第二十九話
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ムネノリが去ってからもしばらくベンチで項垂れていたが、ようやく重い腰を上げてあてもなく歩き始めた。
中央広場は一時的に封鎖されていて入れないようになっている。通りを歩くとすれ違うのは黒の戦闘服を着た防衛班の人がほとんどで、眉間に皺を寄せて歩いている人ばかりだった。
今日の襲撃で防衛班にも五人の犠牲者が出ている。しかし、今は散っていった仲間を追悼するだけの時間はない。むしろ、これからもっと犠牲が増えるかもしれないのだ。そう考えれば、殺気だった顔をしているのも頷けた。
用もないのにうろついて彼らの邪魔になってはいけない。
リウムは再び来た道を引き返した。そして、一旦は大人しく部屋に帰ろうと思ったものの、翠荘が見えてくると、やはりまだもう少し歩いていたいという気持ちが強くなりそのまま通りすぎた。
そして、進んだ先に現れた看板の下で座り込む人影を見つけた。
「……イヴァン?」
イヴァンの名を呼ぶと小さく肩を跳ねさせて、それから緩慢な動きで顔を上げた。
リウムは顔を見てはっと息を呑んだ。
げっそりと憔悴した顔をしていたからだ。
「……こんなところでなにしてるんだ」
「ヴィクターさんと……防衛班の皆さんを偲んでいたっす」
看板を支える柱に寄りかかるイヴァンのすぐ横の地面には木製のカップが置かれている。
「ショウガ湯っすよ。本当は美味い酒でも飲ませてあげたかったんすけど、そんなもの手に入らないっすから」
やつれた顔で笑うから悲壮感がより強い。間の悪いところに出くわしてしまった。きっとイヴァンなりに死んでいった者たちへの追悼をしているのだろう。なら長居は無用だ。
しかし、リウムが短く「そうか」と言って早々に去ろうと踵を返そうとすると、
「よければ一緒にどうっすか」
と、引き留められた。
どうしたものか。辞去するべきかとも思うが、誘いを無下にするのも躊躇われた。
「怪我は大丈夫だったのか?」
イヴァンの隣へ腰を下ろしながら尋ねると、小さくほっと息を吐く気配があった。
「思いっきり顔面にもらっちゃいましたけど、脳を揺さぶられて気を失っていただけなんでもう大丈夫っすよ。リウムさんこそ怪我は?」
「防衛班の皆やイヴァンとサナが守ってくれたからな。軽い打撲だそうだ。ありがとう」
本当はもう少し重い怪我だったが、死んだ人もいる中でこうして生きていられるだけ儲けものだ。だから、できるだけ深刻にならないように軽い口調で言った。
「それならよかったっす」
そんなリウムの心の内は知ってか知らずか、イヴァンは細く笑うだけだった。
しばし沈黙がおりる。看板の下で防衛班が松明を持って巡回している様子をぼんやりと眺めた。
「ヴィクターさんはとってもいい人でした」
空を覆っていた雲が薄くなり始め、合間から星の姿がいくつか見え始めたころ、イヴァンが懐かしむように言った。
「ちょっと口が悪いんすけど、気さくで、落ち込んでたり悩んでいる人を放っておけない人で。ムネノリさんはヴィクターさんを人の感情の機微がよく分かる人だって言ってました。普段から人のことをよく見ていて、悩みを表に出さないようにしていてもヴィクターさんには一発で見抜かれちゃうんす。しかも、それで夜通し相談に乗ってくれるんすよ」
イヴァンもその相談に乗ってもらっていたのだろう。そのときのことを思い出して忍ぶような笑いが漏れてきたのが聞こえた。
「ヴィクターさんは決してこうしろとか、ああした方がいいとか、明確な道筋を示してはくれないんです。どちらかというと、悩んでいる本人の心の奥底に埋もれた本音を掘り起こすというか。でも、最後までは掘り起こさないんです。あともう少しってところまで一緒に手伝ってくれて、最後のひと堀りになると手を貸さずに見守ってくれる。そんな距離感がきっとみんな好きだったんだと思います。だから、ヴィクターさんはミイナに住む人たちの相談役みたいなことをしていたんですよ」
「ああ。なんとなく分かるような気がするよ」
「でもね、ある程度相談の終わりが見えてくると、今度はアメリさんと出会ってどれだけ幸せかって惚気話を聞く羽目になるんす。まるで相談に乗ってやった対価を払えって言うみたいに。おかしいでしょ。しかも大体最後はアメリさんに恥ずかしいからやめろってヴィクターさんが叱られるんですよ」
「目に浮かぶな」
「そうでしょ」
同意すると今度は堪えきれなかったというように声を出して笑った。
「俺もよく相談に乗ってもらってたんす。俺……ずっと劣等感があったから」
「劣等感? お前が?」
「意外っすか?」
「ああ。翠荘で戦うお前がどうして劣等感なんか」
「それですよ。俺は……本当は翠荘にいられるほど強い人間じゃないんすよ」
イヴァンは遠い目をして言った。
「いや、そんなことはないだろう。昨日だって今日だって勇敢に戦ったじゃないか」
これはリウムの本心だ。実際イヴァンはトリアン相手に臆することなく勇敢に立ち向かっている。そんな卑下するようなことはないはずだ。しかし、イヴァンは力なく首を横に振る。
「全然っす。リウムさんだって昨日見たでしょ? 俺はヲムートにすら勝てなかったんすよ」
「それはみんなでわざと窮地に陥った振りをしていたときの話だろう?」
あれはゲシュ覚醒のための演技だったとサナが言っていた。だから、当然イヴァンも演技をしていたはずだが。
「ムネノリさんとサナさんはそうだったと思います。でも、俺は違うんすよ。あれが俺の実力なんす。手負いのヲムート一体押しとどめるだけで精一杯なんすよ」
「でも……ムネノリは翠荘のメンバーはミイナの最高戦力だと」
「それは間違いないっす。けど、俺はそこには入らないんす。戦闘力って観点で見れば防衛班にも索敵班にも俺より強い人なんてゴロゴロいます」
「そう、なのか」
「ムネノリさんやサナさんのように化け物を一方的に屠るような戦いはできない。それどころかゲシュの扱いも下手で。みんなそれがわかっているからこそ、なるべく安全なポジションをあてがってくれるんす。俺がミイナにきてから二年くらい経つっすけど、一度だって最前線で戦ったことはないんすよ。いつもバックアップか後方支援。でも、それは仕方がないんす。だって俺が弱いのがいけないんすから」
今までの戦いを思い出す。確かに昨日の戦闘ではトリアンの数は多いにもかかわらず、実質的な戦闘はサナ一人で行っていて、イヴァンに与えられた役目はバックアップだ。
そして、今日の壁外にトリアンたちが現れたための緊急出動でも実際に現場に出たのはムネノリとサナだけで、イヴァンは翠荘で待機を命じられていた。
「本当はトリアンと戦うのが怖いんす。弱くて怖がりで役立たず。それがイヴァンという男の正体なんすよ」
足元の草を毟って、指の腹で揉みながらイヴァンは自嘲した。
「でも、それならどうして翠荘に残るんだ? ムネノリに言えば他所の班に移ることもできただろう」
純粋な疑問だ。
リウムはイヴァンのことを役立たずだと思わない。だが、本人がそう断言するのならば翠荘に拘る理由はなんなのだろうか。
トリアンが怖いというのなら、翠荘に残るという選択は一番忌避すべきだろうに。
「俺の我儘を聞いてもらってるんす」
イヴァンはそう言うと腰を上げておもむろに手を空にかざす。すると月色をした光の粒が集まり始め、淡い光はやがて一振りの剣へと姿を変えた。
「それは……」
「俺のもう一つのゲシュっす」
リウムの背丈ほどの大剣は鍔もなく握りも剥き出しという見た目をしている。刀身は夜空の底から掬い上げたような、光を拒むかのように果てのない漆黒。
眠り続ける獣のように静かで、それでいて底知れない気配を孕んでいる。
「基本的に一人の人間が物質として具現化できるゲシュは一つという原則があります。でも、俺はクオータースタッフとこの剣の二つのゲシュを具現化できるんです」
「そんな力を持っていたのか……。でも、昨日も今日もその剣は使っていなかったよな。どうしてだ?」
「それはこいつがなにも斬れないからですよ。トリアンに傷を負わせるどころか、草花すら傷つけられない。こいつは今の俺と同じ役立たずの存在なんす」
しかし、口ではそう言うものの、イヴァンの目は悲観に暮れるでも、諦観に沈むでもない。
その目に宿るのは陽光のようにギラギラと滾る力強い戦いへの意思だった。
「普通なら諦めるべきなんでしょう。二つ持つゲシュのどちらともトリアンとの闘いに適していない。だから、防衛班とか、どこかの工房で働く方がミイナのためになるのかもしれない」
「それでもイヴァンはトリアンと戦うことに拘るんだな」
「はい。ミイナで異なる二つのゲシュを持っているのは俺だけなんす。これにはきっとなにかの意味があるはず。もしこの剣になにか大きな力が隠されていたとして、俺がその力を引き出すことができれば、俺とこの剣は役立たずからミイナの皆を守る盾にも剣にも変われるかもしれない」
イヴァンが剣を地面に突き刺す。今晩は月に薄雲がかかり、普段よりも一段と夜が濃い。だから夜闇に溶ける色をしたその剣は、注視していなければすぐでも見失ってしまうほどに存在感がない。
「俺はずっと自分が弱いのが嫌だった。でも、どれだけ努力してもみんなのように強くなれない。いつまでも背中を見ているだけ。それがずっと心にあって勝手に劣等感を覚えていたんす。それを見抜いたのがヴィクターさんでした」
「ヴィクターさんからはなんと?」
「この剣を見て『俺はこういった道具の良し悪しは分からねえ。が、きっとこの剣は待っているんだろうと思う。俺の勝手な思い込みさ。でもよ、どうしてかそんな気がしやがるんだ』と嬉しそうに言っていたんです。そして『お前がこの剣を導くような気もする。だから、他所に目を奪われている場合じゃねえんじゃないか』って言ってくれました」
ヴィクターらしい発破をかける励まし方だ。
「今も劣等感がなくなったわけじゃないんす。時々、心が虫食いに遭ったように穴が開いて、どうしようもない嫉妬に焼かれそうになることもあります。ただ、俺が見て歩く道はそのときから一本に定まりました」
イヴァンの涼しい瞳に宿るのは轟々と燃え盛る魂の色。
「俺は死んでしまった人たちの想いも、これから先の未来で仲間になる人たちも守りたい。仲間の死を嘆くしかできないのはもう嫌だ。この手で戦って守りたい。そのためには翠荘が一番合っている。だから、ムネノリさんに無理を言っておいてもらっているんす」
イヴァンが柄から手を離すと剣は光の粒になって霧散した。空へ舞い上がっていく光を見つめる横顔は決意が現れていた。
そこにやつれた顔をしたイヴァンはいない。
「俺はこの剣に期待しているんす。ヴィクターさんの言ったようにこの剣にはなにかがある気がする。もしそれがミイナを守るための力になるのなら必ず使いこなして、今度こそ仲間を守りたい。だから、俺は引かない」
夜空が明るくなったような気がして見上げると、雨雲の残り香のような薄雲はいつの間にか流れていた。空に浮かぶ星々はいつも通りにミイナを照らしている。
「お前は……強い男だな」
「な、なんすか、いきなり」
そんなことを言われると思っていなかったのだろう。イヴァンは虚を突かれたような顔をして目を瞬いた。
そんなイヴァンにもう一度、今度は少しの嫉妬を込めて言ってやる。
「羨ましいくらいに……強いよ」
力も弱くトリアンと戦うのも怖い。似た境遇のイヴァンがどうしてここまで強くあれるのかが分かった。
イヴァンという男の強さはサナのような圧倒的な戦闘力でもなく、ムネノリのようにミイナの人々の心を掴みまとめ上げる求心力でもない。
イヴァンにあるのはどれほどの苦境にあっても折れない心で、心に恐怖を持ち続けたままでも進み続けようと足を一歩踏み出せる精神の強さと、逆境にあっても自分を見失わずに信じ続けることができる強さだ。
翠荘の役立たずだとイヴァンは自らを自嘲したがとんでもない。
どんな世界でも諦めない精神を持つ者こそが勝利するのは変わらない。
イヴァンという男はその資質を本人も気づかぬうちに持っている。
きっとイヴァンは、まだ誰も見たことのない未来を切り開く男になる。




