白飛びの花
「多分、間違いないと思う。あの声は啓鐘者だ」
ダレンはそう言ったが、俺は訳がわからず眉を顰めた。
「どうして啓鐘者の声を知っているんだ?」
「聞いたことがあるから……」
「いつ?」
「ローレアで」
「あぁ……」
俺が気を失っていたときの話か。なら俺に覚えがなくても仕方がない。……いや。
そういえば俺も啓鐘者の声は聞いたことがあるな。異形の喉から放たれる、身の毛がよだつような叫声。流石にあの声と目の前の少女の声は結びつかないが。
啓鐘者が異形であることに関係なく、変幻自在の人間の声は、調子が似ていないと例え同一人物の声でもそうとわからない。
——ではローレアでの啓鐘者は叫声ではない、穏やかで平坦な声を発したのか?
「……片付けないと」
声がして、俺は少女の方を見た。少女は顔の水滴を袖で拭うと、木桶を持って立ち上がった。
少女はカーペットの染みを一瞥し、覚束ない足取りで去っていく。俺達は慌てて彼女を追いかけた。
少女は聖堂の右の扉を開き、廊下に出た。廊下の壁には窓が等間隔に並んでいるが、小さい為かさほど光を取り込んでいない。廊下の両端には、シスターが何人かたむろしている。
彼女達は少女の姿を認めると、ひそひそと囁き合い始めた。
「あ、クローディア」
「汚れた血の女」
「また小説を読んでいるのかしら」
「官能小説?」
「いやらしい」
「……ロマンス小説」
少女はぽつりと呟いた。しかしその声はごく小さく、反論でありながら誰にも聞かれたくないかのようだった。少女は俯き、黒色の髪のベールを下ろして歩いていく。
この少女——クローディアは虐められているのか。見ているだけで苦しく、痛々しい。
「……酷いな」
俺はクローディアの隣に立ち、周囲のシスター達に視線を送りながら歩いた。ここまでしても、やはり俺やダレンに反応を示す者は居ない。横を見ると、ダレンもまた俺と同じように彼女の反対側の隣に立って歩いていた。
クローディアは長い廊下をずっと歩いていった。すると段々周囲の人気がなくなっていった。そして彼女は廊下の最果て、突き当たりの扉を開いて、教会の外に出た。
「……綺麗なサクラ」
クローディアは春風の中、頭上を彩る薄ピンクの花々を切なげに見上げた。
あの美しい花はサクラというのか。奥ゆかしい色の花だというのに、焦げ茶色の木の枝は惜しげもなく花々を鈴なりに綻ばせている。その姿は喜色に溢れた感じなのに、この状況ではいやに眩しく、メランコリーに見えた。
クローディアはサクラの木々の間をすり抜けていき、ウキクサの浮いた池の前に立つと、木桶の水をそこに撒いた。その水は透き通っていて綺麗に見えた。虐めっ子のシスターが口にした「桶を洗え」という言葉は、「クローディアが顔をつけたことによって桶の水が穢れた」という嫌味を寓意していたのだろう。つくづく虐めっ子というものは、精神的暴力のプロフェッショナルだな。どこでそんなものを学ぶのやら。
クローディアは踵を返し、来た方へ戻ると、持っていた木桶を教会の壁際に置いた。そして廊下へと続く扉を開くと、再びその向こうへ去っていった。
俺はあえてその後を追わず、一度立ち止まってみた。閉まり切った扉を訝しむように見つめてみる。しかし心のモヤモヤは晴れない。俺は隣に立つダレンに問いかけた。
「なんか可哀想な目に遭ってるけど、それを抜きにしたら普通の子だな。翅や翼や鎌以前に、あの白い変なのも頭についてないし、あの子が啓鐘者だなんて人違いじゃないのか?」
「いや、あの声は忘れようもない。彼女は間違いなく啓鐘者だよ。翅とか白い変なのは、隠したり取り外したりできるのかもしれない」
「いや、それは非現実的すぎるだろ。絶対におかしい。五百年前に『目覚める』だとかなんだか言われた『厄災』の筈の啓鐘者が、現代に近い時代で、ちゃんとした人間の姿でシスターをやっているだなんて。かなり現代だよな、ここ。少なくとも五百年前ではないよな」
俺はぐるりと辺りを見回した。山雀がさえずっている。
「イニ島がサンズウェイに見つかって、テオドア教が伝来したのは二十年前だもんな」
「うん」
ダレンは首肯した。……そもそも最初から、『厄災』が『啓鐘者』であるという説には筋の通らないところがあった。それこそがあの現代的なシスター服だ。
人間の姿をしているアレが、人間が変異したモノなのか、そうではないナニカなのかはよくわからない。いずれにせよ俺には、「厄災」と呼ばれる存在があのシスター服を自主的に着るとは思えなかった。せめて「厄災」になる前の人間が着たとしたら説明がつくのだが、すると服の年代がおかしい。
旅の途中、俺はそれについてダレンに問いかけたことがある。するとダレンはこう答えた。
『『厄災』にも、服を着替える理性ぐらいはあるんじゃない?』
俺は納得しなかった。「厄災」と呼ばれる存在と、服を着替えるという生々しい人間の営みが結びつかなかったのだ。そのことをダレンに伝えると……
『そんなことを言われてもねえ。『『厄災』には理性がない筈だ』だなんて、『悪いことをする奴はみんな頭が悪い』というのと同じぐらいの偏見めいた話だと思うよ。
……ただ、『理性がある』というのも間違いなく偏見だ。
俺達人類は『悍ましいもの』の定義をよく知らない。いや、知れない。
『はるか彼方から悍ましいものが目覚める』——どれだけ懸命に考察したところで、教典に書かれた正真正銘の神の言葉はそれだけだ。今から天の世界にいらっしゃるテオドア様に、『どういう意味か』と伺うこともできやしない。それどころか教典の言葉すらも、五百年前の熱心な信者の手によって脚色されている可能性がゼロではない。
俺達人類は『悍ましいもの』について何も確かなことは言えないんだ。人間かもしれない、魔物かもしれない。理性があるかもしれない、ないかもしれない。何もわからない。
だから俺達はただ目下の脅威を、世界にとっての『厄災』を、神話上の『厄災』と推測することしかできない。根拠なんてものは、乏しくて当然なんだよ』
彼は長々とそんな理屈を並べ立ててきた。もちろんそれを聞いても尚、俺は納得いかなかったが、そのときはろくな反論を思いつかなかったので渋々ながら口を閉じた。
ただ、今現在。クローディアの姿を見た俺は、やはり何かがおかしいと思った。俺は再びダレンに聞いてみることにした。
「啓鐘者に、理性ってないよな?」
「……あるかも」
「どういうことだよ?」
「喋る理性は……あるかも。わかんない」
「うーん?」
なぜかダレンのその言葉には、「かも」という言葉とは裏腹な確かさがあった。……やはりダレンは、啓鐘者の平坦な声を聞いたのか? 平坦な声、平坦な言葉を?
——一体どんな?
ダレンは複雑に思い悩むような表情をしている。なんだよ。なんだっていうんだ。
「とにかく後を追おう」
そう言って歩き出したダレンを、俺は追い抜いた。振り返り、驚いている彼の手首を掴む。
「わっ、ちょっ」
俺は再び前を向いて駆け出した。なぜだかダレンの先を行きたかった。
廊下は一直線。俺の更に先を行ったクローディアの背中は、はるか彼方にしっかりと見えた。
「……嫌だったら言えよ」
「……ははっ」
現状を思い出したように、彼は緩んだ笑いを零した。思い出さなければ緩まなかったのだろうか。
俺は走るスピードを上げて、クローディアの背中を懸命に目指した。




