第三十二話
第五章
32
翌日、空が白み始めるころにミイナを発った。普段であればまだみんな寝入っている時間帯だが、リウムたちが翠荘から出ると階段を降りた正面に着けられた荷馬車を囲む、たくさんの人々が出迎えてくれた。
頑張れ、必ず帰ってこい。みんな目に涙を溜めて口々にそんな言葉を投げかけながら、手を振り、握手を求めてきた。
荷台に乗り込みムネノリが「行ってくる」と短く告げると、喝采が上がった。
彼らの思いに答えなければならない。この作戦を必ず成功させ、きっと全員揃ってミイナに帰ってくる。
そのためには与えられた任務を必ずこなさなければならない。リウムが上手くやれなければ、それは即作戦の失敗を意味するのだから。
与えられた重大な責任に胸が押しつぶされそうになって、左手を握り締め、空を見上げて深呼吸をした。
土と草の混じった濃い香りが緊張をほぐしてくれるようで、二回三回と繰り返すといくらか楽になってきた。
「大丈夫っすか、リウムさん」
その様子を見られていたのか、隣にいたイヴァンが不安そうな顔で尋ねてきた。
「ああ。少し緊張してる。けど、もう大丈夫」
そう答えてやると「そうですか」と一旦は頷いてくれたものの、未だにこちらを横目で見る顔には心配の色が浮かんでいる。
「俺は……ちょっと心配っすよ。俺の力でリウムさんを守り切れるかって」
ただ、それは単にリウムを心配してというよりも自らに与えられた役割に対するものもあったようだ。現に今もわずかにだが不安そうな顔をしている。
だが、それでも決して臆して逃げたいとは口にしない。
「戦う力がない我が役に立てるのなら喜んで力になる。それにボディーガードを我は信頼しているから大丈夫さ。そうだろ、相棒」
「……はいっす!」
相棒という言葉が余程気に入ったのか、イヴァンは上機嫌で先ほどの不安などどこかへ飛んで行ってしまったかのようだ。
その横顔を見ながら、逆に心に差した影に唇が痙攣した。
脳裏に過るのは人型の顔。感情という要素を削り取ったような顔で、防衛班の人たちとヴィクターを殺した張本人。
ここで奴を倒さなければきっとこれからもミイナは襲われる。無慈悲に、不条理に。
それだけは絶対に避けなければならない。
目を瞑る。昨日の作戦会議の様子を頭に描きながら、決意を新たにする。
◇◇◇
ただ、と言い淀んだムネノリが口を開いたのは、それからしばらくした後のことだった。
「僕が提案するのは囮作戦だ」
テーブルに両手をついてゆっくりと全員に視線を送ったムネノリは静かに告げた。
「正直相手の力は未知数だ。となると不必要な被害を出さないためにも超短期戦以外ありえないと思う。そこで僕は囮作戦を提案したい」
「あの、囮作戦とは具体的にどのようなものなのでしょうか」
おずおずと言った様子でイヴァンが手をあげた。
「概要を説明するよ。まず、今回の作戦を立案する際に重要なポイントがある。それは人型がリウム君に執着を見せているという点だ。リウム君、今回の襲撃の報告にあったけど、もう一度確認させてほしい。人型が君に対して敵意を剥き出しにしていたのは確かなんだよね?」
「ああ。『まってろ。かならず、おまえ、ころす』と確実に我を見て言っていた」
「一般的にトリアンにとって人間全般は捕食対象であり、特定の人間に対して固執し憎悪を抱くことはありえないとされている。でも、人型は違う。僕はここに突破口があると見ている。作戦はシンプルだ。まず洞穴前で警戒をしているヲムートたちは僕が遠距離攻撃で仕留める。そうしたらリウム君が洞穴の前で人型を誘き出すんだ。リウムくんに執着している人型のことだ、必ず誘いに乗ってくるはず。リウム君は可能な限り人型の意識を引きつけてほしい。怒らせることができればその方がいい。そして、注意散漫になったところをサナちゃんが一撃で仕留めるんだ」
「となると、人型に気取られない場所が必要になる」
サナが零した言葉にムネノリが頷く。
「洞穴のある岩壁はかなり高さがある。そこなら気配も悟られないし、上部から飛び降りる形で攻撃すれば気配もなく倒せるだろう。サナちゃんの速さがあれば問題なくこなせるはずだ」
「なるほどな。それで超短期戦ということか」
サナが得心したというように頷く。
「リウム君の警護にはイヴァン君に任せる。もちろん僕もヲムートたちを倒した後には三人のバックアップに回る」
「私の一撃が防がれたときはどうする?」
「その場合はリウム君とイヴァン君は後退、サナちゃんが交戦して僕が前線で補助と支援を行う」
「勝負が決めきれない場合は?」
「できれば仕留め切ってしまいたい。だけど、もし仕留められない、もしくはこちらが劣勢になった場合は撤退だ。殿は僕が務める」
「まあ、その辺が妥当だろうな。私も奴と長期戦になるは避けたいところだ。いいぞ、その作戦で構わない」
「二人はどうだろうか」
リウムとイヴァンは顔を見合わせてそれからムネノリに視線を向けて無言で頷いた。
「正直、自分で身を守る手段を持たないリウム君に危険な役割を負ってもらうのは気が引けるんだ。でも、この機会を逃すわけにはいかない。だからリウム君、危険を承知で囮の役目をお願いしたい」
「我は」
三人から視線が注がれる。
「我で役に立てることがあるのならなんでも協力させてほしい。それが危険なことであっても結果的にミイナの人達を守ることに繋がることなら……ヴィクターさんの仇討ちの一助になれるなら」
はっきりとした口調で言った。
◇◇◇
「イヴァン」
「なんすか?」
「いきなり肩を並べて戦う機会が巡ってきたな」
「……リウムさんは怖くないんすか」
「怖いよ。でも、守ってくれる仲間がいるから大丈夫だ」
「死ぬかもしれないんすよ?」
「この世界では戦いから逃れて生きていくことはできないんだろう。だったら、この作戦は避けて通れない。それに囮役はゲシュを扱えない我が唯一戦うことができる方法だ。だったら、その武器を使って戦うよ」
なにか言いたそうにイヴァンは口を開いた。が、結局口の中で噛み砕くようにして思いは飲み込んだようだった。なにを飲み込んだのだろう、とは考えるまでもない。イヴァンはリウムが作戦の要になっていることに恐怖を覚えているのだ。
万が一の場合、自分がリウムを守れるのだろうか。大方そんなことを考えているのだろう。
イヴァンは他と比べても戦闘力という点では劣っている。それは周りだけでなく、本人も自覚していることだった。
「でも、そうだな。一つだけ心配なことがある」
そう言うと、はっと顔を上げたイヴァンは生唾を飲み込んで「な、なんすか……?」と、まるで死の宣告でもされるかのような怯え顔を見せた。
「まさかとは思うが、ついでに我のゲシュの覚醒もしてしまえ、なんてことは思ってないよな?」
始めはなにを言っているのか分からないといった表情で。それから次第に顔から力が抜けていき、最後には目を細くして「そんな鬼畜なことしないっすよ」と笑い泣きをするように言った。
「あははは。こんな状況で冗談を飛ばせるんなら覚醒も案外近いかもしれないね」
「私は別にそれでもいい」
「いや……いやいや。冗談だぞ? 本気にしないでくれよ」
「前向きに検討しておく」
「おい、マジかよ……」
こんな他愛のないやり取りだったが空気が弛緩していくのが分かった。サナが忍び笑いをもらすと、それが三人に波及していく。
「それじゃあ帰りに答え合わせをしましょう」
「答え合わせ?」
ムネノリが首を傾げて問うと、イヴァンは微笑みながら言った。
「リウムさんがゲシュを覚醒できたのかどうかをっす」




