第十二話
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その日がきたのはムネノリに案内をしてもらった三日後のことだった。
この頃になると体の鈍りが気になるほどに体調は回復しており、体力づくりのために簡単な運動をするようになっていた。また、掃除洗濯などをイヴァンやサナと一緒になって手伝ったり、商店街に出てヴィクターや町の人たちと交流を深めたりもした。
すぎていく日常は穏やかで、ここ三日はトリアンという言葉を聞かない日が続いている。
相変わらず殺される夢は見ているが、危険のきの字もない日常にムネノリの話は嘘だったのではないかと疑うほどにはなにもない。
それが幸せなことであることは承知しているが、嵐の前の静けさのように感じて、ふとした瞬間に言いようのない不安に襲われて背筋がざわざわとした。
「トリアンの出現が確認されました。翠荘、出撃します」
だから、一階から誰かが駆け上がってくる足音が聞こえてイヴァンが部屋に飛び込んできたときは、誇張ではなく心臓が一拍遅れて跳ねた。
◇◇◇
「索敵班がトリアンを発見したのはミイナから西に約十キロの地点。四足歩行のトリアンが九体確認されている」
馬車の荷台に広げた地図を中心に円を描くように座る。地図にはトリアンの出現場所と思われる場所に丸く加工された石が置かれていた。
荷台に乗っているのはムネノリ、サナ、イヴァン、リウムの四人だ。そのうちリウムを除いた三人は普段着ではなく、黒い衣服に身を包んでいる。
ムネノリとイヴァンは上下黒の長袖長ズボン。サナも同じく黒の長袖だが、下は短いパンツに下に濃いタイツを履いている。
足元はお揃いのブーツで、イヴァン曰くこれらは戦闘用の装束らしい。
馬車の速度は中々のもので、突き上げるような衝撃に揺られていると目が回り始めた。
「索敵班の報告で気になるのが出現ポイントの地形が荒野と砂漠が隣接する場所だということだ。砂漠ではなにがあるのか分からない。全員その点に留意していてくれ」
「なあ、一ついいか」
「どうしたんだい?」
「前に少し名前が出たが、索敵班っていうのは具体的になにをしているんだ?」
「ああ、いい機会だから教えておこう。索敵班とはトリアンの個体数や行動を管理報告するために設けられた部隊だ。一班四人で現在八班が過去の出現情報を元に各地に散らばって情報収集を行ってくれている。今向かっている場所は定期的にトリアンが出現する場所でね。確認のために調査に出ていた索敵班から連絡が入ったってわけだ」
トリアンは神出鬼没だとムネノリは言っていたが、どうやら例外というものもあるらしい。
「おっと。追加の連絡だ」
見上げるとどこからか飛んできた鳥がムネノリの手の甲にそっと舞い降りた。
ムネノリは鳥の背中をひと撫でしてから足についていた筒を取り外して、中に入っていた小さい木の板を取り出した。
「ふん。どうやら目標は砂漠へと移動を始めたそうだ。砂は踏ん張りがいまいち決まらないから嫌なんだよね」
リウムは身を乗り出してムネノリの手の中にある板を覗く。そこには線と円を組み合わせた模様が刻まれていた。
意味が分からないことから、これは独自に作られた暗号なのだろう。
ムネノリは取り出した板を懐にしまうと、代わりに別の板を筒に仕舞い、鳥を空に放った。
鳥は上空で三回旋回した後、馬車の進行方向へ飛んで行く。
「今のは?」
「伝書鳩ってやつさ。索敵班の仕事は主に現地調査が主になるんだけど、そこで重要ななにかを発見してもミイナから遠方の場合は直ちに知らせることはできないだろう。そこで、僕が飼育している鳩を使って迅速に情報のやり取りができるようにしてあるんだ」
「でも、伝書鳩って帰巣本能を使うんだろう。どうして巣じゃなくて、ムネノリのところに直接くるんだ」
「それはほら、僕と彼らの間にある絆がそうさせるさ」
そんな非現実的なことを自信満々に胸を張って言うムネノリを横目に説明の続きをサナとイヴァンに求める。
サナは目を瞑ったまま我関せずを貫いていて応えてくれたのはイヴァンだった。
「ありえないと疑う気持ちはごもっともっすけど、実際そうとしか言えないんすよ。鳩たちはムネノリさんが何処にいても必ず帰ってくるんすから」
「そんな馬鹿な」
「ふふん。僕の彼らへの無償の愛が成せる奇跡の技ってやつさ」
「いやいや……」
胸どころか背中をそらせて、誇らしげにするムネノリだが、よく考えてみれば人が空から生まれるとか、トリアンという異形の存在がいる時点で、人と動物の絆が起こす奇跡くらいあるのかもしれない。
そんな風に思ってしまう自分にリウムは心の中で苦笑する。つい先日までであれば笑って流してしまうような話が、今は妙に腑に落ちてしまうのだから。
どうやらこの状況に順応し始めているようだった。
◇◇◇
砂漠が遠くに見えてくると、進行方向に索敵班と思われる人影が現れた。
予想通り彼らは索敵班で話を聞いてみるとトリアンの集団は荒野と砂漠の間を行ったりきたりしているらしく、現在は荒野と砂漠の合間に陣取っているらしい。
索敵班と情報のやり取りをすませて別れると、適当な場所で荷馬車を降りてそこから徒歩でしばらく進む。すると地面が隆起して丁度身を隠せる場所があったので、そこを塹壕代わりに身を潜めてトリアンたちの様子を探る。
「ふん。狼型のトリアンだな。靄の形状から判断する限り、カレイグが五体とヲムート四体だな」
懐から取り出した単眼鏡を覗きながらムネノリが呟く。
「あれなら私一人で十分」
同じく単眼鏡を覗いているサナが鼻を鳴らして言った。
「そうだね。でも──」
ムネノリとサナが作戦について議論を交わす。二人の話の内容が分からないリウムは隣にいるイヴァンの肘を突く。
「なあ、カレイグとかヲムートってなんのことだ?」
二人の邪魔にならないよう小声で尋ねると、イヴァンも同じように小声で答える。
「そうでした。その説明をしないとっすよね。えっと今ムネノリさんが言った二つの言葉の意味は、トリアンの強さを表す用語っす」
「ほう」
「トリアンは見た目と強さが比例するんす。俺らは戦闘の難易度を即座に判断できるように三段階に分けています。低位をヲムート、中位をカレイグ、高位をケイガイと呼称します」
「なにを基準に見分けているんだ?」
「トリアンの強さは体を覆っている靄で判断します。ヲムートは濃い靄を纏っていて綿毛のように見えるものを指していて、靄の量が減って模した生物の姿が大体判別できるのをカレイグと呼び、ケイガイになると体を纏う靄は更に減り、眼球が翠色に変色します」
「随分と大雑把な判断法だな」
「まあ、説明を聞くだけだとそう感じるかもしれませんが、何度かトリアンを見れば大体判別はつくようになるっすよ。結構分かりやすいんで。俺の単眼鏡で確認してみてください」
半信半疑ながらも差し出された単眼鏡を覗いてトリアンたちを観察する。
なるほど、確かに説明を聞いてから実際に見てみるとよく特徴を表している。
胴体が綿毛の塊のようなヲムートが四体と、体の輪郭が分かる程度の靄を纏ったトリアンが五体。これがおそらくカレイグと呼ばれる個体だろう。
下手に細分化するよりもこれくらい分かりやすく分類する方が周知もしやすいし、瞬時の状況判断が求められる場合には有用かもしれない。
「よし。それじゃあそれで行こう」
説明を聞いている間にどうやら作戦も決まったようだ。
「先鋒はサナちゃん。僕は後方支援で、イヴァン君はリウム君の警護と万が一の場合のバックアップを頼む。今回はそこまで手間のかからなそうな相手だし速攻で仕留められるだろう」
「サナさん一人なのか」
ドラゴンと比べれば大した敵には見えないが、今回は数が数だ。九体を同時に相手にするのは危ういようにも思える。
そんな心の内を見抜いたのか、サナは心外そうに小さく鼻を鳴らした。
「なに、私の強さを疑ってるのか?」
「いやそういうんじゃなくて、我がいるからイヴァンを警護につけなきゃならないんだろう。それでサナさんにもしものことがあったらと思うと……」
「そんな心配はいらない」
「今回リウム君を連れてきたのはゲシュを用いたトリアンとの戦闘を知ってもらうためだ。余計なことを考えずにありのままをちゃんと見てほしい。それにちゃんと僕がサポートするから大丈夫だよ」
「そういうこと。いい機会だし、アンタに私の強さを見せてあげる」
サナが塹壕から身を乗り出す。高い位置で括った髪をなびかせ黒衣に身を包んでいる姿は凛々しく、振り返り白い歯を見せて薄く笑みを見せる様は己の力に対する揺るぎない自信に満ちていた。
「ムネノリ、久しぶりだから軽く体を動かしたい。いざというときまでは支援はいらない」
風が止んだ。
「わかったよ」
ムネノリが答えるのと、サナが飛び出すのは同時だった。
「まったくもう。リウム君の前だからっていいとこ見せようと張り切ってるねえ」
そんな呑気な感想を口にするムネノリを横目に小さくなっていく背中を見つめる。
疑っているわけではない。ただ何事もなく無事に帰ってきてほしいだけだ。
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