第十六話
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目が覚めたのはもうすぐ夜明けが訪れるという頃合いだった。
部屋には誰もおらず、布団から這い出して窓を開けると心地よい風が頬を撫でる。
今が何時かは分からないが、濃い藍色に散りばめられた星屑の数が少なく感じるので、もう少しすれば空も白み始めて表情を変えるだろう。
十分な睡眠をとったおかげで、頭の奥の重さや熱っぽさは完全になくなっていた。
窓を閉めて布団に視線をやる。時間的にまだもうひと眠りできる余裕はあるが、目が完全に冴えてしまっていて布団に潜り込んでも鬱々と寝返りを打つだけになりそうだった。
少し外で体を動かしてこようかとも思ったが、流石に寝込んだ後にそんなことをして誰かに見つかれば怒られるかもしれないので止めた。
ではどうやって時間を潰そう。そう布団の上で胡坐をかいてぼんやりと考えていると、翠荘の玄関の引き戸がゆっくりと開かれる音が聞こえた。
「こんな時間に誰だ……?」
足を忍ばせて自室から出て廊下の窓から外を覗くと、丁度翠荘の前の通りを布に包んだ大きな荷物を抱えて周囲を気にしながらどこかへ走っていくイヴァンの背中が見えた。
どこへいくのだろう。
みんなが寝静まっている時間に一人でこそこそと翠荘を出て行く姿は、後ろめたいものを隠す子供のようで興味を引く。
ただ、個人的なことに首を突っ込むのは躊躇われた。が──。
「様子を見るだけだから」
そんな誰にしているのか分からない言い訳を口にしてから慌てて翠荘を出るのだった。
◇◇◇
時折周囲を気にするよう振り返るので気づかれないように距離をとって跡をつけると、イヴァンが足を止めたのはミイナがミイナという名前になるきっかけになったという看板だった。
「イヴァンのやつ、あんなところでなにしようっていうんだ」
看板から少し外れたところでイヴァンの背後に回って様子を伺う。まだ空は暗いから、遮蔽物がなくとも距離を取っていれば気づかれはしないだろう。
イヴァンは準備運動を念入りにすると、布で包んだ荷物に手を伸ばす。
「あれは……剣、か」
布の下から現れたのはイヴァンの背丈と変わらないくらいの木を削って作った木剣だった。
「ふっ……ふっ……ふっ……!」
そんなものでなにをと思う間もなくイヴァンは木剣を使って素振りを始めた。木剣はイヴァンの背丈を越えるほどの大剣で、よほど重いのか素振りの動きはとてもゆっくりとしたものだった。
始めは整っていた呼吸もすぐに荒くなり始める。
十回、二十回と続けて小休憩。そして、再び素振りを始める。だが、連続して素振りができる回数が段々と減り木剣を地面に突き立てて呼吸を整える時間の方が長くなっていく。
荒いというよりも喘ぐような呼吸。元々体の細いイヴァンにはあの木剣を使った訓練は負荷が大きすぎるのだ。
「はあ、はあ、はあ」
しかし、イヴァンはそれでも素振りをするのを止めない。肉体の悲鳴を意地だけで押さえつけ、もう三回と振ることができなくとも剣を手放すことはしなかった。
額には大粒の汗。木剣を振る腕の痛みが眉間に皺を深く刻み込む。
リウムの知るイヴァンは心優しくいつも笑みの絶えない青年で、だからこそ似つかわしくない男臭さと鉄を打つ職人のような鋭い顔つきが別人のように見せる。
「イヴァンはいつも誰よりも早くに起きて、ああやってあの場所で鍛錬を積んでいるの」
驚いて声を上げなかったのは飛び上がった瞬間に後ろから口を塞がれたからだ。
手を振りほどいて振り返ると、いつか見た短パンにシャツの上に一枚上着を羽織ったサナがじっとこちらを見つめていた。
「サナさんか。驚かせないでくれ」
「ごめん」
からかうでもなく、悪びれるでもなくサナは素振りをするイヴァンに視線を送る。
「努力家なのよ、あの子は。いつだって全力で真っすぐ。でも恥ずかしがり屋でもあるの。だから、ああやって誰にも見られない時間にこっそり翠荘を抜け出して鍛錬する」
「別に恥じるようなことでは……」
「あの子なりのプライドがあるんじゃない? 男の子ってそういうところがあるでしょ。自分を変えるための努力を他人に見られたくないみたいな」
イヴァンを見つめるサナの瞳はどこか柔らかく慈愛がある。
まるで努力する弟を微笑ましく見守る姉のようだ。
「とは言っても、もう皆に知られてるんだけどね。まあ、本人が言わないのならこっちから変に追及する話でもないでしょ」
そう諭されると、こうしてイヴァンの鍛錬を盗み見ているのがとても失礼な行為に思えてきた。
確かに隠れて努力をしているところを見られていい気持ちになる人間はいない。
「別に詮索をしようとしたわけじゃないんだ。ただ、少しだけ気になって……」
「分かってる。それは私も同じだから」
「うん? それはどういう……」
「今から布団に入ってもいくらも寝られないし、どうせ暇なら日課の朝の散歩に付き合わない?」
少し被せ気味にされた提案に逡巡する。
翠荘を出てきたときよりも夜空にある星の数は減ってきている。確かにこれから戻ってひと眠りをするには中途半端な時間になってしまいそうだ。
それにこれまでサナと落ち着いて話す時間はなかった。これはいい機会かもしれない。
「そうだな。サナさんがいいのなら」
「じゃあ行きましょ」
歩き出したサナの背中を追う。最後にもう一度イヴァンを振り返ると、とうとう限界にきたのか膝をついて荒く息を吐いている。
ただ、それでも剣だけは手放してはいなかった。
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