86 教皇パルマ・ド・ルベルシス
神聖所は人払いがされていた。アイナもスキル解放のためにここには何度か来た事がある。
小さな霊廟のような建物に入ると、前見た時と同じく中央に月水晶が鎮座している。その台座の裏側に、何の変哲もないレリーフがあり、ミカイルはそのレリーフを百八十度回して押し込んだ。
すると、台座の裏側の床の一部が開き、地下に続く階段が見えた。
「こちらでございます」
ミカイルに続いて階段を下りると狭い地下室になっており、その中央、月水晶の真下に、淡いピンク色に光る転移陣があった。
「この転移陣はお一人ずつしか使えません。まず私が先に転移します。向こうには常に警備兵がおりますから。一分後くらいに、次の方が転移陣にお入りください」
そう言うと、ミカイルは転移陣に足を踏み出し、次の瞬間にはその姿が消えた。
「アイナ様、次は私が参ります」
一分後にフレデリクが、そしてアイナ、ネネと続いた。
「女神の間」と呼ばれるその場所は、先程居たのとあまり変わらない狭苦しい場所で、窓一つなく薄暗い。蠟燭の灯と転移陣のピンク色の光で、かろうじてここが石造りのかなり古い場所だと分かる。
アイナがそこに転移した時、ミカイルとフレデリクの他に、四人の全身鎧の男たちが居た。鎧の色は恐らく白だと思うが、この明かりの中では判然としない。
続いてネネが転移して来て、ミカイルが「これで全員です」と言うと兵が警戒を解き、アイナに向かって跪いて首を垂れた。
「ようこそお越し下さいました」
「わっわっわ! ど、どうぞ普通に顔を上げて、普通に立ってくださいっ」
アイナは慌てて兵たちにお願いする。こんな秘密の場所を警護しているのは、恐らく近衛騎士、その中でも高位の者だろう。たぶん貴族だ。そうじゃなくても、誰かに傅かれると、なんだか背中がムズムズするアイナであった。
「アイナ様、どうぞこちらに。既に教皇様にはアイナ様が来られることをお伝えしております」
フレデリクに促されて「女神の間」から出ると、大きな窓がたくさんある天井の高い廊下だった。真っ直ぐ五十メートルくらいありそうだ。十メートルおきくらいに、白い全身鎧に身を包んだ騎士が身じろぎもせず立っている。
なるほど、ここは大神殿の中で「女神の間」にだけ続く廊下のようだ。他に部屋は一切ない。
ミカイルに尋ねると、この大神殿は「女神の間」が発見された場所を囲むように後から建てられた物らしく、大神殿内のかなり奥まった場所にあるとの事だ。
「謁見などと堅苦しいものではなく、教皇様の私室でお会いになるとの事です。急ぎの執務が終わり次第いらっしゃるそうですので、しばらくこちらの控室でお待ち下さい」
そう言われて通された部屋は、白い部屋だった。華美ではなく上品な雰囲気で、床から天井まである大きな窓からは、よく手入れされた庭園と噴水が見える。
ミカイルと入れ替わりに修道服姿の若い女性がティーセットを載せたワゴンを押して入って来る。その姿に、アイナは孤児院時代のシスター達を思い出した。
「ん……不思議な雰囲気」
「とても静かなのに、多くの人の気配がしますね」
大声を出すのが憚られる神聖な空気。王城とも全く違う雰囲気だ。教会に行くとこんな感じなんだろうか?
真ルーナ教の教会はあちこちにあるが、アイナは行った事がない。今更だが、そんな自分が教皇様に会っても良いのか不安になって来た。
「教皇様、どんな人なんだろう……もっとちゃんと聞いとけばよかった」
怖い人かな? 厳しい人なんじゃないかな? 会った途端に怒られたらイヤだな……
勢いでここまで来てしまったアイナだが、よく考えると顔も知らないお祖母ちゃんと今から会うのだ。しかもそのお祖母ちゃんは「教皇様」なのだ。国が違えば「国王」と同じ立場である。
アイナは急に緊張してきた。ド緊張と言ってもいい。変な汗が出て来る。じっと座っていられずウロウロするが、右手と右足が一緒に出て、出来損ないのゴーレムのような動きになってしまう。
ネネはそんなアイナの姿が微笑ましくて、ずっと見ていたかったので放置していた。フレデリクは(天使様が緊張するお姿など二度と見る機会はありますまい!)とやはり放置していた。
そうこういているうちにミカイルが呼びに来た。
「お待たせいたしました。教皇様の元へご案内いたします」
教皇の私室は想像していたのと違い、質素で落ち着いた雰囲気だった。床こそ足首まで埋まりそうな絨毯が敷かれているが、その色はシックな濃紺。壁は濃い茶色の木材を腰板に使い、その上は目に優しいベージュ。天井や作り付けの書棚、机も同じ色の木材で統一されている。
その机の向こうには大きな窓があり、庭園の緑、色とりどりの花々、そして遠方の山々が見え、心を和ませるような配慮がされていた。
しかし、アイナはそれどころではなかった。
以前、カルデ王国の王城で国王と謁見した時と同じく、部屋に入った途端俯き、教皇を直接見ないように前へ進み、ミカイルが足を止めた所で止まり、そのまま跪いた。
「まぁまぁ! そんな事をする必要はないのですよ。 どうぞお立ちになって、お顔を見せてもらえるかしら」
高くも低くもない、落ち着いた優しい声。アイナは覚悟を決め、おずおずと立ち上がり顔を上げた。ネネとフレデリクもそれに続く。
アイナは恐る恐る教皇を見た。背はアイナより十センチほど高いだろうか? 細くて華奢な身体つき、小さな顔。そして自分と同じ銀髪を高く結っている。そして、亡き母と同じ、オレンジがかった黄色の瞳。
もう忘れかけていた母の顔。教皇の顔には、間違いなくその面影があった。そして、その榛色の瞳には、今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。
「あなたが……あなたがアイナさんなのね…………本当にアイリスにそっくり……」
口元を押さえながら、教皇はアイナに歩み寄る。
「教皇様……」
「いやだわ、お祖母ちゃんと呼んでくださいな! アイナさん、抱きしめても良いかしら?」
「はい……では私のことも『アイナ』と呼んでください、お、お祖母、様……」
教皇パルマ・ド・ルベルシスは、アイナの言葉に破顔して、背中に腕を回しながらそっと頬を寄せた。その顔は、重責を担う教皇の顔ではなく、八年越しに会えた孫に向けた、この上なく優しいものだった。
アイナ達とパルマは向かい合ったソファに座り、ミカイルや他の者たちは退室した。落ち着きを取り戻したパルマが人払いしたのだ。
「みっともない所を見せてしまってごめんなさい。改めまして、パルマ・ド・ルベルシスです」
「アイナ・レモンドです」
「ネネ・モードと申します」
「フレデリク=カームランド・クシュタニアでございます」
「あら。カームランドと言えば――」
「はい、現大公の三男でございます」
「 「 ええっ!?」 」
アイナとネネが、揃ってフレデリクを見て驚きの声を上げた。公爵家とは聞いていたが、現大公? それは、他国で言えば第三王子ではないか!
「あらあら。あなた達、ご存じなかったのかしら?」
パルマが面白そうに尋ね、アイナとネネはコクコクと頷く。
「その、現大公家の方が、なぜアイナと?」
「お身内の前でこんな事を申し上げるのは大変恐縮ですが、アイナ様はこの世界の危機に対抗するために、どうしても必要な方なのです」
「?」
「その絶大な力はまさに神のもごもごもご……」
アイナは慌ててフレデリクの口を塞いだ。現大公の三男とか知った事ではない。
「ごめんなさい、お祖母様。フレデリクさんは少し勘違いしてるだけで、私たちの力になるために一緒に居てくれてるんです」
「あら、そうなの? そしてネネさん。貴女は『銀獅子団』の方なのね?」
「はい、そうです」
すると突然、パルマがネネに向かって頭を下げた。突然のことにネネはわたわたと両手を振りながら「おおおお顔を! どうかお顔をお上げくださいぃぃぃ!」とパニクった。
「アイナの……孫の面倒を見て下さり、心から感謝します」
「そんな! 私の……私たちの方こそ、アイナがいてくれて……言葉に出来ないくらい感謝してるんです」
言葉だけを聞けばほっこりする話だが、ネネは言外に「アイナを手放すつもりはありませんよ」と匂わせたつもりだった。
「それに、今日ここへ来るようにアイナの背中を押してくれたのも、貴女方でしょう? それに対してもお礼を言わせて欲しいの」
「いいえ、それも決めたのはアイナ本人です。アイナが会いたいと言ったから、私達は付き添っただけですから、お礼には及びません」
今度は、パルマの方が「アイナを利用して何か企んでるのでは?」と匂わせた。まぁ、企んでない訳でもないのだが、それは決してアイナを利用している訳ではない。この機会が利用できるなら、という願望に近いものだ。
しかし、その願望は世界の命運を左右しかねないものである。教皇とお近づきになって美味しい思いをしようなどと言った卑しいものではない。それどころか、それと対局にあるものだ。
ネネは慎重になる。本当は、アイナと教皇の二人きりでゆっくり家族の時間を過ごして欲しい。アイナが害される心配がなければ、ククルだけ置いて自分とフレデリクは一旦帰った方が良いかも知れない。
「それでは私達は――」
「あまり時間もないことですし、先に『異界人』の話を済ませましょう」
パルマの言葉に、三人は言葉を失った。
明日は投稿をお休みさせて頂きます(間に合いそうにありません ^^;)。
次話は土曜日の夜、投稿予定です!




