【挿絵あり】花園を穢す
数日に渡る、文字通り嵐のような航海を経て、俺達はなんとかイニ島の浜辺に辿り着いた。
儚げな太陽の光が、少女の柔肌のようにきめ細やかな砂浜を照らしている。白くぼんやりとしたその起伏に、曲がりなりにも男の素足を押し付けて、清廉な気分に浸る。俺はつけ毛のツインテールを撫でつけて、穏やかな水平線を眺めた。
「まさか靴が壊れるとはな」
「かなり踏ん張ったもんね。甲板で」
俺は自分の足を見下ろした。手に持ったペラペラの革……靴だったものが申し訳なさそうに揺れて、砂浜に影を落としている。申し訳ないのはこちらの方だ。借り物の、しかも女性の靴を壊してしまった。持ち主である、あの船に同乗していた船員に謝ると、快活な笑顔で「気にすんな」と肩を叩かれた。
砂浜の、俺達が足跡を刻んできた方を振り返る。ひび割れた木の桟橋の上に、船の積荷を下ろしている船員達が見える。あくまで船員のフリをして船に乗った俺達だが、あの桟橋に降り立つや否や、荷下ろしも手伝わずにそそくさと逃げ出してきてしまった。ビビってしまったのだ。俺はあのときのことを思い出して、思わず自分で自分の身体をかき抱いた。
『いらっしゃいませ、アルーヴ村の皆様』
——小さな子鹿を見定める、深く昏い狩人の眼差し。
船を降りた俺達を出迎えたのは、例のシスター服を着た三人の女性達だった。一人は青白く頰のこけた痩せぎすで、一人はふくよかでありながらどこか不健康な印象の女性。そしてもう一人は、長い夜色の髪を前に垂らした小柄な女性だった。
この女性が特に異質だった。シスター服はなぜかボロボロで日に焼けていて、手の爪は捲れて土で汚れている。まるで山を転がり落ちたかのようで、明らかに異様な姿なのだが、二人の女性はこの女性の異様さを釈明することなく、笑顔で船員達をもてなし始めた。——しかし。
『あら……そちらのお二方は?』
二人は俺達を認めた瞬間、すうっと瞳から温度を消した。獲物を見定めるような、冷酷で嗜虐的な眼差し。それに俺達が慌てた瞬間、一陣の風が吹いた。風は二人の後ろに居た女性の長い髪を巻き上げ、隠れた顔を露わにした。
老婆のような皺だらけの肌、落ち窪んだ目。——その目は、まっすぐに俺達を見据えていた。
「……思い出すだけで寒気がする……」
俺は砂浜にしゃがみ込んだ。あの女性は本当に生きていたのか。実はオバケだったんじゃないのか。
「立って。恐れを表に出しちゃいけない。どこで誰が見てるかわからないし、怪しまれる……わよ」
「それもそうわね」
俺は頷き、立ち上がった。改めて桟橋の方を見る。
「手伝いに戻ろうかしら?」
「多分もう既に怪しまれてるし、悪手でしょうね。何から何まで情けないけど、このまま船のことは船員さん達に任せておきましょうか。靴を買いに行く感じで……島の中に行きましょう」
「わかったわ」
つまり、調査の始まりだ。俺は俺自身の靴を持っているし、壊れた靴を買って返すにしてもここで買う必要はない。俺達は靴を買うという名目で、啓鐘者についての調査に行くのだ。
ヘマは許されない——そんな気がする。
「……」
俺には一つ作戦があった。とてつもなく気が重い作戦だ。
俺はそれをやりたくない。しかし、砂浜の向こうに去りつつあるダレンの後ろ姿を見ていると、どうしようもなく胸が締め付けられて、「やらなくちゃいけない」と思ってしまう。揺れるポニーテールに、あの日風呂屋で洗った髪の印象が重なって、強い衝動が湧き上がってしまう。
葛藤の末、俺はダレンを呼び止めた。ダレンが髪を靡かせて振り返る。俺は彼の元まで走って行き、耳打ちをした。彼は驚いたように目を見開くと、神妙な様子で頷いた。
砂浜から続く道をしばらく歩いていると、俺達はイニ島の街の中へと辿り着いた。いや、これは街というより村だろう。
枯れ山の麓に、都会的な建築に憧れたようでいて、どこかそれになりきれない建物が立ち並んでいる。
背が低く垢抜けない雰囲気のそれらは、どうやらサンズウェイの影響を受けて建てられたもののようだが、その隙間にはイニ島本来のものと思しき木造の家屋がちらほらと建っている。
木造の家屋はどれも、それはそれで趣があるような、独特の建築様式をしていた。しかしそのほとんどが長年放置されているもののようで、外壁や屋根は焼け焦げたように黒く、蔦や背の高い植物に飲み込まれて自然に還りつつあった。
また、山の方に大きな教会が見えた。木と漆喰で造られたそれを見た瞬間、俺は得体の知れない力を感じた。磁力のような力に髪と頰を後方に引かれる感じがして、心臓が殴られたように大きく跳ねた。
霊感、というものが俺にもあるのだろうか。いや、この感覚は啓鐘者の放つ瘴気を浴びた感覚に近い。恐らくあの場所に、俺達の知るべきことがあるのだろう。
「気配を消す魔法」
俺は使い慣れた魔法を自身とダレンにかけた。気配を消す魔法は、俺がローレアのしがない冒険者だった頃から何かにつけて使っている魔法だ。決して万能ではなく、周囲の人や動物や魔物にやや気づかれにくくなる程度の効果しかない魔法だが、今はそれで十分だ。
ここまで歩いてくるまでに、俺達はこの島の誰とも遭遇しなかった。今も周囲には暗い窓の家々が立ち並ぶばかりで、全くもって人気が無い。
なぜここまで人気が無いのかは謎だが、これは好都合だ。居もしない人間に俺達の存在がバレる筈もないし、仮にあの真っ暗な家の中に誰かが居たとしても、なるべく喋らず、音を立てず進んでいけば気づかれないだろう……多分。
俺達は家々の狭間の道を進んだ。漆喰の家の庭に蝋梅が咲いていて、薄黄色の甘い香りが漂っている。ひらりと蜜蝋の欠片のような花弁が目の前を横切って、視界の端で燃えるような錯覚を覚えた。振り向くと、崩れ落ちた家屋の側に鮮やかな椿が咲いていた。沢山の花を咲かせた木の足元に、首の落ちた花が大量に積み重なって、物言いたげな黄色の瞳をこちらに向けている。
俺は黙って前を向き、歩を進めた。




