第66話:「小さな火花」
授業も終わりに近づいていた。教室の窓からは明るい日差しが差し込み、廊下からは帰り支度をする生徒たちの声が聞こえてくる。
俺が先生の最後の言葉をノートに書き留めていると、終業のチャイムが鳴った。
「やっと終わったー!」
タケオは椅子の背もたれに寄りかかり、大きく息を吐いた。
「今日は間違いなく休む権利があるな」
「それ、毎日言ってないか?」
カイトはそう言いながら、教科書を鞄にしまった。
「毎日そう思うんだから仕方ないだろ!」
二人のいつものやり取りを見て、俺は思わず小さく笑った。
しばらくすると、ミコがアイノと一緒に俺たちの席へやって来た。
「みんな、もう帰るの?」
ミコが尋ねた。
「ああ。今日は特に予定もないしな」
タケオが答える。
「じゃあ、どこかに遊びに行かない?」
「いいね! カイトも一緒にどうだ?」
タケオはすぐに乗り気になった。
「どうするかな。先に本屋に寄りたいんだが」
みんなが予定について話している間、俺はアイノに目を向けた。彼女は隣に立ち、穏やかな表情で話を聞いている。
彼女を散歩に誘ってみようか。
そう思い、少し考え込んだ。
でも、どう切り出せばいいんだろう。
ただ一緒に歩こうと誘えばいいのか。それとも、今日予定があるか聞いてみるべきか。
俺は心の中で小さく苦笑した。
不思議なものだ。長い人生の中で、どんな状況にも対処してきたというのに、今はたった一言をどう伝えればいいのか迷っている。
けれど、いつまでも考えていても仕方がない。
時には、自分の気持ちを素直に伝えるのが一番だ。
「アイノ」
俺が声をかけると、彼女はこちらを向いた。
「どうしたの、レン?」
「今日、もし予定がなければ、放課後に少し散歩でもしないか?」
彼女の顔に、ふんわりと笑みが浮かんだ。
「うん、ぜひ」
「じゃあ、決まりだな」
タケオが興味深そうにこちらを見たが、何も言わず、そのままミコとの会話に戻った。
俺は荷物をまとめ、みんなと一緒に教室を出た。
---
他の生徒たちと一緒に校舎を出ると、外は気持ちのいい天気だった。暖かな風が、道沿いに並ぶ木々の葉を優しく揺らしている。
タケオとミコは商店街の方へ向かい、カイトも俺たに別れを告げて、本屋へと歩いていった。
「じゃあ、また明日な!」
タケオが振り返って声をかける。
「ああ、また明日」
俺が答えると、二人は角を曲がって見えなくなった。
こうして、俺とアイノは二人きりになった。
「これからどこへ行く?」
アイノが俺を見上げて尋ねた。
「そうだな。特に行き先を決めずに、少し歩かないか? こうして二人きりでゆっくり話す時間も、最近はなかなかなかったし」
「うん、いいね」
俺たちはよく知っている道を、のんびりと歩き始めた。急ぐ必要もない。穏やかな天気の中、ただ一緒に過ごす時間を楽しんでいた。
しばらくは学校のことや、これからの小テスト、それから先日の京都旅行について話した。
「ねえ、京都旅行がもう終わっちゃったなんて、まだ少し信じられないな」
アイノが言った。
「そうだな。ついこの間、出発の準備をしていた気がする。みんなと一緒に過ごせて、楽しかったよ」
「私も。特に竹林を歩いたときがよかったな」
「確かに。あのときのアイノは、とても楽しそうだった」
「本当? ふふっ。だって、本当に楽しかったんだもの」
アイノは嬉しそうに微笑んだ。
その表情を見て、俺も自然と笑みを浮かべた。
「じゃあ、今度は二人でどこかへ出かけてみるか?」
アイノは少し照れたように視線をそらしたが、すぐに答えてくれた。
「うん。私もそうしたいな」
俺たちは再び歩き始めた。
ふとした瞬間、アイノが少し近づき、俺たちの手がそっと触れ合った。
彼女は一瞬だけこちらを見たが、手を離そうとはしなかった。
俺も手を引っ込めなかった。
代わりに、そっと彼女の手に触れ、そのまま優しく握った。
アイノは少し恥ずかしそうにしていたが、やがて俺の手を握り返してくれた。
俺たちは何も言わなかった。
ただ手をつないだまま、穏やかな時間を楽しみながら、並んで歩き続けた。




