第四十一話
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きっと人型はなにが起こったのか分からなかっただろう。
虫けらとして見下していた人間が、失った腕を振り上げたさまは、さぞ滑稽で感情の乏しい顔を醜悪に歪めてしまいたくなるほどに憎たらしく哀れだったはずだ。
だからだろう。無駄なことをして抗おうとする羽虫を嘲ろうとして無防備だったのは。
「なに、が──」
地面を転がり、左頬を押さえた人型は茫然と呟く。
その翠眼には、初めてリウムに対する恐れが浮かんでいた。
「おまえ、なにをした」
その問いに答える術をリウムは持たない。
右腕が生えている。左手と比べても二回りほど大きな手は白く、狼の牙のように鋭利な爪は夜明けの空のような暗い碧をしていた。
膨れ上がった筋肉はそこに心臓があるかのように脈を打ち、肩からは白い角のようなものが生えている。
脛の辺りまで伸びた右腕はおよそ人間のものではなく、例えるのなら悪魔や魔物の類のものだと言えば大抵の人は納得するだろう。
「なんだ、これ」
禍々しい異形の腕は感覚がしっかりとある。指を動かそうとすればしっかりと反応するし、握り込めば爪が縮んで手のひらに刺さらないようになった。
自分の意思で操れる。いや、自分の体から生えているのだから当たり前だろうが、あまりにも現実離れした現象に頭が追いつかない。
ただ、一つだけ理解できたことがあった。
「これで……戦える」
なんで、どうして。そんな戸惑いは確かにあった。だが、それはこの世界に生まれ落ちたときかずっと同じだ。だから今そこを突き詰めて考えるのは無駄だ。
それよりも重要なことがある。それは戦う力のなかったリウムにとってこの異形の腕はようやく手にすることのできた力の貌だということだ。
心はとても静かだ。だが、血だけは沸騰している。
「オマエ、なんだ、それ」
人型が立ち上がり、怒りと戸惑いと恐怖を滲ませた声で問う。
「これは──」
リウムは右手を握りしめた。すると胸の心臓の鼓動が激しくなると共に、右腕の脈動もつられるように早く激しくなる。まるで戦いを前に荒ぶる血潮を抑えきれない戦士のように。
「これは──貴様を屠る力だ」。
「ほふる? ほふ、ほふ……ふはははははははは──ころす!」
戦いの火蓋を切ったのは人型だった。どん、と地面を踏みしめて一瞬の間にリウムの懐へ飛び込む。
常人の目では消えたとしか映らない速度だった。
「遅い!」
しかし、リウムの目は人型の動きをしっかりと捉えていた。
同じく大地を蹴って加速し、人型が繰り出した拳をギリギリまで引きつけてから顔の横を掠らせるように躱し、その勢いのまま人型の顔面めがけて右腕を振り抜く!
「ひがあっ!」
手を伝わってきたのは硬質なものを砕くような感触。そして、悲鳴なのか怒号なのか分からない声を上げて吹き飛ばされた人型に視線を向けると、ズレた顎を押さえてこちらを睨む翠眼とぶつかった。
「ぐ……だりゃああああああああああああああ!」
骨と筋肉の擦れる嫌な音を立てて顎を戻すと、人型は靄を変形させてイヴァンを貫いたものと同じ剣を作り向かってきた。刀身はリウムの腕よりも長い。なるほど、長物を使うことでリウムの攻撃範囲を脱し、かつ自身の攻撃は届く。
怒りに震えるような声を上げておきながら、戦況を冷静に判断し戦い方を選んでいる。
戦いながら強くなっている。
ふとそんなことを考えておかしくなってしまった。異形の腕が生えてから心が凪いだ海原のようだ。
相手を観察し、状況を理解する余裕がある。まるで別人のようだ。
リウムは戦いの最中、自身の変化に戸惑いを感じつつ、それが有利に働いていることに高揚にも似た感情を持っていた。
「しゃああああ!」
人型が靄の大剣を振り抜く。間合いはリウムの攻撃が届く一歩手前。狙ってやっているのであればやはり油断ならない。
だが──。
「そんななまくらじゃ、俺は斬れねえぞ」
その一閃をリウムは右手で掴んで止めた。
「な、にぃぃぃ!」
これには人型も驚愕し目を剥いた。その隙をリウムは見逃さなかった。
掴んだ靄の大剣を手前に引きつける。人型がバランスを崩したところで一足飛びに懐に飛び込むと──。
「シッ!」
拳を強く握りしめ渾身の一撃を鳩尾へ叩き込んだ。
今度もしっかりと骨を砕く感触があった。
「ごおおがあぁぁ……」
腹部を押さえ黒い泥のようなものを嘔吐しながらよろよろと後ずさる人型をリウムは見下ろす。
「なんダ。おまえはァ!」
人型は黒い泥を口から飛ばしながら叫ぶ。
「俺はリウム」
異形の拳を見せつけるように掲げる。
「ミイナで生きるアシュテートで貴様らを屠るものだ」




