第十七話
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翠荘の前を通りすぎて商店街に入る。流石に今の時間帯から店を開いているところはなかったが、扉の隙間や窓から明かりが零れている店があり、すでに起きて仕事の準備を始めているようだった。
散歩道は以前ムネノリにミイナを案内してもらったときと同じで、食堂の脇を通って中央広場までくるとサナはベンチに腰を下ろした。
リウムは逡巡してから少し距離をとって同じベンチに腰を下ろす。
歩いている最中、サナは一度も口を開かなかった。後少しで終わってしまう夜の最後の静寂に身を浸している姿が儚げで声をかけるのは躊躇われた。だから、終始無言でその後ろを少し遅れて歩き続けた。
「ちょっと体見せて」
だから、隣り合って座って、さてなにを話そうかと考えていたせいで反応が遅れてしまった。
気がついたときには、サナに服を捲られて腹部を凝視されていた。
「うーん。まあ私にしては上出来か」
「……なにをしてるんだ」
「うん? ああ、ごめん。痕がどうなったのかが気になってて」
「痕……?」
つられて自身の体を見るも、そこに痕という痕は見当たらない。当たり前だ。そんなものがあればとうに気がついている。
訝し気な視線を向けるとサナは服を捲っていた手をサッと放した。
「アンタ、空から落ちてきたときにトリアンにしがみついたでしょ。あれ結構危険な行為なの。トリアンの体表を覆っている靄は人体には有害で、適切な措置をしないと触れた部分は灰色になって肉体の組織が空洞化を起こす。短時間では死の痛みを味わうだけですむけど、長時間触れていると命に係わることもある」
そういえばドラゴンにしがみついたときに体を焼かれるような強い痛みを感じた。
あれだけの痛みを感じて体に害がない方がおかしいか。
「トリアンは呪いに身を焼かれているなんて話があってね。あの靄は罪を犯した罰として身を焦がしているそうだ。罰に焼かれてその身を呪いに侵され生きている。まさに地獄だね。だから、そんなトリアンに触れて呪いを貰うことを私たちはトリアンの祟りにあったと呼ぶのさ」
祟り。言葉の意味は分からないが、どうにも背筋が薄ら寒くなるような気配がある。
「我は大丈夫なのか?」
「私が進行阻害の術を施して、ミイナに運んでからしっかり除去したから平気。でも、私は繊細な芸当はあんまり得意じゃないから上手くできたか不安だった」
だから、体を見せろなどと言い出したのか。
その辺の事情はイヴァンも知っているだろうから、逐一サナに報告していただろうが、それでも自身の目で見て確認しないと気が気ではなかったのだろう。
とんでもない事実が発覚したが、それでも今こうして無事に生きているのだからやはりサナには感謝しなければならない。
変な期待をほんの少しでもしてしまった自分を心の中で殴りつけ、不浄な感情は胸の奥底に踏みつけてしまいこんだ。
「そういうことだったのか。となると、サナさんには二回も助けられたことになるんだな」
「別に私はミイナにとって必要なことをしているだけ」
「サナさんからすればそうなのかもしれないが、我にとって命の恩人であることに変わりはない。礼を言わせてほしい。ありがとう、サナさん」
体の向きを変えてサナの瞳を見据える。
「別に……」
サナはなにかを言いかけるも途中で口を噤み、それからむず痒そうに鼻の頭に皺を寄せて、
「さんはつけなくてもいい」
と、顔を背けて言った。
「それと堅苦しいのは嫌。だから──」
「わかった。ありがとう、サナ」
「……それでいい」
どんな顔をしているのか見てみたいという欲求に駆られるも、流石に女性の顔を覗き込むような品のないことはしない。
体勢を戻して、小さく「はい」と言うだけでいいはずだ。
しばらくの沈黙が降りる。空はだいぶ明るくなり始め、商店街の方から次々と人の営みが始まる音が聞こえ始めた。
「トリアンを目の当たりにしてどうだった?」
ぼんやりと白んでいく空を見つめ、今日はよく晴れそうだと呑気な感想を抱いていると、黙り込んでいたサナから少し緊張したような声色の質問が飛んできた。
途端に見上げていた空にトリアンが浮かんで見えてくる。
喉まで裂けた口から覗く牙。獣と言うよりも人間の眼球をくりぬいてはめ込んだ印象を持つ瞳。遠くから流れてきた風が狼型のトリアンの息遣いのように感じて、思わず喉を鳴らす。
「……正直怖かったよ」
膝の上で手を組んで、深呼吸をする。
「目まぐるしく変わっていく状況に考えが追いつけなかった。ここで死ぬかもしれないと思ったよ」
「まあ、最初はみんな似たようなもの。あんな気味悪い生き物を見て可愛いって言う人間なんていない。だからアンタの感想は正常」
「そうだといいが」
「だからあまり気にしない。その辺のことは慣れていくから」
慣れるものなのだろうか。
あれから一晩明けようというのに、未だに体は戦場を思い出して震えている。
「なあ、我からも質問いいか?」
「うん。どうぞ」
「あのとき、サナは大蛇のトリアンに飲み込まれたように見えた。我はてっきり殺されてたのかと思ったのだが」
女性の体を凝視するわけにもいかないからさっと見た程度だが、露になっている脚には傷一つついておらず、見える範囲でサナに目立った外傷はなさそうだ。ということは、大蛇に飲み込まれて無傷であったということだろう。しかし、大蛇に襲われて無傷であるというのはどう考えたっておかしい。
それにあの後どう助かったのかも気になる。恐らくイヴァンかムネノリ辺りが助けてくれたのだろうが、それにしたってあの絶望的な状況をどうやって覆したのだろう。
半分疑い、半分好奇心での問いにサナはすぐに答えようとはしない。腕を組んで小さく唸っている。
「サナ……?」
「……本来だったらムネノリの仕事なんだけど、まあ今回は私が背負うか」
話の見えない切り出しに首をひねる。が、サナは構わずに続ける。
「あれ全部演技」
そして、衝撃的な発言は頭を殴られるような威力があった。
「……は?」
まず口をついて出た言葉、というか音は、怒りとか驚きとか疑問とかを綯い交ぜ(ないまぜ)にしたようなものだった。
「……は? いや、演技って」
「昨日の一幕は全て仕組まれた偽物だったってこと」
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