第三十四話
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「よう……きてやったぞ。出てこいよ……このくそったれ」
聞こえてくるのはすぐ近くにある九頭の滝の音。
上流にある湖から流れてきた水が重力によって落下し、滝つぼへ落ちていく。激しく脈打つ心臓のような音を聞きながら、言葉を重ねる。
「出てこい! お前がここにいるのは分かっているんだ。我を殺したいんだろう? せっかくのチャンスを棒に振るつもりか。それとも……威勢がいいのは最初だけで今になって怖気づいたか!」
静かなものだった。遠くで聞こえる滝の音が次第に大きくなっていくような錯覚を覚えるほどに。
人型は出てこない。声が届いていないのか。それとも警戒して様子を伺っているのか。いずれにしろ、言葉で誘い出せないのなら、餌をもっと近くに置くしかない。
下唇を噛みながら洞穴へ近づく。心臓の音が大きくなっていく。そして、洞穴の大きく口を開けた暗闇から得体の知れない気配が悪臭のように漂ってくる。
喉が鳴る。手前のヲムートの死体を越え、続いて奥の死体との距離があと数歩までと言った距離に近づいた瞬間。
「──っ」
闇の奥。陽の光が届かないギリギリのところ。
そこに奴がいた。あの翠の瞳を剥いてこちらを見つめていた。
「あ、あ、おまえ、オマエ」
翠眼が半月に笑う。人型は四足歩行の獣のようにずるずると体を引きずりながら陽差しの元に這い出てくる。
その間も人型は一瞬たりとも視線をリウムから外さない。
「よう……人殺し」
リウムはできるだけ嘲り、蔑むように言い放つ。
殺したい。逃げたい。そんな相反する感情を抑え込むためには、そんな虚勢を張っていないと立っていられない。
「イウ、殺し、が、なにを」
「この前からイウイウって言ってるがなんなんだそれ」
「イウ、いう、イウ……? ウウウウウウ」
人型はイウという単語のときだけ、口調が柔らかく愛おしいものを愛でるように発音する。その音だけは怒りや憎悪から切り離されていて、別のなにかを呼ぶような不気味さがあった。
「自分で言っていて意味が分かっていないのか。間の抜けたやつだ」
言葉を理解しようとしているのか、人型は這った状態で首を傾げたり、呻ったりしている。
今こそ、攻撃を仕掛けるタイミングかとも思うが未だサナは様子を伺っているようだ。
まだ足りないか。もう少し人型の注意を引く必要がある。
更なる追撃を浴びせようとして腹に力を入れた瞬間、執拗に首を捻っていた人型の動きが、ぴたりと止まる。そして、視線が地面にこびりついたトリアンのなれの果てに向けられると。
「おまえ、やった……!」
人型の様子が明らかに変わった。肩が大きく上下し、呼吸が荒くなる。
声は地の底から響いてくるような低く籠るような響きをもち、目を血走らせ歯茎を剥き出して歯をカチカチと鳴らす。
それは人間的な行動や表現の仕方ではなく、獣の威嚇行為と表現した方が正しいかもしれない。共通しているものがあるとすれば、それは憤怒の感情をたぎらせているということだ。
「オマエ、おまえ、お前!」
這いつくばっていた状態から立ち上がる。全身の靄が一気に膨れ上がった。まるで意思を持っているかのような靄は波のようにうねり、全身から発せられる殺気に鼓膜の奥がビリビリと震え、皮膚が火で炙られるようにひりつく。
「イウ、オマエ、イウゥゥゥゥゥ、オマエエエエエ!」
慟哭が大地を揺るがす。それまで吹いていなかった風が吹き荒れ始め、林の木々がざわざわと恐怖に震える声を上げた。
「シぃぃぃぃぃぃぃぃぃネエエえええええええ!」
そして、纏った殺気が限界まで膨れ頂点に到達した瞬間、空から雷の如く走る一閃が人型を襲う!
「もらった!」
神速の一撃だった。サナの兼定は確実に黒い靄が覆う首筋を捕らえ、攻撃を仕掛けたサナ自身も手ごたえと勝利を確信しただろう。
しかし。
「な、なにっ!?」
ありえないことだが、サナ渾身の斬撃は、靄で作られた盾に完全に受け止められていた。
普段のサナであればここで二撃目に転じるか、距離を取って相手を観察し新たな策を練る余裕がある。だが、感情で我を失った状態かつ完全な意識外からの攻撃は成功を確信するほどに完璧で、だからこそ防がれたことに驚き、思考することを一瞬だけ止めてしまった。
それがいけなかった。
兼定を受け止めた靄の盾の表面が変形し、靄の槍がサナの顔面めがけて突き出してきたことに反応が遅れてしまった。




