第三十話
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「見つけられないんだ」
「え?」
「一本の道が見つかったと言っていただろう? 我にはその道が分からない。ずっと目を瞑って迷路を歩いているような気分で、焦りがある」
そんな独白をして、明確な嫉妬の火が胸の中で灯ったのを感じた。
自らの弱いところを晒して受け入れて、進むべき道を見つけているイヴァンが羨ましく思えた。
「……聞いてくれないか」
言ってから、胸に虚しさが差した。
「もうヴィクターさんはいないから」
◇◇◇
二人腰を下ろし、城壁の上でちりちりと燃える篝火を眺めている。
「……七面倒臭いやつだって言われたよ。まったくその通りだ」
話していて自分で呆れてしまった。ただ、それがリウムという男なのだと改めて思う。
「ずっと宙を漂っているような気持ちだった。天地がひっくり返って目は覚めているのにずっと夢を見ているような気分だったんだ。でも、ヴィクターさんに話を聞いてもらって、少しは心の絡まった糸がほぐれたような気がしたんだよ。それでどうしたら……いや、どうしたいのだろうと考えていた」
「答えは……出ましたか?」
リウムは首を横に振る。
「いいや。まだ無理だ。ただ……」
「ただ?」
「……ヴィクターさんと防衛班の人たちが死んで、ふとこの世界に色がついたような気がした。無味簡素だった世界が赤く感じる。空気が苦く感じる。雨が熱く感じる」
現実味の薄かった世界が鮮明になったと思う。
「ここにきて初めて生きている感じがした。最低だよな。ヴィクターさんたちが死んでそんなことを思うなんて」
イヴァンはなにも言わない。口を開く気配はあるものの、声にならないようだった。
「でも、ようやくこの世界で息ができたような気がする」
死だけが、この世界に現実味をもたらした。
「……こんな話をされても困るだろうな」
イヴァンに答えを求めていたわけじゃない。ただ、前を向いて歩こうとしているイヴァンの背中を見て、ふと手を伸ばしてみたくなってしまったのだ。
置いて行かないでくれと。
「ヴィクターさんに言われたことがあります。悩みってのは悩んだときにはすでに答えが出ているもんだって。リウムさんはそれで……どう思ったんすか?」
追悼しているのに変な空気にしてしまったことを詫びて辞去しようと腰を上げかけたとき、イヴァンが顔を向けてそんなことを言った。
思わず顔を向ける。セルリアンブルーの瞳は月と星の明かりを反射して、まるで瞳の中に夜空を宿しているかのようだった。
有無を言わせぬ迫力があった。リウムは浮かせかけた腰を落とした。
「……我は死をもってしか現実を理解できない。だけど、これ以上ミイナの人たちが死ぬさまを見るのは嫌だ。そんなことで現実を感じて生きていることを実感したくない」
ヴィクターたちの遺体が並べられ運ばれていく様子を雨に打たれながら見送り、求めていた現実を肌に感じてそう思った。
目に映った泣き叫ぶ人々、人型に怒りをぶつける人々、途方に暮れて力なく座り込んで動けなくなってしまう人々。
その光景が瞼の裏に焼きついて離れない。
「そのためなら……」
そのためならなんだ。戦えるか? 本当に?
「それなら……俺から一つ提案があるんすけど」
不意にそう言われ、イヴァンの顔を見つめた。
イヴァンはリウムを見てはおらず、ただまっすぐと前だけを見つめている。まるでその先に、希望の光でも見つけたかのように。
「提案?」
「はい。リウムさん、俺と一緒に夢を追いかけてくれませんか?」
今度はリウムが虚を突かれたような顔をする番だった。
「なにを……言って」
「俺、ずっとリウムさんにはこう……上手く説明できないんすけど、他の人とは違うなにかを感じていたんです」
照れくさそうに首筋を撫でるさまは、まるで長年隠し通してきた稚拙で口に出すのも恥ずかしい夢物語を吐露する少年のようだ。
「具体的になにが違うのかって聞かれると困っちゃうすけど、でも、俺はリウムさんはいつかきっとミイナを変えてくれるような存在になってくれるんじゃないかって思うんすよ。ほんと漠然としすぎてて、こんなこと言われても困ると思うんすけど」
実際、反応に困ってしまった。
ゲシュを覚醒するどころか、夢と現実の境で右往左往しているような中途半端な人間にそんな大それたことができるはずがない。
だから、リウムはイヴァンから目を逸らした。こんな純粋な青年の期待を裏切るのが忍びない。
「我はそんな人間じゃ……」
「やめてください」
寄せられる期待に苦しくなって否定をしようとした。しかし、それはイヴァンの鋭い声で遮られた。
「理屈とかそんなものは関係ありません。誰がなんと言おうが、俺はリウムさんを信じているんす」
イヴァンのまっすぐな視線に射抜かれる。
逃げないでくれ。真剣な眼差しがそう言っている。
「俺は俺の信じる道を進むって決めました。そして、その道にはリウムさんがいるんす。いや、いてほしい。だから、どうですか」
リウムは答えに窮してしまう。
この世界を現実だと思えるようになったのはいいことだと思う。少なくとも夢に強い現実味を感じて、今を生きようとしないのは不健全だ。
イヴァンと共に夢を歩むというのは現実味があるし、なにより強く心を惹かれる。
しかし、では、何故戦うと言い切れないのか。ゲシュを解放していないからか。トリアンが怖いからか。もちろんそれもある。ただ、心に引っかかるまだリウム自身も気がついていないしこりがあるのだ。
それはなにか。
「覚悟が、決まらないんだ」
「覚悟?」
「自らの命を失う覚悟もそうだが、それよりもっと大きなもの。例えるのなら……」
ヴィクターたちの死を経験し、この世界を現実だと思えるようになった。そして、トリアンという人を食らう悪鬼からミイナの人々を守りたいと思うようにもなった。
今の姿を見ればサナも少しは見直してくれるのではないだろうか。少なくとも、生きる力が弱い匂いがするなどとは言わないはず。
ならばどうして言い切れない。
「託された想いを守り通す覚悟、か?」
逡巡して口をついて出てきた言葉の意味を、リウム自身理解できなかった。
「いや、どうしてこんなことを……」
まるで何者かに操られたような気味の悪さがあった。ただ、口に出してみると案外腑に落ちる不思議な感覚もあった。そして、その感覚の元を辿って一つの光景が見えた。
それは夢の世界の話。暗い世界を落ちていく最中に思った同志たちへの悔恨。
仲間の想いを守ってやれなかった。仲間の命を守ってやれなかった。その絶望はあまりにも深く重く、正面から受け止めれば心が灰になってしまうほどの悔恨の熱を持つ。
普通の人ならどれほど現実味のある夢だとしても、所詮は夢だと割り切れるだろう。しかし、ことリウムにとってその生々しい夢はただの夢だと切り捨てるにはあまりにも真実味のあるものだった。
だからこそ、喉元のしこりを無視することができない。二つの現実を感じ、生きているリウムにとっては、それは難しくてできないのだ。
もし戦うと決めて守りたい人を守れなかったとき。あの絶望をもう一度味わわなければならない。
それが怖いのだ。だから覚悟を決めきれない。
「リウムさんはそれでいいんですか」
立ち上がったイヴァンがリウムを見下ろす。唇を噛みしめるさまは悔しさを堪えているようだ。
「リウムさん、自分で言っていたじゃないですか。これ以上ミイナの人たちが死ぬさまを見るのは嫌だって。覚悟ができないって言いましたけど、リウムさんの覚悟ができる、できないに関わらず人は死にますよ。トリアンとの闘いはこれからもずっと続きます。その中でムネノリさんも、サナさんも、俺も死ぬかもしれない。そのときにリウムさんは後悔しませんか?」
「それは……」
「後悔を納得して受け入れられますか? 俺たちの死体の前で更に強くなっていく現実感に苦しむことになってもリウムさんはそれでいいと思えますか?」
ぶつけられる言葉はどれも痛々しいほど正しくて、リウムはなにも言い返せない。
「俺は理性的になればいいってもんじゃないと思います。きっとなにかを選べばどこかが矛盾して、しこりを残すんですよ。生きるってそういうことなんだと思います。でも……だったら選んでくださいよ。どうせ矛盾するなら、俺と一緒にミイナを守るための戦いに手を貸して下さい」
イヴァンがそっと手を差し出した。
「多分すけど……死でしか現実を実感できないのは、きっとそんな世界しか見てこなかったからっす。でもこれからは違いますよ。翠荘もミイナも、みんないるっす。苦しいと思ったら俺に話してください。くじけそうになったら俺が肩を貸します。諦めそうになったら俺がリウムさんの頬を叩いて目を覚まさせてあげます。生きていればきっとこの手を取ってよかったと思う日がきます。断言してもいい」
そう言い切るイヴァンも瞳が揺らいでいる。
確定した未来などない。しかし、イヴァンの目は、声は、その未来が必ずくると迷いと弱さを残しながらも信じている。
「……すまない」
「リウム──」
「お前には世話になりっぱなしだな」
立ち上がり、イヴァンに向き合った。
「お前の言う通りだ。ミイナの人々が死んでいくさまを見たくないというのもまた心からの想いなんだよな。だったら……その道を行く。理性であれこれ考えずに、感情の赴くままに。そして、その先で得た答えを元にまた悩もう。今はそれでいい……よな?」
「……はい!」
ヴィクターは言っていた。理性だけで答えを探すなと。
確かにその通りかもしれない。割り切れない想いは未だ胸の奥で燻っていて、こうしてイヴァンの手を取った今も晴れ晴れとした気分ではない。
だが、それでいいのだ。
問題を複雑に考えて今一番手にしたい答えから目を背けているのは、悩んでいる振りをしているだけにすぎない。
自らの心に問う。
今、この瞬間にリウムという男はなにを選びたいのかを。
「イヴァンの夢を……手伝わせてくれ」
イヴァンの手を取る。その瞬間、胸の奥でなにかが動き出した。
「はいっす!」
夜だというのにイヴァンの弾けるような笑顔は、太陽そのもので思わず目を細めてしまった。
「俺、俺頑張るっすよ! いつかリウムさんが安心して背中を預けられると思う男に絶対なってみせるっす」
「それは逆だろう。こっちはまだゲシュすら解放していないんだから」
「そんなのきっとすぐっすよ! リウムさんならきっとムネノリさんもサナさんも超えるアシュテートになれるっす」
「そうなれるように努力するよ。これからよろしく頼むな」
夜空を見上げれば満点の星空で、互いに戦友を見つけたことを祝福してくれるかのように煌めいていた。
きっとこの夜空は一生忘れないだろう。矛盾を抱えつつも、進み始める覚悟を決めた日。
生涯の戦友を見つけた日。
心に刻もう。
夜空を瞬く星々に見守られたこの夜。
リウムという男はようやく自分の足で立った。




