第十八話
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サナから視線を外し、空を見て、それからまたサナを見つめた。
「ああ、でもトリアンは仕込みじゃないよ。ムネノリが始めに定期的にトリアンが湧いてくるって言ってたでしょ。私たちはアレを利用しただけだから」
そんな補足をされたところでリウムの混乱を鎮静化する薬にはならない。むしろ余計に疑問を増やす事態になっただけだ。
「一応聞くが、どうしてそんなことを?」
ただ、とりあえずこれだけは聞いておかなければならないだろう。命のやり取りをして、それが演技であっても目の前に現れたトリアンに殺されるのだと死を覚悟したのは事実だ。
「昨日の出撃の真の目的はトリアンの討伐じゃなかった。本当の目的はアンタのゲシュの覚醒だったんだ」
そして、次いで出てきた台詞は火に油の入った樽を投げ込むようなもので、実際瞬間的に顔に押し寄せてきた熱風を感じた。ただ、それは怒りでそう感じたのではなく、ざわりと心の奥で沸き立つ感情を覚えたからだ。
「我のゲシュ……?」
「そう。ムネノリから聞いていると思うけど、この世界に生まれ落ちた人間はもれなく全員戦う力を、ゲシュを持っている。私でいえば薙刀だったり、イヴァンだったらクオータースタッフだったり。ここで生きていくためにはアンタもゲシュに目覚めなきゃならない」
「でも、それなら始めに説明してくれればよかっただろう」
「ゲシュの覚醒に必要なのは命を失うかもしれない恐怖心と生きようとする気持ち。そして、一番重要なのは何者にも負けないという闘争心。もし仮に事前に説明していたら、三つのうち恐怖と生きようとする気持ちは得られない。例えば剣を渡されて戦えと言われても、それが訓練だと分かっていれば命の心配をすることはないでしょ。せいぜいが怪我の心配くらい」
「それはそう、だが……」
「ゲシュの覚醒には己の中で揺れ動く本物の感情が鍵になる。危険や恐怖を感じても助けてもらえると高をくくっていれば、それは本物の感情の動きとは違うものになる。それじゃ駄目。だからなにも伝えずに戦場に連れて行った」
確かに狼のヲムートに牙を剥かれたときに感じた恐怖や絶望感は、サナが殺されイヴァンやムネノリが傍にいない状況であったから感じたものだとも言える。
あのときは本当に死ぬのだと思った。
そういう意味で言えば確かに嘘偽りのない本物の感情が動いたと言えるだろう。
「もちろん見殺しにするつもりはなかったよ。ムネノリはアンタがトリアンに襲われても大丈夫なように防御術を施してたし、私も蛇に飲まれた振りをして砂の中で様子を伺ってたし」
作られた状況で本当に危機を感じていたのはリウムだけ。後は全員もしものときのために待機していた。
そんな真実を知ってしまうと、なんだか狼狽えていた自分が滑稽に思えてくる。
「怒っていいよ」
「なに?」
「最大限危険はないようにしていたとはいえ、アンタに黙って怖い思いをさせたのは事実だし。……怒る権利はあると思う」
最後が少しだけくぐもって聞こえたのは、恐らく腹に力を入れて声の出し方が変わってからだろう。
一度にたくさん衝撃的なことを聞かされて感情が入り乱れすぎている。熱いお湯と川から汲んだばかりの冷水を交互に浴びせられたような気分だ。
「怒りは……ない」
しばし色々なものが乱雑に散らばっている頭の中を整理して、ようやく掘り起こした答えを口にすると、視界の端でサナの肩が跳ねるのが見えた。
「いや、騙されたことに対する怒りはある。だけど、トリアンの恐怖を間近に感じたからこそ、そうする意味も必要性も理解できる」
ムネノリは生きるためには戦わなければいけないと言っていた。
「ちょっと理性的すぎない?」
「……心底怖いと思ったからこそ、かもしれない。怒りよりも恐怖の方が何倍も強くて、サナのいう力がなければ生きていけないという言葉の意味を本当のところで理解してしまったからこそ、とても腑に落ちるんだ」
力はない、守ってくれる仲間も近くにはいない状況でトリアンと対峙したからこそ、ゲシュの覚醒が重要だと理解できた。
覚醒に必要なものが本物の感情の動きだというのならば、それをなんの躊躇いもなく実行してくれたサナたちには感謝しなければいけないとすら思う。
何故なら、命を危険に晒すことが結局のところ命を守ることに繋がるのだから。
「それよりも、むしろ今は焦りを感じている」
「なんで?」
「我は力に目覚めなかった。それはつまり他の人たちと違うということじゃないのか? もしかしたら、我にはそのゲシュという力が備わっていないのかもしれない」
ゲシュを覚醒しなかった。それはつまりこの世界で生きていく手段と資格がないと言い渡されたようなもの。
手負いの獲物は死を前に思わぬ反撃をすることがあるが、牙も爪もないリウムではそれすらままならない。
つまりトリアンたちからすれば、リウムは一切の労力も危険もなく手にすることのできる肉の塊にすぎないのだ。
「ああ、そういうこと。安心しな。覚醒は本当に人それぞれだから」
「そう、なのか……?」
「うん。長い人だと一年以上覚醒しない人だっているしね。だからそこは心配しなくてもいいんだけど──」
サナはそう言うと言葉を詰まらせて、それから「これは遅かれ早かれ知ることになるから」と前置きをして、
「初めの一回でゲシュを覚醒する人は滅多にいない。でも、できた人はもれなく強い力を持っている。だから、生まれ落ちてきた新人には毎回なにも告げずにアンタにしたような試し行為を行うんだ。そこで覚醒できれば即戦力になれるから。逆に一度目で覚醒できずにその後も時間がかかってしまう人の場合は戦うための力という観点で見ると弱かったり、そもそも戦う能力ではなかったりする。そういう人たちは町を維持するための仕事や、能力を活用できる仕事に就いてもらう」
確かムネノリも前に戦える人間の数は少ないというようなことを言っていた。
「これからアンタがどのタイミングでゲシュに目覚めるのかは分からないけど、今までの経験で言うとまずトリアンとの戦闘には向いていないと思う」
「向いていないとなると、我は今後どうなるんだ?」
「近日中に今の部屋から住宅街へ引っ越すことになると思う。その後はまずは防衛班に配属されて、町の防衛任務につきながらゲシュの覚醒を待つことになる」
「でも、ゲシュには本物の感情の動きっていうのが必要なんだろ? そんな説明を聞いてからじゃ余計に覚醒までに時間がかかるんじゃないのか」
「さっき覚醒の条件を三つ挙げたけど、あれは強いゲシュを持った人の条件で、そうでない人はどれか一つだけでも当てはまっていれば後はきっかけさえあれば覚醒できる。だから、防衛班での任務をこなしてもらって覚醒した力が戦闘向きかどうかで今後の派遣先が決まってくるって感じかな」
全てはゲシュの覚醒時期と能力次第というわけだ。
自然と視線が足元に移る。ムネノリとここにきたときに見た蟻の姿はなく、乾いたレンガの上には砂粒があるのみだった。
「私は」
サナは寒さから身を守るように膝を抱えて遠い目をした。
「アンタは翠荘には似合わないと思ってた」
「理由を聞いても?」
「だって、アンタはあんまり今を生きている感じがしなかったから」
遠くを見つめるサナの瞳が揺れる。そして、それはリウムも同じだった。
「この世界では力を持つことが全て。生きるためには必要なことだから。だから、生まれ落ちた人たちは力を求めて躍起になる。だってそうじゃなきゃ受け入れられないから」
「それは……この町の住人として認めてもらえないってことか」
「いや、そういう意味じゃない。なんて言えばいいだろ……世界から弾かれるって言えば分かるかな」
「弾かれる?」
「比喩。実際にどこかへ飛ばされるってわけじゃない」
サナが腰を浮かせる。そして、肩と肩が触れ合うほどに距離を詰めてから、
「アンタは、危険だ」
と、真剣な眼差しで言った。
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