第三十七話
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「いだあああああああああははははははっはははははははっ!」
斬り裂かれた箇所から泥のような黒い飛沫が上がる。
人の領域を超えたサナの動きは完全に人型の反応速度を凌ぎ、固い防御を貫通する攻撃力はこれまでのサナとは次元が違う。
事実、人型はサナの動きを感覚で捉えることはできていても、体が追いつかずに防御もままならない。
戦況は圧倒的にサナに有利だ。このまま連続攻撃を叩きこめば人型とて確実に仕留められるはず。
しかし、サナは次の攻撃に移らない。いや、移れない。
「ぜえ、ぜえ、ぜえっ……」
喘ぐように呼吸をするも体はいつまでも酸素を欲している。酸素が足りないからか頭が鉛のように重く、意識も一瞬飛びかけるということを何度も繰り返していた。
唇を噛み切ってどうにか正気を保とうとするが、それもいつまでもつか。
(これは……きつい)
心の中で独り言ちる。
ムネノリがサナにエスケニアードの使用を禁じていたのは、まだサナが完璧に扱うことができないからだった。
ほんの一瞬使う程度であればまだしも、継続使用はサナを以てしてもゲシュの制御が難しい。
現に制御しきれないゲシュが逆流を起し、激痛を通り越して一部体の感覚がなくなり始めていた。だが、問題はそれだけではない。
肩への突き攻撃と袈裟切り。更に鳩尾への正拳と脳を揺らす顎への攻撃。
強化されたサナの攻撃をこれほど受けていても人型は倒れていない。
「ぜえ……ち、致命傷じゃなきゃ意味がないってか」
人型に息絶える気配はない。むしろ、痛みで感情が昂っているような気配すらある。
この程度の傷では奴は殺せない。殺すならもっと破壊力のある攻撃でなければならない。
(あ……あれを、やるしかない……。でも)
サナは口に溜まった血を嚥下しようとした。だが、上手く飲み込めずにそのまま吐いた。
(体はもつのか……?)
消耗が激しすぎる。
「ばあっ!」
そして、サナの変化は対峙している人型も理解しているようだった。
サナが追撃を浴びせてこないことを察知すると、絶叫から一転して地を泳ぐように駆けて左腕の靄の剣を振り下ろしてきた。
咄嗟に回避はできないと判断したサナが兼定で受け止める。その圧力と重量感のある一撃は、踏ん張るサナの足が大地に沈み込むほどの威力。
「んぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
歯を食いしばって堪えるが、その衝撃に耐えきれない傷んだ体が悲鳴を上げて、再び吐血した。
これは堪えきれない。サナは倒れるように靄の剣を左に受け流す。ずん、と音がして受け流された靄の剣が地面に突き刺さる。
「あまい」
が、人型はそれを予想していたように受け流された直後に体勢を変えて、左ひざをサナの鳩尾に叩きこんだ。
ものすごい衝撃が走り、完全に意識が飛ぶ。意思を失くしたサナの体が水切りをするかのように地面を転がっていく。
「……うっ。げえええ」
込み上げてきた強烈な吐き気で意識が戻った。
吐いたものには大量の血が混じっていた。一回、二回と続けて吐いて、ようやく落ち着くと、今度は目の前が霞んで、陽は昇っているはずなのに妙に視界が暗く感じた。
「や、ばい……」
感覚の薄い体をなんとか起こしてうつ伏せになるも、たったそれだけのことで動けなくなってしまった。
ここまで追い込まれたのは初めてだった。認めるしかない。人型は強い。
戦闘の最中ずっと感じていたことだが、やはり人型は戦うごとに学んで強くなっている。
このまま奴が力をつけていけば、他の翠荘のメンバーであってもどうなるかは分からない。
ここで必ず殺さなければならない。
「きず。いたいか。おまえにつけられたきずは、いたくないぞ」
先ほどつけられた胸の切り傷を撫でながら勝ち誇った笑みを浮かべる人型。それがはったりなのか、事実なのかは分からない。
そんなことを気にする余裕はサナにはなかった。
「もう、たたかえないな? じゃあ、ころす。お前、ころして、あいつもころして、そのあとは、またおまえたちのいえこわしにいく」
「さ……せ、ない」
かっと体を駆け巡る熱い血潮がサナに活を入れる。震える足で立ち上がり、兼定を杖代わりに体を支えて向き合った。
膝が笑って踏ん張りがきかない。それにさっきの鳩尾の攻撃でエスケニアードが解除されかかっているようだった。
「させない? ちがう。おまえは、ここでしぬ。おまえは、なにもできない」
もう体はボロボロだった。そんなサナを見て人型がなにか言っているようだが、その声も途絶え途絶えにしか聞こえない。
「死ぬ……かも」
そう口に出してみても、実感は湧かなかった。ただ、胸の奥でから風が吹いたような気がした。
この世界に生まれ落ちて、戦いづくしだった。たくさんの仲間に恵まれて、殺されて、見送ってきた。
灰になって空に昇っていく仲間たちを見上げながら、いつか自分もこうなるのだと漠然と思い、それも仕方がないと諦めていた。
ここはそういう世界だ。命の限りに夢を追い続け、人生を謳歌するような幸せな未来のある世界ではない。
常に傍らにあるのはトリアンのもたらす死だけで、アシュテートたちはその死から逃れるためだけに戦いを強制される。
ミイナで肩を寄せ合って人並な生活をしてみても、それは辛い現実から一時的に目を逸らすためだけの欺瞞にすぎない。
意味があるのかと何度かは考えた。だが、そのたびに行きつくのは「そうなのだから仕方がない」という諦観だった。
みな生まれ落ち、生きると決めた以上は死を覚悟し、ときがきたら潔く受け入れるだろう。もしそうでなくとも、受け入れざるを得ないのだから抵抗は無意味だ。
矛盾している。ではなんのためにトリアンと戦うのだ。そんな問いにサナはずっと目を背けてきた。
だって分からない。ゲシュを覚醒してからずっと戦ってきたが、生きる唯一の手段が戦うことなのに、抵抗したところで無意味なのだと頭のどこかで理解してしまっている。
ではすべてを投げ出して自死を選ぶかといえばそんな度胸もなく、かといって矛盾を突き詰める努力もしない。
生きていて死んでいるようなものだった。
(それでよくアイツに生きる力が弱い匂いがするなんて言えたもんだ)
実際は違うのに。
あの日、ドラゴン型のトリアンを殺して、落下するリウムを抱きとめたときのことを思い出す。
──俺が必ず殺してやる。
耳を疑った。生れ落ちてきた人間が一体なにを殺してやるというのだ。
始めは襲ってきたトリアンのことを言っているのかと思った。腕を食いちぎられたことを恨みに思ってそんなふうに口走ったとしてもそこまで不思議じゃない。
だから、気にしていなかった。ただ、その後に続けて発せられた言葉に息を呑んだ。
──シュテールフォン。
確かにそう言った。それが人名なのか、どこかの国の言語なのかは分からない。分からないということは、シュテールフォンという言葉はこの世界では意味を持たないということ。
では何故、意味のない言葉を口にしたのだろうか。そう思ったときに一つの可能性にたどり着いた。
もしかして、生まれ落ちる前の記憶があるのではないか。そう思った瞬間、全身が泡立った。
ありえない。アシュテートはみな記憶を失って生まれ落ちてくる。朧気に覚えているということもなく、まるで消去されてしまったかのようにまっさらで例外はない。
しかし、この男はどうだ。必ず殺してやると口にし、続けてシュテールフォンと言った。
この二つの台詞に意味がないと考えるのは無理がある。
もしかしたらこの男は記憶保持者なのかもしれない。普段なら一笑に付してしまうような突拍子もない考えも、どうしても真実のように思えて仕方がないのだ。
もしそうなのだとしたら、なにか変えてくれるかもしれない。次第にそんなふうに思うようになっていった。
「あいつは……ころさせない」
瞳を動かして兼定を探すが、どうやら蹴りを叩き込まれたときに手放してどこかに飛んで行ってしまったようだ。
心の中で兼定を呼ぶ。すると手の中が暖かくなり、次の瞬間にはいつもの感触があった。
よかった。まだゲシュは扱える。
「みんなは……殺させない」
「むり。おまえは、ここでしぬ」
「兼定……。行くよ」
確信はない。ただ、リウムがこの停滞していた矛盾を壊してくれるような気がする。
それが嬉しかった。リウムは、私の世界を少しだけ変えてしまった。
できればこれからもその様子を隣で見たかった。でも、それは難しそうだ。
「お前、は……私が、必ず殺す」
ならば。せめて私がリウムを脅かす存在を討とう。
それが今の私にできる唯一のこと。
「は──」
私は翠荘のサナ。
「あ──」
私はお前を殺す者。
「はああああああああああああああああああああっ!」
残りのゲシュを兼定へ流し込む。この一撃にすべてを込める。その意思に答えるように兼定の刀身が赤く光り出し、サナの体から可視化された赤いゲシュが立ち昇り始めた。
「あ、ああ……ああ! このあか! おまえだったのか!」
人型が叫ぶ。その声には、怒りとも恐怖とも違う、奇妙な震えが混じっていた。
だが、もう意味を理解する必要はない。
「これで最後だ」
猛り狂うゲシュの脈動が最高潮に膨らんだ瞬間を見計らって渾身の力を込めて地面を蹴った。
耳を打つ風の音。体を押さえる空気の壁。それらすべてを置き去りにしてサナは駆けていく。
「死ね、人型!」
サナの周囲を纏う赤いゲシュが蠢き、龍の形へと変化する。そして、龍の鉤爪が兼定の切先に重なり。
「五竜天翔・一爪突き!」
大地が砕け、赤い残光が一直線に伸びる。そして──。
超神速で駆ける赤龍の鉤爪が人型を穿つ。




