第二十二話
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「昨日ムネノリたちと修行に行ってきたんだってな。どうだった?」
木を組み立てて作った簡単な椅子に腰かけて向き合うと、ヴィクターはうずうずと待ちきれないように開口一番そう尋ねてきた。
修行と言い換えているのは、恐らくその内容の意味がゲシュの覚醒を促すためだったことを知っているからだろう。
「覚醒は、まだ」
「そうかい。まあ焦るもんじゃねえさ。俺も始めはうんともすんとも言わない自分のゲシュに気を揉んだもんだが、今となっちゃそれも懐かしいもんだ」
そんなことを言いながら一つだけ設けられた窓から外を眺めるヴィクターの横顔は、昔の自分を思い出して照れくさく笑うような、苦々しく頬を歪めるような複数の意味が込められた顔をしていた。
しばし、外を眺めていたヴィクターの顔がリウムに戻る。
「じゃあよ、この世界でしばらく生きてみた感想を聞かせてくれよ」
「……」
リウムは咄嗟に答えることができずに、視線を泳がせて時間を稼ぐ。だが、適切と思われる言葉が思い浮かばずに、結局俯くしかなかった。
「がはははは。正直なやつだなおい。まあ、そうだろうな」
それだけでリウムがどう思ったのかを理解したらしい。ヴィクターは豪快に笑ってリウムの肩を叩いた。
「記憶もない、得体の知れない化け物はいる、そいつらと戦わなければ生きていくことはできねえ。そんなことを言われて、はい、そうですかって言える奴はお前みたいに辛気臭い顔はしねえよな」
「我はそんな顔をしてますか」
「おお。戦闘服に袖を通したときもそんな顔をしてやがったよ。だが、新人ってのは大抵そんなものさ。お前だけじゃねえ。ここにいるほとんどの奴らが始めは皆お前と同じ顔をするよ」
肯定されて少しだけ心が軽くなる感じがした。リウムはジョッキの中身を見て、それから中身を舐めるように飲んだ。
「戦闘服に袖を通して鏡に映る姿を見たとき、人の反応は大体二つに分かれる。一つは戦闘服を着て気分が高揚し目をギラギラと輝かせるやつ。二つ目は戦闘服に袖を通したことでトリアンたちと戦わねばならないという現実を突きつけられて死にそうな顔をするやつ」
「……我は後者ですね」
「ああ。だけどよ、これは俺の勘なんだが、お前は単にトリアンと戦うのが怖いってわけじゃなさそうな気がするんだよなぁ」
ジョッキを持つ手が震えた。
ヴィクターと視線がぶつかる。
「男ってのはよ、粗暴な生き物だが案外繊細なんだ。てめえの魂が揺らいで地に足がつかなくなると、枯れ枝よりも簡単に折れちまう。そうなるともう駄目だ。元々枯れてんのに折れちまえば、あとは風に吹かれて土に還るだけよ」
ヴィクターがジョッキをテーブルに置く。そして、ずいっと体を寄せた。
「リウムはまだ枯れても折れてもいねえ。だが、このまま行っちまうときっと土に還っちまう。俺はお前にそうなってほしくねえ」
ヴィクターはこれまで見せたことのない真剣な眼差しだった。
「我は」
その熱にあてられた。気がつけば口から零れるように声が出ていた。
「夢を……見るんです。我は三人の男を前に力尽きかけていて、起き上がることもできず、二人の兄弟と親友を睨みつけることくらいしかできません。夢の最後はいつも同じで、その親友の手で首を斬られて殺されるんです」
それはこの世界に生まれ落ちてから毎晩見る夢の話だ。
「そのときの心情はとても複雑なのです。憎悪、無念、悲痛、そして愛憎。意識の途絶えるその瞬間まで気の狂うような感情の濁流が押し寄せて、我に……」
この先を口にしていいのかと迷い、意を決して続けた。
「生きている実感を与えてくれるのです」
ヴィクターの目がすっと細くなった。
「その瞬間、心臓が強く鼓動してどうしようもなく生を強く実感させるのです。こんなことを思う我はおかしくなっているのかもしれません。ただ、我には夢が現実で、今この瞬間が夢のような気がするんです」
もう一人の自分が耳の奥で囁く。
我が生きるべき世界はここじゃない。ここはただの夢で、夢だと思っている世界こそが、本当にいるべき場所なのだと。
「見上げれば綺麗な空があって、慎ましくも懸命に生きている人たちがいるこの世界よりも、欲に溺れた醜悪な人間に殺される夢の方が我には現実味があるんです」
左手を痛くなるまで強く握りしめる。だが、その痛みすら現実味が薄い気がした。
「戦闘服に身を包んだ自分を見て思いました。こんな状態で仮にゲシュを覚醒することができても戦うことができるのか、と。きっと……我は戦えないと思います。我は戦う理由を見つけられない。現実味の薄い世界で、命を賭けて生きるための戦いに身を投じることはできない」
白々しい偽物の世界で生きることの意味に虚しさを感じている。とはいえ、自死したいわけではないのだからとりあえずは生きなければならない。だが、今のリウムにとって生きるための戦いは空々しいだけだ。
生きるためには戦うしかないのだから戦えばいいだろう、と割り切れればどれだけよかったか。
リウムという男は割り切れない。喉の奥に感じるしこりのようなものを残したままでは、戦えない。
それに仮にすべてを飲み込んで見ぬふりをしたところで、生きる力が弱い匂いを体から発している状態では、サナの危惧している通りのことになってしまうだろう。
それはそれで困るのだ。何故なら、この命は既にリウム一人のものではない。サナにイヴァンにムネノリに、リウムを生かすために努力してくれた人々の想いが入っている体なのだ。
粗末になどできはしない。
「どうにも……おめえさんは涼しい顔に似合わず七面倒臭い性格をしてんだな。ああ、いや、別に悪く言っているんじゃねえぞ」
「分かっています」
ヴィクターは声なく笑うとジョッキを取って中身を眺めた。
「そりゃ大変なことだ。こと、この世界に生まれ落ちる奴らってのは分かりやすくてな。覚悟を決める前の段階のやつの悩みはさっき言った二つしかねえ。だが、リウムは違う。きっとおめえには人とは違うなにかがありやがるんだろう。それはリウムという人間の芯を形成する重要なもんで、折り合いをつけずに蔑ろにして生きていくことができねえ。だからおめえは今、八方塞がりになって苦しんでるんだ」
「……確かに、八方塞がりかもしれません」
「全く……生きるのが下手くそな奴だよな、おめえはよ」
ため息交じりに言われて、否定できなかった。全く本当にその通りだったからだ。
「だがよ、俺はなんでも上手くこなしちまうやつよりも、下手くそでぶつからなくてもいい壁にぶつかってひっくり返ってもがいている奴の方が好きだぜ」
もがいている姿を想像して思わず苦笑が漏れた。
「そこまで不器用ではないと思うんですが」
「ただ一つ忠告だ。人間てのはあんまり考えすぎると思考の沼に足を取られて動けなくなっちまう。そうなると余計なことばかりが頭の中でぐるぐるしてどんどん馬鹿になっちまうもんさ。だからよ──」
ヴィクターがジョッキを置く。そして、拳でそっとリウムの額を小突いた。
「理性だけで答えを探そうとするなよ。ときには感情に身を任せてみることも重要さ」
「感情にですか……?」
ヴィクターは腕を組んで大きく頷いた。
「これは俺の持論だがな、悩みってのは悩んだ瞬間に答えは見つかっているもんなんだ。ただ、そこに理性やら周りの目やらを気にする心が悪さをして、素直な思いに従うことへの罪悪感を抱かせる。すると、もう心は決まっているのに選ぶことを躊躇って問題を複雑化させちまうんだ。しかも、面倒なことに本人はそのことに気づいていない。いや、気づいていたとしても、目を背けちまう。一度そうなっちまうと大変だぜ。なにせ答えを望んでおきながら、そっぽ向いているようなもんだからな」
「今の我がそうだと?」
「そうかもしれないって話さ。おめえの心に聞いてみな。そんで返ってきた答えを、あれこれ考えずにまっさらなリウム自身で受け止めてみればいい」
「……すぐには難しそうです」
「そりゃ人の心なんざ、空よりも広いくせして絡んだ糸みたいにこんがらがってんだ。すぐには無理さ」
「でも……なんだか気持ちが軽くなったような気はします」
答えは出ない。だが、ヴィクターにもらった言葉は絡まりきった心を解きほぐし、芯まで染みわたる暖かさがあった。
握り締めていた手を開く。痺れと痛みを感じるが、何故だかその痛みが少しだけ鮮明に感じた。
「少し気持ちは晴れたかよ?」
「ええ」
「そりゃよかった」
どちらともなくジョッキを持ち、軽く合わせてから一気に煽る。
相変わらず舌が痺れるだけの美味いとは言えない味だが、何故か不思議と不味いとは思わなかった。
胸が暖かい。きっとこれはショウガ湯を飲んだからだけではないはずだ。
「ちょっと顔色が変わりやがったな」
ヴィクターが笑う。つられてリウムも笑った。
そんなときだった。城壁にある鐘楼がけたたましく鳴り響いた。




