第四話
04
夢を見ている間は夢だと気がつけない。たまに自覚できる人もいるそうだが大抵は夢を現実だと思い込み、疑うことすらない。そして、目が覚めたときに初めて「夢を見ていたのか」とようやく現実を実感する。
そこで夢の中の方がよかったと落胆するのか、夢でよかったと安堵するのかは見た夢の内容次第だが、このときの我は起きてから懐かしさと共に虚しさを感じた。
どんな夢だったのかといえば、一人の少年が一人の少年と知り合う夢だったとしか言えない。
その夢での我は子供だった。何故子供だと分かるのかといえば、単純に視点が低かったからだ。ただ、そのことに気がついたのは目が覚めてからだったが。
話を戻そう。
子供の我は大理石だけで作られた庭を歩いていた。塵一つ落ちていない整えられた庭園には人と獣が混ざり合ったような化け物が描かれた器を三人の子供が抱えた石造りの噴水があり、空から燦燦と降り注ぐ太陽光が噴き出した水の影に虹を作っていた。
庭園は広く、当てもなく歩いていると果てがないのではと思うほどだったが、やがて自分の背の倍以上はある庭木の壁に行き当たった。
見渡してみても他に道は続いておらず、完全な行き止まりで他に行けそうな場所はない。
またあの長い道を引き返していくのかと辟易としていると、ふと庭木の向こうで誰かの声が聞こえた。
それは男の子の泣き声だった。どこから聞こえてくるのだろう。
我はしばらく音の元を探して、やがて庭木の壁の端が一部だけ緑が薄くなり子供が通れるくらいの穴があるのを見つけた。穴を覗き込むとその先には庭園が続いている。
服が汚れるかもとは思わなかった。穴があればとりあえず入ってみるという実に子供らしい本能に逆らえず、枝が服に刺さって破ける音が聞こえても一心不乱に進んだ。
通り抜けて見るとそこは今しがたまでいた純白の庭園とは違い、枯れ木や土埃で汚れていて、打ち捨てられた場所という言葉がしっくりくるようなところだった。
怖いという感情はなかった。それよりも隠された場所を見つけたという興奮と、男の子の泣く声の出どころを突き止めたいという気持ちの方が強く、戸惑うことなく歩を進めた。
道は一本道で、突き当たりに差し掛かると通路は右に折れてそこから数段下に続く階段があり、降りていくと開けた小さな空間で石造りのガゼボと朽ちかけた木製のベンチが一つだけあった。
通路と同じく汚れが目立つ。人々の記憶や時間からも置いていかれ、あとは朽ちて崩れるのを待つのみといった風だった。
男の子はそのうらぶれたガゼボのベンチの側でしゃがんで泣いていた。
「どうしたの」
我が声をかけると、こちらが申し訳なくなる程驚いた声を上げて男の子が振り向く。
綺麗な金色の髪と澄んだ青い目と幼くもすでに凛々しさのある顔立ち。身につけている服はとても上等で貴族の子かもしれない。
なんで泣いているのかとは聞かなかった。彼の赤く腫れた頬を見ればなにがあったのかなど想像に難くない。
ただ、理由がはっきりと分かってしまったからこそ、そこから次に繋げる言葉のかけ方に窮してしまう。
これはとてもデリケートな問題だと、子供ながらに思った。
「……あなた、は……?」
我が言葉に詰まっていると、男の子が涙声でしゃくりあげながら問いかけてきた。
「僕は──だ」
我は名乗った。だが、名前の部分は金属を打ち鳴らすような音が邪魔をして聞こえなかった。ただ、夢を見ている間はそのことに違和感を覚えなかった。
「僕は──に仕える──の──と申します」
それは彼のときも同じだった。
「えっと──。そっちにいってもいい?」
「あ……はい」
男の子は目元を拭ってそれから顔を伏せるように頷いた。
警戒されているのだろうか。許可は得ているはずなのに、側に行こうとすると我と距離を取るように下がってしまう。
どうやらあまり近づかれたくないようだ。
どうしていいか分からず、とりあえず我はベンチに腰を下ろして、そして──。
◇◇◇
目を開けると薄暗い部屋の天井が目に入った。首を動かして窓の外を見ると茜色に染まった空にいくつかの星が見え始めていた。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
体を起こして窓辺まで行き、カーテンを開ける。そして窓の鍵を外し開け放つ。
今いる建物は二階建てのようで、リウムがいる部屋は二階の一室らしい。
「そういえば、イヴァンは俺たちの拠点って言っていたな」
窓を開けて一番に飛び込んできた灰色の城壁を見て今朝の会話を思い出す。拠点と言うくらいだから軍事基地かもしくはそれに近いところなのかもしれない。
城壁の最上部には等間隔に篝火が設置されていて、そのうちいくつかの炎は動いているので、もしかしたら警備の兵士あたりが巡回しているのかもしれない。
視線を少し落とすと人の手で整備された石畳の道があり、その続く先を追っていくと建物群が見えて明かりとかすかに人の声が聞こえてくる。
真下を見れば誰かが世話をしているのだろう花壇に青紫色の小さな花が健気に咲いているのが見えた。
「確か……ミイナって言ってたか」
それがこの建物を指すのか、それともこの城壁に囲まれた場所のことを指すのかは分からない。
彼女──サナのしていたように窓辺に腰を下ろす。
手元に本がないので見つめるのは自身の左手だ。
「我は……一体誰なんだ」
イヴァンに名乗ったとき、自然と口をついて出てきたリウムという名。
あのときは表情に出さなかったが、内心戸惑っていた。
記憶がない。
辿れる一番古い記憶は空から落ちてドラゴンに襲われるときのもので、それ以前の記憶については一切思い出せず、まるで光のない夜空の中を泳いでいるようだった。
そんな状態でも名前だけはすっと自然に出てくる。ただそれだけだ。名前以外の全てが暗闇の向こうに溶けて消えてしまっている。
今この瞬間、この体と心をリウムたらしめているのはたった三文字で形成される言葉だけ。
そう自覚すると途端に怖くなった。
そもそも自分は本当にリウムという人間なのだろうか。勝手にそうだと思い込んでいる別人の可能性はないのだろうか。
「ここは……現実の世界なのか……?」
現実味がない。夢幻に捕らわれているのだと言われた方がしっくりとくる。
左手を強く握り込みそっと離す。白くなった手が赤くなって少し痺れたような感覚が残った。
「我は生きているんだよな……」
誰に問うでもなく零れた言葉は、茜の空に溶けて消えていった。
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