第九話
09
「ミイナから北東に行ったところに大きな湖がある。その真上の空が翠に染まると人が生み落とされる。ここではそんな奇妙な現象がおこるんだ。一番古い記録では三百年前から確認されているけど、何故そんなことが起きるのか原因は不明。なにせ空は神の領域だからね。人は空を昇りきることも神を目にすることもできない」
「それじゃあ、我と同じように空から降ってきた人が他にもいるのか?」
「他にもいる、というか、この町は空から生み落とされた人々が集まった町なんだよ」
「なに……?」
「ミイナにいる全ての人が空から生まれ落ちてきた人たちばかり。僕らはみんなリウム君と同じなのさ。だから、君がどんなふうに思っているのか、どれだけ寂しく不安に病んでいるのか、分かる」
腑に落ちた。そもそも、人が空から落ちてくるなんて非常識なことが起きたのに、イヴァンもラルベル夫妻もその点について一切言及してこなかった。
当然だ。自分たちも同じ経緯を辿っているのだから、別に不思議でもなんでもない。
彼らは当然のこととして受け入れてくれていたのだ。
「空に灯る翠の光は脈を打つかのように揺らめく。まるで誰かがこれから人間が生まれることを知らせるかのようにね。僕らはこの現象を人生みと呼んでいる。読んで字のごとく、この世界で人が生まれる唯一の方法。何故こんな神の悪戯のようなことが起こるのかは何百年も調査されているけど今に至っても分かっていない。ただ、その現象の核である生まれ落ちてきた人々には三つの特徴があることが判明している」
「三つの特徴?」
「一つ目は生まれ落ちる前の記憶がないこと。二つ目は記憶がないにも関わらず、日常生活で必要な知識などは一切失っていないこと。三つ目は特別な力を持っているということだ」
リウムは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「記憶に関してはリウム君も覚えがあるだろう。恐らく気がついたら地表に向かって真っすぐ落ちているところから始まっているんじゃないかな」
問いに無言で首肯する。
「そして、失った記憶に対して知識の喪失はない。例えば言語であったり時間や物の重さや長さを表す単位などの生活に必要な情報は統一されてしっかりと頭の中に入っている」
これも頷く。
物を数えるときの単位や時間の読み取りなどについては思い出すまでもなく理解している。
ただ、全てがそうかと言われるとそれは否だった。
例えば目が覚めたときに寝かされていた布は、後からイヴァンに布団という寝具だと教えてもらうまで名称は分からなかった。だから、一部の例外はあるのだろう。
「この統一という部分に違和感を覚えないかい?」
「違和感?」
「うん。ここにきてから町の人たちとの交流はあっただろう? そこでなにか気づくことはなかったかな」
「気づくこと……」
リウムは顎に手を当てて思案する。ここにきて顔見知りと呼べるだけの人は少ないから、頭に人の顔を思い浮かべるのはそう難しいことではない。だが、ムネノリの言う違和感とはなにを指しているのかが分からない。
降参の意味を込めて肩をすくめてみると、ムネノリは一つ頷いて口を開く。
「ミイナに集まる人は全員が同じ人種ではない。にも拘らず、僕らは共通の常識を頭に入れられている」
「……ああ!」
言われて改めて思い返してみれば、イヴァンやラルベル夫妻は似た特徴があるが、ムネノリやサナ、それに今この広場を行く人を見れば顔の作りや肌の色が違う人がかなり多くいた。
「普通は国が違えば文化も違うし、言語だって変わるはずだ。でも僕らは当たり前のように一つの言語を使ってコミュニケーションをとり、日常的に使う単位や習慣について共通の認識を持っている」
「言われてみればおかしいけど、どうしてだ?」
「分からない。何故か僕らは生まれ落ちたときから同じ言葉を話し、共通の認識を持っている。残念ながらここに明確な説明をつけることは今の僕らには難しい。なにせ、この世界では分かっていることよりも分からないことの方が圧倒的に多いからね」
ムネノリはお手上げだというように両手を上げてみせた。
「仮説を立てようにもあまりにも情報がなさすぎてそれすら難しい。だから、この問題については今後に期待だね。まあ三百年前から全く解明が進んでなくてずっと棚上げされているんだけどさ」
それだけ昔から解明が進んでいないのであれば、今あれこれ考えたところで答えがでるとは思えない。
確かに棚上げするしかなさそうだ。
「じゃあ、三つ目の特別な力っていうのは」
「その説明をする前にこの世界の癌であり、我々にとって天敵であるトリアンのことを話そう。その方が理解しやすいだろうから」
それまでも真剣ではあったが、殊更ムネノリの声が真剣味を帯びた。心なしか眉間に力が入って表情が険しく見える。
「トリアンとは既存の生物や空想とされていた生物を模した全身を黒い靄で覆った異形の存在だ。その生態の多くは謎に包まれていて、神出鬼没であることと、生命活動が停止すると体を覆う靄が肉体を溶かしてしまうために調査研究はほとんど進んでいない。唯一分かっていることと言えば、人に対しては強い殺意を持っているようだけど、他の動物に対してはその攻撃性や凶暴性は発揮されないということだ。リウム君はドラゴンに襲われたそうだけど、それもトリアンの一種だよ」
右腕を食いちぎられたときに見た妖しく翠に光る瞳が脳裏をよぎる。
ドラゴン──いや、あれがトリアン。
「一種ということは、あんな化け物が他にもいるのか」
「うん。しかも、君を襲ったやつよりも強大な力を持ったトリアンも存在する」
「あれを越えるやつが他にもいるのか」
「トリアンの存在は人にとってまさに天敵だ。抵抗する力を持たない人間など、やつらにとっては足を怪我した獲物を狩るよりも容易い餌でしかないわけだからね」
大きな口に並んでいた牙で噛み砕かれる様子を想像して胃から酸っぱいものが込み上げてきそうなのを、苦い顔で飲み下す。
「……はあ」
呼吸を整えて、視線を灰色の高い壁へと向ける。
トリアンという化け物があの壁の向こうにいる。今この瞬間も、奴らが牙を研いで虎視眈々と人を狙っていると思うと、腹の底が疼くような怖気と失ってしまったはずの右腕に痛みを感じた。
身に沁みた恐怖はそう簡単には剥がれ落ちることはない。
「ただ僕らだってなにも指を咥えてやられるのを待っているわけじゃない。ここで三つ目の話に移ろう。そんな暴力と恐怖の権化のようなトリアンに抵抗する力を生まれながらにして僕らは持っている」
ムネノリは人差し指を立てて、口の端を吊り上げる。
「それは異形を殺す神から与えられし異界の力。僕らはそれをゲシュと呼ぶ」
「ゲシュ……?」
「人体に流れるもう一つの血液とでも言えばイメージしやすいかな。体の隅々を流れる血液と同じで、僕らの体には異形を屠る力が流れている。この力は人によって異なるもので、ゲシュを具現化させることができるものもいれば、体の活性化や支援など術と呼ばれる力を使う者もいる。他にもゲシュには様々な力の形があって、この力を使って僕ら人間は数百年に渡ってトリアンとの生存競争を繰り広げてきた」
中央広場を行く人々に視線を向ける。
重そうな荷物を抱えて歩いている人。知り合いと出くわしたのか、笑みを浮かべて世間話に花を咲かせる人。額に汗してどこかへ駆けていく人。
リウムの目から見て彼らは至って普通の人間だ。そんなお伽噺の世界の住人のようにはとても見えなかった。
そして、自らの体にもそのゲシュという力が流れている──そんなことを言われても実感はまるで湧かなかった。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
コメントや評価をしてくださると今後のモチベーションに繋がるので、ぜひお願いいたします。
この作品は、カクヨム、TALES、アルファポリス、Nolaノベルにも掲載しております。




