第6話「まったく新しい一日」
誰にとっても、その朝は新しい一日の始まりだった。
けれど、レンにとっては――いつもと同じ一日の繰り返しだった。
目を覚まし、学校へ行く。
同じ道を歩き、同じ人々を見て、同じ声を聞く。
そして家へ帰り、また次の日を迎える。
かつてのレンにとって、それは終わりのないレコードのようなものだった。
何度繰り返したのかなんて、もう覚えていない。
千回?
百万回?
そんな数字に意味があるのかさえ、いつからか分からなくなっていた。
――起きる。
――学校へ行く。
――人と会う。
――帰る。
そして、また次の日。
同じことの繰り返し。
けれど、最近は少しだけ違っていた。
レン自身、その理由を完全には理解していない。
ただ、以前ほど「何もかも同じだ」と感じなくなっていた。
自分を必要としてくれる人がいる。
大切に思える人がいる。
そんな存在が、レンの中に少しずつ生まれ始めていた。
それだけで、次の日を迎える意味がほんの少し変わった気がした。
「……変な感じだな」
レンは小さく呟き、ベッドから起き上がった。
* * *
学校へ向かう道も、いつもと変わらなかった。
仕事へ向かう人々。
友人と話しながら歩く学生たち。
道路を走る車。
東京の、どこにでもある朝の光景。
そのときだった。
レンがふと足を止めた。
「……」
何かがおかしい。
ほんの一瞬だった。
危険を感じたわけではない。
敵の気配でもない。
ただ――この世界には存在しないはずの何かを感じた。
レンはゆっくりと周囲を見回す。
何もない。
人々はいつも通り歩いている。
車も走っている。
風も変わっていない。
世界は、何も変わっていなかった。
「……気のせいか」
レンは小さく肩をすくめる。
そして、そのまま学校へ向かって歩き出した。
* * *
学校では、いつも通り授業が進んでいった。
一時間目。
二時間目。
そして三時間目。
レンは自分の席に座り、教師の話を聞いていた。
そんな日常にも、少しずつ慣れてきている。
ただ、一つだけ問題があった。
――友達がいない。
本当に、一人もいない。
普通の東京の高校生として生活したいのなら、友達くらい作ったほうがいい。
それくらい、レンにも分かっていた。
問題は――。
「……どうやって作るんだ?」
レンは真剣に考え込んだ。
誰かに話しかければいいのか。
挨拶をすればいいのか。
一緒に帰ろうと誘えばいいのか。
……分からない。
頭の中に、そんな手順書は存在しなかった。
戦術なら分かる。
交渉なら分かる。
軍隊の指揮だってできる。
だが――友達の作り方だけは、なぜか知らない。
レンは小さく息を吐いた。
「……これは難題だな」
* * *
放課後。
レンはいつものように図書室へ向かった。
空いている席に座り、日本史の本を開く。
静かな図書室は、レンにとって落ち着ける場所だった。
ページをめくりながら読み進めていると、視界の端に見覚えのある姿が入った。
――タケオだ。
タケオは本棚の前で、何冊もの本を見比べながら困ったような顔をしている。
レンはしばらく彼を眺めていた。
そして、本を閉じて立ち上がった。
タケオのところまで歩いていく。
「手伝おうか?」
「え? ……またお前?」
「どうやら、そうらしい」
タケオは本棚に視線を戻した。
「……まあいい。ちょっと助けてほしい」
「何を探してる?」
タケオは頭を掻きながら答えた。
「先生に、歴史の出来事をもっと覚えろって言われたんだ。授業で質問されてもちゃんと答えられないし、たまに答えを書くことすらできない」
「それで?」
「このまま授業で答えられない状態が続いたら、母親に連絡するって……」
タケオは深いため息をついた。
「それだけは勘弁してほしい」
「なぜ?」
「母親に連絡されたら……ゲーム機を取り上げられる」
レンは数秒、黙った。
そして――。
「……なるほど」
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「何笑ってんだよ!」
タケオが睨む。
「俺にとっては死活問題なんだぞ! お前はそこで涼しい顔して、何も心配してないみたいな顔しやがって!」
「悪い悪い」
レンは笑いを抑えながら、本の山を見る。
「じゃあ、どの教科が一番苦手なんだ?」
タケオは少し迷ってから答えた。
「……歴史」
レンは一瞬だけ黙った。
そして、手にしていた本へ視線を落とす。
――よりによって歴史か。
レンが最も得意としている教科だった。
「じゃあ、放課後は一緒にここへ来るか?」
「……え?」
「歴史の出来事を一緒に読もう。分からないところがあれば教える」
タケオは驚いたようにレンを見る。
当然だった。
ほんの二日前まで、二人は敵同士だった。
もう少しで、本当に殴り合いになっていたかもしれない。
それなのに、レンはまた自分に手を差し伸べている。
「……なんで、そこまでしてくれるんだ?」
レンは肩をすくめた。
「別に。理由なんて必要か?」
タケオはしばらく黙っていた。
やがて、諦めたように息を吐く。
「……分かった。やる」
そして、すぐに付け加えた。
「でも、これで友達になったと思うなよ」
レンは小さく笑った。
「分かった」
そう言って、レンは自分の席へ戻っていく。
「じゃあ、行こう」
「どこへ?」
レンは机の上に置いてあった本を持ち上げた。
「お前が探してる本。もう俺が持ってる」
「は?」
タケオが固まる。
レンは何事もなかったかのように本を開いた。
「ちょうど今、読んでるところだ」
タケオは数秒間、無言でレンを見つめた。
「……お前、本当に変な奴だな」
レンはページをめくる。
口元には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
「よく言われる」




