第二十一話
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ラルベル夫妻の仕立て屋は商店街のちょうど中間にあった。
店はレンガ造りの一軒家だ。木製の扉には鉄製のプレートが打ちつけられている。
「ラルベル夫婦の仕立て屋はここ! か」
プレートに刻まれた文字を読んで思わず笑みが零れた。あの賑やかな夫婦らしい、飾り気のない店名だ。
扉のノッカーを使ってノックをする。それから「おはようございます」と声をかけると、すぐにくぐもった声で返事が返ってきた。
「あら、リウムじゃない!」
出迎えてくれたのは前掛けをしたアメリだった。
「もしかしてムネノリから話を聞いてきてくれたの?」
「ええ。戦闘服がどうとか」
「そうなのよ。ほとんどできてるんだけど、最後の詰めに実際に着てみてほしくてさ。さ、こっちだよ」
アメリに促されて店に入る。店内は狭く、入ってすぐ右手に広がる空間には大きな作業テーブルが一つと椅子が二つ。テーブルの上には裁縫中と思われる服が数着広げられていて、壁に備え付けられている戸棚には恐らく仕立てで使うのであろう糸や定規などがしまわれていた。突き当りにはもう一つ部屋があるらしく、今はドアが閉められている。
生活感は薄く、家というより工房に近い。
「アンタ。リウム君がきてくれたわよ」
アメリが突き当りの部屋の扉をノックすると、中から「おーう」という間延びした声が返ってきた。それからなにやら物を動かす音がした後に扉が開く。
「おう、リウム。元気してたか?」
部屋からぬっと現れたヴィクターは相変わらずの筋骨隆々で、元々部屋が広くないせいもあって、余計に体が大きく圧迫感があった。
ただ、不精髭の伸びた顔は少しやつれていて目の下にも薄っすらと隈が浮かび、生気が薄れている。
「ほら、お客さんの相手すんだからしゃっきりしな!」
「おおう。わりい」
アメリが赤い液体の入ったカップを手渡す。ヴィクターはそれを一気に飲み干すとぐっと強く目をつぶって頭を振った。
「わりいな。ここんところ徹夜が続いててよ。少し臭せえかもしれないけど勘弁な」
「鳥だって汚れれば水浴びくらいするってのにね。言うこと聞きやしないんだから」
「仕事に夢中になる俺も好きだろ?」
「臭い男は嫌いだよ」
アメリのじっとりとした視線に頭を掻いて苦笑いを浮かべるヴィクターだが、そんなやり取りすら嬉しいのだろう。幸せのオーラが目に見えるようだった。
やはりこの夫婦は変わらない。
「あたしはこれからちょっと用があって出てくるけどゆっくりしていってね」
アメリが前掛けをテーブルの上に置きながら言った。それに即座に反応したのはヴィクターだ。
「なんだよ。どこ行くんだ?」
「中央広場。今日は市が開かれる日でしょ。ちょっと覗いてくる」
「そういやそうだったな。道中気をつけろよ」
「ミイナでなにに気をつけんのさ。アンタは心配しすぎだよ。それじゃあねリウム君」
「はい。いってらっしゃい」
「やだ、若い男に見送られるなんていけない関係な気分」
そんな軽口を叩いてから何故か満足そうな顔をして出掛けて行ったアメリを見送ると、ヴィクターに向き直る。
めちゃくちゃ睨まれていた。
「……ヴィクターさん?」
「ちっ」
隠す気もないというか見せつけるような悪意のある舌打ちだが、嫌な気持ちはなかった。むしろ変なことを言うようだが安心感さえあった。
アメリが満足気な顔をした意味が分かってしまったのだから、微笑ましく感じてしまうくらいだ。
「ヴィクターさん、とっても愛されていますね」
「あん!? あ……あん? どういう意味だ」
なるほど。こうも人の好意に疎いと逆に女性には可愛く見えてくるのかもしれない。
例えるのなら図体が大きく、頭の回らない犬を想像すると分かりやすい。
そんな失礼なことを考えて噴き出してしまうと、ヴィクターは余計に意味が分からないと言ったように眉をひそめたが、それで怒りが収まったのか咳払いをしてから奥の部屋を指差した。
「よく分かんねえけど、まあいい。それじゃあこっちも早速始めっか! こいよ」
招かれた部屋は居間よりもかなり狭く、男が五人も並べばそれで一杯になってしまう程度の細長い部屋だった。
部屋の奥に置かれたテーブルの上には一着の黒い服があり、ヴィクターはそれを手に取ると見せつけるように広げた。
「これがお前の戦闘服だ」
「これって……」
手に取ってみると既視感があった。昨日ムネノリやイヴァンが着ていたものと同じもので、違いがあるとすれば右袖の部分がないくらいだろう。
「戦闘服には決まりがあってな。色は基本黒だ。ズボンは細身だが伸縮性があって動きを妨げない。上着はブルゾンタイプ、インナーは吸汗性のある生地を使っている」
実際に触った感触はヴィクターの説明の通りで、しっかりとした生地で作られていた。
確かに動きやすそうではあるが、だからこそ一つの疑問が浮かんでくる。
「確かにとても機動性のある服だとは思いますが、これでは防御面に不安があるのでは?」
当然の疑問にヴィクターは腕を組んでもちろんそんなことは想定済みだと言わんばかりに頷きながら答える。
「確かにリウムの危惧は理解できるがな、そもそもの話この戦闘服はトリアンの物理攻撃を受けるようには作ってないんだ」
物理攻撃を防ぐためには作っていない?
戦闘の際に身を守る防具の一番の役目は体の損傷を防ぐためだ。それを放棄して作られる戦闘服とは一体なんの目的があるのだろうか。
「トリアンの牙や爪は鉄の鎧ですら簡単に引き裂いちまう。奴らの物理的な攻撃を防ごうと思えば、それこそミイナの壁のように分厚くした鉄を用意しなくちゃならねえが、それじゃあ戦いにはならねえ」
今まで見てきたトリアンを思い浮かべればヴィクターの言うことには納得がいく。
野生の動物をベースにしたトリアンですら、体は元の生物よりも大きく戦闘能力も遥かに高い。例えば一般的な鉄の鎧なんかを着込んでいてもきっと奴らの牙や爪は、紙を破くかのように簡単に鎧を切り裂いてしまうだろう。
「確かに言うことは分かる気がしますが。でも、それじゃあ一体なんのために」
「その答えはな、トリアンの体表にある靄を防ぐためだ」
リウムの問いに、ヴィクターは得意げに鼻を鳴らして言った。
「リウムはトリアンの体にしがみついたから分かると思うが、奴らの靄は人にとって毒そのものだ」
トリアンの体を覆う靄についてはサナから説明を受けていたので概ね理解はしている。
それに実体験として靄の威力は身に染みて理解していた。
「トリアンとの戦闘で一番気を配らなきゃならないのは爪や牙じゃなく靄だ」
「靄、ですか?」
「ああ。靄は言っちまえばヒルみたいなもんだ。一度体に取りつけば、服のほんのわずかな隙間を縫って肌に食らいついて、内部から体を破壊していく。実のところトリアンとの戦闘の死因で一番多いのは靄に体を蝕まれることなんだ。だから、対トリアン用の戦闘服は靄を通さないことに重きを置いて作ってんだよ」
「でも、物理的な攻撃を受けることだってあるでしょう」
「そこについても一応の対策はしてあって防刃性の高い繊維を使っているからヲムート程度の攻撃であれば耐えられる。それにトリアンとの戦闘つーのは基本的に相手の攻撃を回避することが前提だから機動性を確保するためにも、こういうスタイルに落ち着くってわけよ。俺とアメリのゲシュはそういった素材の能力を向上させるっつーもので、その力を使ってミイナの戦闘服を作ってるってわけだ」
一見すると普通の衣服にしか見えないが、その説明を聞くとなるほど理にかなっている。
そもそもが鉄すら切り裂くほどの攻撃力を持ったトリアンたちを相手に、攻撃を受けることを前提にする考えはあり得ないのだ。そこを前提にすると分厚い鎧を着込まなければならず、それでは俊敏に動くトリアンたちに対応するどころか身動き一つできなくなってしまう。しかも、靄は隙間を縫って入ってくるということだから、可動部が必要になる鎧は不向きだ。
であるのならば、靄に対する防御を優先し機動力を確保するというのは合理的だ。
もちろん例外はあるのだろうが、全てに対応できるのであれば、当の昔にトリアンは殲滅できているだろう。
「今回用意したのは対トリアン用戦闘服の基本タイプと呼ばれているもので、通年着用できる。まだ仮縫い段階だけど、とりあえず着てみてくれよ」
「分かりました」
上着やズボンの裾は仮縫い状態のため、破かないように慎重に着替える。
かなりいい材質の布を使っているからか生地はしっかりとしているが、肩回りの引きつりや股下の突っ張りはなく、とても快適だった。
「右肩にはこれをつけるんだ」
そう言ってヴィクターは右肩に丈の短いペリースを付けてくれた。
着替えが終わると鏡の前に立つ。
「右袖がなくて全体のバランスが悪いからペリースをつけてみた。これがあればバランスがよく見えるだろ」
ヴィクターの言う通りペリースをつけると右腕がない分の物足りなさを補ってくれていて、不自然さは感じない。
「袖とか裾の長さは問題なさそうだな」
「はい。ちょうどいいと思います」
「とり急ぎ用意できたのはこの一着だけだが、夏用のやつもこれから作るし、季節が進んで寒くなってきたら冬用に羽織るものも用意する」
鏡に映った姿は案外似合っていた。格好だけを見れば一丁前のミイナの戦士に見えてしまう。だが、それはあくまで格好だけで肝心の中身は別だ。
生きていくためには戦わねばならないがその為の力がないのだ。これでは話にならない。
それに仮にゲシュを覚醒したとしても戦えるのかという懸念があった。
「気に入らないか?」
と、横からヴィクターの声が聞こえてきて意識が喚起された。見ると、一緒に鏡を覗き込んでいたヴィクターが訝しんだ顔をしている。
「え、ああ、いや、問題ありません」
「そうか? じゃこのまま仕上げちまうから着替えてテーブルの上に置いといてくれ。ちょっとだけ外に出てくるから」
あからさまに取り繕った返答にヴィクターは納得していなさそうな表情を浮かべはしたものの、深く追求することはなくそれだけ告げると店から出て行ってしまった。
仮縫いの糸に気をつけながら着替えをすませ、テーブルの上に服を置くと隣の部屋に移動した。
知り合いと呼べるかも分からない間柄の人間を一人残して店を開けるとは随分と不用心だなとは思うが、そこもヴィクターらしいと言えばらしい。
手持ち無沙汰になって適当に室内を見回していると、玄関のドアが開く音がして、
「よっし、お疲れさん。一杯やろうぜ」
両手は木のジョッキを持ったヴィクターが帰ってきたところだった。
「これ、リウムの分な」
そう言って目の前に差し出されたジョッキを受け取る。
「あの、これは?」
「酒だ! と言いたいところだが、そんな貴重なもんはしょっちゅう飲めねえ。こいつはお湯にすりおろしたショウガを入れたもんだ。飲んでみ」
「は、はあ」
鼻を近づけると確かにショウガの香りがする。口をつけると、舌の上がピリピリとした。
「うめえか?」
「……うまい、です」
入っているものはショウガだけのようでそれ以外にはこれといった味はなく美味しくはない。そんな感想が表情に出ていたのだろう。ヴィクターは腹を叩きながら笑い声を上げた。
「がははははは! 俺の仕事が落ち着いたらもっと美味いもん飲ませてやるよ!」
そして、自身もジョッキを煽って渋そうな顔をしてから「今日はまだ美味いほうだな」と言ってまた豪快に笑った。




