甘い者三人
「……うん」
「どうして? 何か悪いことをしたの?」
「そんなことしてない!」
クローディアは勢い良く顔を上げてレイラを見た。その表情はこちらからは伺えないが、それでも悲痛な様子が伝わってくる。
しかしレイラは驚くことなく、気圧されることなく、ただ柔らかく微笑んだ。
「悪いことをしてないなら、クローディアちゃんは悪くないね」
「……それは、そうだけど……」
クローディアは気勢を殺がれたように膝を抱えた。
「……私とお母さんは、ブランブル帝国の出身なの。私のお母さんは、ある男の人と恋をした。でもその人は、貴族の愛人だった。お母さんはそれを知らなくて、だけど弁解の余地はなくて……私とお母さんは、国を追われた。
この島の因習、知ってるでしょ。男を穢れたものと見做して、蔑む。奴隷にする。
お母さんはこの島の因習と真っ向から対立するようなことをした。だから絶対にこの島では過去を隠そうと頑張ってたけど、バレちゃった。
……だから、私もお母さんも虐められてる」
甘い香りの風が吹いた。蝋梅がこの近くにも咲いているのだろうか。
クローディアは感傷に浸るようにまつ毛を伏せた後、ハッとして再びレイラを見た。
「ご、ごめん、こんな話聞かせて! 暗かったよね! 聞きたくなかったよね!」
「ううん、そんなことない!」
クローディアがしきりに振っていた両手を、レイラはがっしりと掴んだ。そして潤んだ、熱を湛えた色素の薄い目でクローディアを見つめた。頰が赤らんで、眉が下がって、今にも泣き出しそうなその表情はまるで——
「クローディアちゃん、今まで大変だったんだね……! 想像しただけで、私もすっごく悲しいよ。……どうしよう、涙が……」
「あ、え、えっ……!」
——愛する人の不幸を悲しんでいるかのような。レイラの表情はそんな風だった。
レイラのまなじりから涙が溢れていく。
「あ、え、えっと、その……」
「やばいな」
「やばいね」
たじろぐクローディアを見て、俺達はそう言い合った。何がやばいって、レイラの異様なまでの愛情深さがだ。初対面の相手にも深く感情移入して、涙まで流してしまう愛情深さ。演技と疑いたくなるところだが、実際涙が流れている。それが恐らくクローディアを戸惑わせている。
「もしかすると、レイラは本当に心を痛めてくれているのではないか」……クローディアはそう思っていることだろう。
一見大袈裟でおかしくても、愛してくれる人に人は弱い。
そして、そうであるが故に。
「男の人との対等な恋は、サンズウェイでは当たり前のことだよ。私も訳あってこの島にやってきたけど、男の人を虐める風習には反対だなぁ。ねぇ……
私達、お友達になろっか」
泣き笑いの唇が紡いだ誘いは、とても甘美だった。
その夜、クローディアは自室のベッドの上に横たわり、布団の中に埋もれ、膝を抱えていた。
俺達はその様子を、部屋の隅から眺めている。
……違うんだ。啓鐘者であるかもしれない彼女を、俺達は監視する必要があるのだ。だからこうして女性の自室に、やむを得ず土足で入り込んでいる。ちゃんとした理由があるんだ。普通はこんなことはしない……いや、クリスティーのときも同じことをやっていたが。そのときだって理由があっただろう。俺は誰に言い訳しているんだ。
「はぁ……」
クローディアはため息をついた。胸の下までの長さはあろう髪をベッドの上に乱れさせて、いかにも憂鬱な様子だ。
「お母さん……」
クローディアはぽつりと呟いた。……お母さん。
「悪いことをしてないなら、私は悪くない。私達は悪くない。……お母さん。虐められていませんように」
クローディアはぎゅっと身を縮こめて、胎児のように丸くなった。手を祈りの形に組む。眉間に皺を寄せて、じっと祈る。
彼女のその姿に対して、俺はどのような反応をすればいいのかわからなかった。
推測や感想を口にするのも憚られて、俺は床に座ってそっと目を閉じた。幽霊みたいな身体になっているのに、お腹も空いていないのに、なんだか眠い。精神的な疲れによる眠気自体は感じるのか。そりゃあずっと考え詰めじゃきついよな。
クローディアは果たして本当に啓鐘者なのか。啓鐘者だとして、どうしてこんな場所に居て、どうして母という存在が居て、どうしてごく普通の人間の姿と振る舞いをしているのか。
ずっと考えてきたが、やっぱり辻褄が合わない。
「クローディアは啓鐘者じゃないだろ」
「いいや、啓鐘者だと思う」
「じゃあ、啓鐘者は『厄災』じゃないんじゃないか?」
「……」
どうやら核心を突いたようだ。
本当にクローディアが啓鐘者だったとしたら……
五百年前に「目覚める」だとかなんだか言われた、「悍ましいもの」。すなわち「厄災」。
そんな神話上の「厄災」と啓鐘者は、どうにも違うような気がした。
「……ただ、目下の脅威ではあるよね」
「それはそうだ」
ダレンの言葉に俺は頷いた。結局のところ、重要なのは名称ではない。啓鐘者という存在が世界にとって脅威であるという事実は変わらないのだ。
ただ、啓鐘者が「厄災」ではないかもしれないという気づきは、何か別の深い可能性を示唆している気がした。
「啓鐘者が『厄災』じゃなかったら、どうなるんだろうなあ……」
「五百年前に目覚めた未知の存在じゃなくて、数年前の少女が変異した存在だったとしたら、ってこと?」
「そっちじゃなくて……いや、それもなんだけどさ」
「もしそうだったら、どうなりそう?」
ダレンの問いに俺は考えを巡らせた。啓鐘者の正体が数年前の少女だったとしたら、今目の前に居るクローディアだったとしたら、変わりそうなこと。そんなものはきっと沢山あるが、強いて言うなら——
『でも、裁くのに必要な情報が足りない』
——情状酌量の余地、とか。
もし啓鐘者が得体の知れない「厄災」じゃなくて、ただのクローディアだったとしたら。そしてこの過去の旅で、彼女が変異した背景を深く知れたら。様々な悪行を働いた啓鐘者の、情状酌量の余地が変わるかもしれない。
いや、この過去の旅の目的は啓鐘者を倒す為に、その謎を解くことなのだが。啓鐘者の弱点、性質、成り立ち。敵を知り己を知れば百戦危うからず。啓鐘者という悪しき存在を討つ為に、有利になるような情報を知りたい。俺達の目的は間違いなくそれだけなのだが……
「啓鐘者のことを深く知って、啓鐘者を許すことができたら、それは嬉しいことだよなあ」
「……許すことが嬉しいことなの?」
「そりゃあそうだろ。恨むって疲れるし、自分で自分が嫌になるし、恨むぐらいなら忘れたい。忘れるぐらいなら、許したい。少なくとも俺はそう思う」
「優しいんだか、自分本位なんだか」
「自分が苦しみたくないだけだ。自分本位だよ」
隣でダレンが腰を下ろす気配がした。彼も目を閉じたのだろう。静寂が辺りを浸していく。
俺は瞼をひくつかせながら眠りについた。




