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第二話

 02

 綺麗な人だ。

 もうしばらくの間見つめているのに一向に気づく様子のない彼女を見て、我はやはりそう思った。


 やはりというのは、窓から差し込んできた月明りが顔に触れて目が覚めて、吹き込んでくる風に乗ってきた花の香りを辿って視線を向けた先に居た彼女を見て思い、それからこの女性は誰だろう、というかここはどこなのだ、我の身に一体なにがあったのだろうと一通りの疑問を頭の中で羅列してから、その横顔に見惚れて自然に出てきた感想だった。


 毛先がうねるような癖のある黒髪を下ろし、切れ長で大きい瞳は猫のように凛としていて涼しさがある。

 少し近寄りがたい印象のある大人びた顔から恐らく年上だろうとあたりをつけるが、それほど離れてもいないだろう。


 彼女は太もものほとんどを露わにした短いズボンと白いシャツ姿というとてもラフな格好で窓から差し込んでくる月明りを頼りに読書をしていた。

 背表紙は影になっていて題名が見えないのでどういった内容の本を読んでいるのかはうかがい知れない。ただ、月光で色づいた琥珀色の瞳は星を宿しているかのように煌めいていて、心はこの場にはなく物語の世界に浸っているのだろうなと思わせた。


 この瞬間、室内にあるのはページを捲る音だけで、その他は遠くの方で蛙の鳴く声が微かに聞こえてくるのみだ。

 だからだろうか。普通であれば知らない場所で目覚め、体は重くて満足に動かすことも声を出すこともできず、更には覚えのない女性と部屋で二人きりという警戒心を抱くべき状況であるはずが、不思議と落ち着ける空間だと思ってしまった。


 何年ぶりにこんなに心休まる時間をすごしただろうか。何故だかそんな気がして、一度心地よさを自覚してしまえば途端に瞼が重くなってくる。

 抗いがたい誘惑に抵抗しようとする気持ちが一瞬だけ顔を覗かせる。しかし、意識が瞼の裏に広がる闇に溶けていくのを止められなかった。

(眠ってしまおう) 

 霧のように残った意識が最後に耳にしたのは本のページを捲る音だった。 


 ◇◇◇


 ざわり、と背筋が凍るような感覚で目が覚めた。瞬きを三回。視界に移るのは巻雲のような木目の天井。

 再び瞬きをして、それから記憶を探る。ふむ、ここはどこだ。


 覚えのない天井を眺めながら自問自答しようとして右頬に微かな風を感じた。視線を向けると、カーテンの閉められた窓がわずかに開いていて、そこから風が吹きこんでいたようだ。ふわりと薄緑のカーテンが煽られると、日光が差し込んで横になっているリウムの胸の辺りを照らす。

 暖かいというよりは熱いくらいの日差しだ。もう一度窓に視線をやる。


「女性がいたような気がしたが」


 朧気ながら窓辺で月明りに照らされながら本を読んでいた女性の顔が浮かんだ。


「綺麗だったな……」


 そんなことをぼそっと呟いて恥ずかしくなった。目覚めて最初に思うことが女性の、しかも目を奪われたことを認めるような発言とは。

 危機感がない。腑抜けている。気持ちを切り替えねば。


 横になったまま視線だけで部屋を一瞥する。室内はよく言えばこざっぱりとしていて、大きな衣装棚が一つと、一人用の木製のテーブルが一台だけ。

 誰かが住んでいるような形跡はなく、少しだけ残る埃臭さは長い間居住者がいなかったことを伺わせた。

 左手には曇りガラスが嵌められた引き戸があり、その向こうには更にもう一間部屋があるようだ。


(本当にここはどこなんだ)

 そんなことを考えていると、左手の奥の部屋から控えめなノックが聞こえた。そして、かすかにドアが開く音と共に「おはようございます」と、男性の囁くような声が聞こえてきた。

 ミシミシと床の軋む音が近づいてくる。そして、引き戸がゆっくりと動き出すタイミングで咄嗟に薄目をして寝たふりをした。


「まだ……起きてないっすね」


 そんな独り言をつぶやきながら顔を覗かせたのは、金色の短髪頭でセルリアンブルーの瞳を持つあどけなさの残る青年だった。二十歳はまず越えていないだろう。十七、八というところだろうか。

 青年は手に桶を持っていて、一旦それを枕元に置くと中途半端に閉まっていたカーテンと窓を開けた。

 途端に土の湿った香りと共に風が室内を駆け抜ける。


「梅雨も明けてこれから暑くなるなあ」


 窓から差し込む日差しを浴びて、声を弾ませる青年は待ちきれないと言った様子で言った。


「さてと……」


 青年はしばらく窓の外を眺めていたが、腰に手を当てて伸ばす仕草をすると衣装棚へ向かい、引き出しを開けて中から一枚のタオルを取り出し枕元に腰を下ろすとタオルを桶の中に浸した。


「今から体拭きますね」


 なに、と少し身構えて目を開けてしまったのがいけなかった。

 青年が樽から顔を上げた瞬間、視線がかち合う。


「……」


「……」


 互いに無言。


「さ……」


 青年の口がわずかに動く。綺麗なセルリアンブルーの瞳が徐々に見開かれ──。


「サナさーん!」


 まるで化け物でも見たかのような悲鳴を上げて青年は部屋から飛び出して行ってしまった。


ここまで読んで下さりありがとうございます。

コメントや評価をしてくださると今後のモチベーションに繋がるので、ぜひお願いいたします。

この作品は、カクヨム、TALES、アルファポリス、Nolaノベルにも掲載しております。

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