91 アルウブラード
アルウブラードはアドジオン帝国最北の街で、すぐ北にはクシュタニカ公国と帝国を隔てる急峻な山々が聳えている。
この街は国境の玄関口でも交易の拠点でもない。冬は寒さが厳しく、夏は比較的過ごしやすい。牛や山羊の乳を使ったチーズが特産品で、近くには澄んだ湖がある。自然豊かで牧歌的な街だった。
転送ゲートを通った異界人たちがやって来るまでは。
魔物に襲われる事がほとんどない為、街を囲む石壁もない。街を警護する兵も最小限しか居なかった。山を越えて来た異界人たちにとって、この街を落とすのは赤子の手をひねるようなものだっただろう。
半分以上の家が倒壊し、土の地面はあちこちが酷く抉れている。花が植えられていた場所は踏み荒らされ、木々は折れて葉は既に枯れている。牧場だった場所は家畜小屋が半壊し、柵も無くなっていた。
澄んだ水が売りだった湖は、逃げ惑う人々や家畜の血で汚れ、湖畔には死体が積み上がり水は汚染された。
現在のアルウブラード一帯には生き物の気配がしない。
事前に聞いていた通り、生き残った住民は既に避難している。と言っても、元々二千人ほど暮らしていたうち、生き残ったのは三百人ほどらしいが。
この街はもう死んでいる。避難した人々も戻る事はないだろう。あまりにも多く死に過ぎた。
アルウブラートから二キロの地点で亜空間から出たアイナ達は、周囲を警戒しながら徒歩で街に近付いた。ルベロは本来の大きな姿のままである。体高八メートル以上ある三つ頭の巨大な生き物だから、敵も気付いているだろう。
(アイナ様。二百メートル先の正面に二つ、東・西・南の離れた場所に二つずつ、中心部付近に約三十の熱源が固まっています)
ククルが「熱探知」に集中し、敵の場所を教えてくれる。
(中心部までどれくらいの距離?)
(ここからですと、およそ一キロです)
敵が固まっているならアイナのスキルをぶち込むチャンスだが、さすがに遠すぎた。
(近い方の熱源の一つが中心部に向かって移動を始めました)
「モニカ!」
「任せてっ」
アレスが呼びかけるより早く、モニカは大弓を構えていた。
リム(弓柄)がX字に交差した大弓「ダンテ」。「神の右手」で付与されたのは、風・炎・氷・雷の四属性。
風属性によって矢の初速を上げ、任意で他の三つのうち一つの属性を鏃に与える。
番える矢は、長さ八十センチ、直径一・五センチの合金製。重さは五百グラム以上。その矢が、風属性の恩恵により音速の二倍を超える初速で放たれた。狙いは、恐らく自分達に気付き、それを仲間に知らせる為に中心部に向かおうとする敵。
鏃に雷属性を纏った矢は、風切り音を置き去りにしてほとんど地面と平行に飛ぶ。
普通の矢の速さなら、或いはこちらを見ていたら、避けられたかも知れない。だが、モニカが放った矢は走る異界人に気付かれる事なく、その背中の真ん中に命中し貫通した。
背中には拳大の穴が開き、異界人は何が起こったか気付く間もなく、数歩走ってそのまま前のめりに倒れ動かなくなった。
モニカはそれを確かめもせず、動かずにこちらの様子を窺っていた敵に、既に二の矢を放っていた。
「弓」という武器は、言うまでもなく中距離から遠距離攻撃に特化している。それに加えて音がほとんどしないという隠密性も備えている。
初速が音速の二倍を超える「ダンテ」の場合、矢を放った直後に衝撃波が生まれ、本来なら轟音が轟いてしまう。だが、自動的に付与される風属性の働きで、矢の周囲に空気の層が作られ、発生する音を遮断している。
その結果、普通の矢の風切り音程度に抑えられ隠密性も保たれているのだ。
モニカ自身、詳しい仕組みはよく分かっていない。仕組みが分からなくても「ダンテ」は使える。そして、モニカのスキル『必中』は、狙った場所に寸分違わず矢を命中させる。
二百メートル先の敵に矢が届く時間、およそ0・三秒。人間の平均的な反射速度は0・二五秒と言われている。
モニカが放った二の矢は、真っ直ぐに異界人の眉間を目掛けて飛んだ。そして、その異界人は矢に反応した。それは、矢が見えていた訳でも音が聞こえた訳でもない。モニカの動きを見て危険を感じ、本能的に両腕をクロスして顔の前に翳したのだった。
結果的に、雷を纏った矢は、異界人の両腕を吹き飛ばし、頭も吹き飛ばした。ついでに遥か後方の石垣を貫通し、半分崩れた納屋の壁を貫通し、五百メートル先の地面にめり込んで止まった。
「モニカ……射線上に仲間が居ないのをくれぐれも確かめてから撃ってくれよ?」
「大丈夫よ。ちゃんと確認するから」
ヒューイが小声で窘め、モニカも小声で答えた。
(中心部にはまだ動きはありません)
気付かれずに近付く事が出来ればアイナのスキルを撃てる。纏めて殲滅する好機だ。一行は街の中心部に向けて静かに移動を開始した。
* * * * * * * *
アルウブラード中心部の一番高い建物は四階建てである。隣には、かつて冒険者ギルド・アルウブラート支部だった建物の残骸がある。四階建ては役所で、奇跡的に無傷で残ったものだった。
そこに、三十八人の異界人達が集結していた。そのうち二人は先程モニカの「ダンテ」で屠られたので、残りは三十六人。
六人の役職付き兵士と二十人の一般兵。そして十人は「十二将」と呼ばれる最強の兵士たち。反体制派のトップでもあるジェレゲイル将軍の姿もあった。
聖教騎士団が集めた情報では、この地に来ている「十二将」は八人という話だった。そこに加えてジェレゲイル将軍と側近のバトモア中将が昨夜到着した。帝都アドグオスを抑えておくことより、転送ゲートの奪取が最重要と判断したためだ。
「そろそろ見張りを交替しろ」
「はっ!」
グレカス中将が役職付きの兵の一人に命じる。街の東西南北に見張りの兵を二人ずつ配置しているのだった。
「日暮れには出発する。各々準備を整えておけ」
ジェレゲイル将軍の重々しい声が響いた。「十二将」の十人はもちろん、役職付きの六人も転移能力を持っている。転送ゲート奪取に十六人も必要ないだろうが念のためだ。転移を繰り返せば一日程度で目的地に着く。
転送ゲートを奪い、兵をこちらの世界に連れて来る。この世界を平伏させるのはそれからでも遅くないだろう。
「む?」
つらつらと今後の事を考えていたジェレゲイル将軍だったが、突然肌が粟立つような気配を感じる。
ジェレゲイルが軍のトップに上り詰めたのはその強さ故だが、それ以外の特質があった。彼は異常に「勘」が鋭いのだ。そして肌が粟立つ気配は、紛れもなく「身の危険」を指し示していた。
「総員、退避! 転移出来るものは転移せよっ!」
ジェレゲイル将軍が声を上げた時、この建物の下に眩い魔法陣が現れた。
* * * * * * * *
(建物から八人、外に出て来るようです)
無傷の役所を囲むように展開していたアイナ達は、ククルの念話で瞬時に戦闘モードに入る。
アレス、ヒューイ、ペネドラの三人は、建物の出口横の壁に背を付けた。モニカは隣の冒険者ギルドの残骸の陰に隠れ援護の体勢を取る。テンとアーニカは出口の真正面に仁王立ちになって出て来る者を待ち構えた。
(来ます!)
モニカは矢を引き絞り、出口に狙いを定めた。もちろん射線上に仲間は居ない。出口の先に居るテンとアーニカに気付いた異界人が、足早に出て来ようとする。
その先頭の者に向かって、モニカが矢を放つ。鏃に炎を纏った矢は、一瞬だけオレンジの軌跡を残して真っ直ぐに異界人の胸を穿ち、貫通してその後ろに居た者に突き刺さる。
後ろのそいつは咄嗟に「攻撃刃腕」で防御したようだ。突き刺さった勢いで後ろの異界人達を巻き込みながら、建物の奥に吹っ飛んで行った。
「みんな下がって! アイナ、『降臨』!」
「うん! 『降臨』」
ネネの指示に、みんなが離れた事を確認したアイナが建物の大きさに限定して『降臨』を放つ。
直後に建物の下が眩く光り、天空から一筋の光が落ちて来る。次の瞬間、四階建ての建物は直視できない程の真っ白な光に包まれ、轟音と地響きが轟いた。
光が収まったとき、そこに在った建物は跡形もなく、底が見えない深い穴と化していた。
(熱源の残りは十六! 半径百メートルに点在しています)
見える範囲で六人の異界人。彼らは燃えるような目でこちらを睨みつけていた。
いよいよ闘いが始まりました。
『銀獅子団』の面々が獲得した付与武器の紹介を入れつつ、バトル回が数話続きます!




