のある表情でウインクをするアメリに、心臓が大きく跳ねる。頬だけではなく体まで熱くなってしまいそうだった。
もちろんこれがアメリの軽口であることは承知しているので、本気にすることはない。だが、そんな冗談が通じない男が一人だけいた。
「はあ!? リウムおめーうちのアーちゃんとどういう関係だぁ!」
誤解(ヴィクターの一方的な勘違い)を解くのにしばらく時間がかかったのは言うまでもない。
第一章 ──了──
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