第二十三話
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後に聞いた話ではその鐘が鳴らされるのは、設置以来のことだったらしい。だから、始めはなにが起こったのか分からなかった人が多かったそうだ。
ある人は聞き間違いかと止めた仕事の手を再び動かし始め、ある人は鐘楼の場所すら忘れて、何処から音が鳴っているのかと空を見上げていたという。
その時点で緊急事態が発生したと理解していたのは防衛班と翠荘の面々だけだった。
翠荘はすぐさまムネノリとサナが東門から出撃した。防衛班も緊急事態宣言を発令し、全防衛班がミイナの街に散らばった。
それでもなお、町の人たちはまだなにが起きたのかを理解していなかった。それだけミイナが襲撃されるということは非現実的なことで、あり得ないという先入観が人々の心で育ちきっていたのだ。
その先入観が打ち砕かれたのは鐘の音が鳴り響き始めて三分後だった。
中央広場に空から謎の飛翔体が落下したのだ。
◇◇◇
ドン、とまるで空から大岩が落ちてきたような音と衝撃が町全体を大きく揺らした。
「なんだ、一体なにが──」
ヴィクターは椅子から転げ落ちて何事かと目を白黒させている。リウムも似たようなものだった。
だが事態はすぐに動いた。悲鳴と怒号が聞こえ始めたのだ。
それを聞いてヴィクターは慌てて立ち上がり、店の扉を体当たりするように開けて飛び出した。リウムはなにがなにやら分からずあっけにとられつつも、異常事態だということだけは分かったので遅れて後に続く。
外に出てみると、商店街の通りをたくさんの人が必死の形相で逃げ惑っていた。
まさに混乱極まるといった様子で、まだなにが起きたのか分かっていない人たちも、鬼気迫る表情で逃げ惑う人の波に押し出されるように慌てて逃げ始める。
「おい、なにが起こった!」
ヴィクターも始めはその空気に飲まれていたようだったが、すぐに気をとり戻すと逃げ惑う人のうち一人の男を引き留めた。
「ああ!? ああ、ヴィクターか。お前も早く逃げろ! ちんたらしてると殺されるぞ!」
引き留められた男は目を血走らせて口から唾を飛ばす。
「殺されるってなにに」
「トリアンだよ! 中央広場にトリアンが降ってきやがったんだ!」
「なんだと!?」
「お前も早く嫁さん連れて逃げろ!」
それだけ言うと男はヴィクターの手を振り払って住宅街の方へ逃げて行った。
トリアンが中央広場に降ってきた? ありえない。トリアンはミイナに近づかないとムネノリは言っていたはずだ。だが、この騒ぎを見ればそのありえないことが起きたことは明白だ。
中央広場。そこに今トリアンがいる。
そこまで考えて、ふと背筋が凍りつく。
「中央広場……。ヴィクターさん、そこにはアメリさんがいるんじゃ」
ヴィクターの眉間に寄っていた皺が解けていく。そして。
「おい嘘だろ……」
◇◇◇
弾かれるように駆け出したヴィクターの背中を追って人の波に逆らいながら中央広場にたどり着くと、その惨憺たる有様に息が詰まった。
噴水があった場所から土煙が上がり、トリアンが降ってきたときの破片で壊れたのか、露店や用意されていた商品は逃げ惑う人々に踏みつけられたのか土に汚れて散乱している。辺りには血と土の匂いが充満していた。
立ち昇る土煙が少し晴れてくると人の姿が見えた。黒い戦闘服を着た五人が、同じ方向を睨みつけてじりじりと間合いを計っている。
彼らが睨む先に目を凝らすと、やがて一つの影が見えた。
トリアンだ。
全身を覆う靄は濃く、その姿から位はヲムートだと推定できる。低位のトリアンだ。これであれば、人数で押し込めてしまえるはず。だが、間合いを計っている五人は様子を伺うように腰を落としたままで攻撃を仕掛ける気配を見せない。
「人、か……?」
口に出して、身震いしてしまった。
そのヲムートは人のような姿をしていたのだ。
背丈はリウムと同じくらいか、それより少し低いくらい。
腰の辺りから不自然に折れ曲がり、関節という概念を無視した姿勢のまま、微動だにしない。
遠くの方で聞こえていた住民たちの悲鳴がいつの間にか聞こえなくなっていた。
「ちくしょう。おい、防衛班! ここでアメリを見なかったか!」
ヴィクターがトリアンと対峙しているうちの一人に掴みかかる。異様な光景が目の前で広がろうとも、ヴィクターの頭にはアメリの行方を探すことしかないのだ。
「よせヴィクター! 今は下がってくれ!」
「アメリがここにいるかもしれねえんだよ! 早くあの野郎を片付けちまえよ! ヲムートだったらお前らでどうにでもできんだろ!?」
「そうもいかない! 奴は……ただのヲムートじゃない」
ヴィクターに掴みかかれた防衛班は額に脂汗を浮かせながら手を払う。
「ミイナに近づかないはずのトリアンが空から襲撃してきて、更にそいつは……人型ときた。人型トリアンなんて今まで見たことないんだ。なにをしてくるのか想像もつかん」
「だったら余計に被害が出る前に攻撃をしかけろよ!」
ヴィクターの怒号に防衛班は額に脂汗を浮かせて押し黙る。
リウムには彼らの気持ちがよく分かる。防衛班の後ろで隠れているリウムですら、恐怖に足が震え、鳩尾に力を入れていないと膝が折れそうだった。
しかし、それで納得できる心境でないのがヴィクターだ。
「アメリ! アメリ! どこだ、いたら返事をしてくれ! アメリ!」
防衛班が動けないと理解すると、彼らを押しのけて飛び出したのだ。
リウムと防衛班が咄嗟に腕を掴み引き留めようとするも。
「ヴィクターさん、ここは一旦下がりましょう!」
「ふざけんな! アメリがどこかで助けを求めてるかもしれないんだ。ここで旦那の俺が逃げる訳にゃいかねえ!」
「やめるんだヴィクター! 死にたいのか!」
ヴィクターがアメリをどれだけ愛しているのかは十分承知している。本当だったら今すぐにでも散らばる瓦礫の中にいるかもしれないアメリを探し出したいのだろう。
リウムだってそうできるのならそうしたいと思う。
「グ……ジ……」
はげしく主張がぶつかり合う状態であっても、その不快な音ははっきりと耳に届いた。
暴れていたヴィクターも必死に抑えていたリウムたちも瞬間、水を打ったかのように静まりかえる。
そして。
「グジグジグジグジ」
耳の奥を搔き乱すような不快な音を口から吐きながらトリアンの首がこちらを向いた。
靄に覆われているから顔は見えない。ただ、靄の奥に瞳のようなものが蠢いた気がした。
今この瞬間、確実にやつと目が合っているという確信がその場にいた全員にあった。
表しようのない気持ち悪さに全身が総毛立つ。
「グジグジグジグジグジ! ガドガドガドガド! ガルブジトイダ!」
風が吹いて崩れかかっていた瓦礫が倒れた。その音が戦いの火蓋を切る合図になった。
トリアンが予備動作もなく突進してきたのだ。
「チクショウ、迎え撃て!」
誰かが叫び、五人の防衛班の内二人がまずゲシュを使って槍を出現させ人型に向って奔り出す。
一人は空中に飛び上がって打ち下ろしを。もう一人は地面を這う蛇のように軌道の読めない突き攻撃。
上下から挟み込むような二人の攻撃は見事に人型の腹部と肩の位置に命中する。しかし、刃は先端が少し突き刺さるだけで体には食い込まない。
「グジアァァァ」
人型が雄叫びを上げる。すると体を覆っていた靄が蠢き槍の形状に変形し、そのまま二人の胸を貫いた。
血が地面に飛び散る。
「シッ!」
しかし、攻撃をするということは一瞬の隙を生むということ。二人を貫いたことで動きが一瞬止まったところに、続いて飛び出したもう一人が頭部を狙ってゲシュの斧を振り下ろす。
仲間がやられても生まれたほんのわずかな隙を逃さず攻撃に繋げる連携は、仲間の意思を継いで必ず仕留めるという決意の表れのようで。
「アマー」
その覚悟をあざ笑うかのような奇声を上げたトリアンが斧の一撃を紙一重で交わし、払うように腕を横に薙いだ。
「……ッ」
重いものがゴトリと足元に転がる。それが人の頭だと理解するのには時間がかからなかった。
それを見て呼吸が浅くなる。
首だけになった斧の持ち主の口がわずかに動く。そしてぐるりと動いた瞳がなにかを訴えるように震え──。
瞳の光が淀んで消えた。




