第61話:「古都で過ごす一日」
最初に目を覚ましたのは、俺だった。
新幹線の車内は静かで、ほとんどの乗客がまだ眠っていた。
窓の外では街の建物が次々と流れていく。その向こうに、東寺の五重塔が見えてきた。
京都だ。
ここに来るのも久しぶりだな。
俺はそっと肩に寄りかかっていたアイノの頭を持ち上げ、起こさないように座席の背もたれに預けた。
しばらくすると、車内も少しずつ騒がしくなってきた。通路を歩く乗客が増え、車内アナウンスからはまもなく到着するという案内が流れてきた。
友人たちも目を覚まし始めた。
タケオは大きなあくびをして目をこすり、カイトとミコは忘れ物がないかリュックの中を確認していた。
やがて新幹線はゆっくりと速度を落とし、ホームに停車した。ドアが開くと、俺たちは荷物を持って車内を出た。
京都駅は大勢の人で賑わっていた。
観光客や通勤客が行き交い、あちこちから話し声が聞こえてくる。キャリーケースの車輪が床を転がる音も絶えなかった。
先生は黄色い旗を高く掲げ、クラス全員に声をかけた。
「みんな、はぐれないように! 委員長についていってね!」
俺は最後のほうでホームに降りた。
頭上には大きな屋根が広がり、窓から柔らかな秋の日差しが差し込んでいた。駅の中では、たくさんの人がそれぞれの目的地へ向かって歩いている。
俺は周囲を見回した。
駅は変わったが、どこか見覚えのある景色だった。
駅前には、俺たちが乗る観光バスが何台も並んでいた。
先生が人数を確認したあと、俺たちはそれぞれのバスに乗り込んだ。
バスはゆっくりと走り出し、京都の街を進んでいった。
しばらくして、瓦屋根のある二階建ての木造建築の前で停車した。
今回、俺たちが泊まる旅館だ。
バスを降りると、先生からすぐに指示が飛んできた。
俺たちは荷物室からスーツケースを取り出し、旅館のスタッフに預けた。スタッフは丁寧に頭を下げ、荷物を中へ運んでいった。
「部屋に入るのは夕方になってからよ! 大きな荷物だけ預けて、小さなリュックを持ったら、すぐにバスに戻って!」
先生は黄色い旗を振りながら、忙しそうに指示を出していた。
「せっかく畳の部屋でゆっくりできると思ったのに……」
タケオは小さなバッグを肩にかけながら、残念そうにため息をついた。
「帰りのバスで寝ればいいだろ」
カイトはそう言って、タケオの横を通り過ぎた。
「お前だって疲れてるだろ!」
「少なくとも、俺は何度も文句を言ってない」
「これは文句じゃない! 今の俺の気持ちを表現してるだけだ!」
俺は思わず笑った。
この二人は、旅行に来ても相変わらずだな。
俺たちは再びバスに乗り込み、次の目的地へ向かった。
京都観光の始まりだ。
* * *
バスが京都の街を走る中、ガイドさんがマイクを使って、街の歴史や寺院について説明していた。
新幹線での移動もあってか、クラスメイトの多くは眠そうにしていた。窓の外を眺めている者もいれば、小声で話している者もいる。
中には、今にも眠ってしまいそうなやつもいた。
そんな中、タケオだけは窓に顔を近づけ、興味津々で街を眺めていた。
最初の目的地は、金閣寺だった。
バスを降り、松の木に囲まれた道を進んでいくと、やがて池の向こうに金色の建物が見えてきた。
三階建ての金閣は、二階と三階が金箔で覆われている。
日差しを受けた建物は輝き、池の水面にもその姿が映っていた。
「うわぁ……」
タケオが思わず声を漏らした。
「本当に金色なんだな! レン、見ろよ! めちゃくちゃ光ってるぞ!」
「綺麗だな」
隣に立っていたアイノも、静かにうなずいた。
彼女は写真を撮ろうとスマホを取り出し、それから俺のほうを見た。
「レンはどう思う?」
「いい場所だと思う」
「前にも来たことあるの?」
「百年くらい前にな」
俺は小さな声で答えた。
そのあと、俺たちは金閣寺の景色を楽しみながら、見学を続けた。
午後も、俺たちは先生に連れられて京都の名所を回った。
伏見稲荷大社では、たくさんの赤い鳥居が並ぶ道を歩いた。山の中の道を進み、いくつもの鳥居をくぐったあと、古い町並みが残る祇園にも向かった。
タケオは本物の舞妓や芸妓を見ようと、あちこちを気にしていた。
「なあ、全然見かけないんだけど!」
通りを見回しながら、タケオが不満そうに言った。
「お前のために出てくるわけじゃないだろ」
カイトが落ち着いた声で返した。
「そういう意味で言ったんじゃない!」
「はいはい」
「カイト、お前、今日はいつも以上に腹立つな!」
俺は二人のやり取りを聞きながら、古い建物や店先を眺めていた。
京都の街も、昔と比べればずいぶん変わった。
新しい建物が増え、以前とは違う景色になった場所もある。それでも、昔から変わらない雰囲気が残っているところもあった。
だが、今日は昔を懐かしむために来たわけじゃない。
今はただ、友人たちと旅行を楽しめばいい。
夕方になるころには、クラス全員がすっかり疲れ切っていた。
朝から騒いでいた連中も、今では口数が減っている。タケオでさえ、いつもより静かだった。
俺たちは先生の後についてバスへ戻った。
旅館に着くころには、辺りはすっかり暗くなっていた。
窓から明かりが漏れる木造の旅館は、どこかほっとする雰囲気があった。
一日中歩き回った俺たちにとって、ようやく休める場所に戻ってこられたのはありがたかった。
そして、ようやく部屋の鍵が配られた。
予想どおり、俺とタケオ、カイト、それからもう一人のクラスメイトが同じ部屋になった。
アイノやミコたち女子は、三階の別の部屋だった。
俺たちは二階へ上がり、部屋の中にスーツケースを運び込んだ。
畳の敷かれた和室で、壁際には棚があり、隅には布団がきちんと畳んで置かれていた。
しかし、部屋を見て回る余裕なんてなかった。
全員、荷物を入口の近くに置いただけだった。
タケオは制服の上着を脱ぐと、そのまま畳の上に倒れ込んだ。
「五分……五分だけ休ませてくれ……」
そう言って、目を閉じた。
「起きろ」
カイトは上着をハンガーにかけながら、タケオの肩を軽く叩いた。
「あと十分で夕食だぞ。遅れたら委員長に文句を言われるし、先生にも怒られる」
「だったら、ここまで夕食を持ってきてくれよ……」
「寝言は寝て言え」
タケオは大きくため息をついたが、しぶしぶ起き上がった。
* * *
一階の食事処では、すでにほかの宿泊客も夕食を楽しんでいた。
俺たちのクラスは、いくつかのグループに分かれて座った。
俺たちのグループは、窓際のテーブルを選んだ。
一日中歩き回ったせいで、みんな腹が減っていた。
京都の料理を食べながら、クラスメイトたちは今日見たものについて楽しそうに話していた。
タケオもすっかり元気を取り戻し、カイトに向かって話し始めた。
「だから、伏見稲荷から戻る途中で、本物のキツネを見たんだって! 鳥居の向こうから、こっちを見てたんだよ!」
カイトは料理を食べながら、顔も上げずに答えた。
「普通の猫を見間違えたんだろ」
「だから、猫じゃないって!」
「疲れて幻でも見たんじゃないか?」
「絶対に違う!」
「はいはい」
「お前、全然信じてないだろ!」
「何かを見たことは信じてる。キツネだったかどうかは別だけどな」
俺は二人の会話を聞きながら、漬物を口に運んだ。
こうして暖かい部屋で、のんびり夕食を食べながら友人たちと過ごすのも悪くない。
ふと、少し離れたテーブルに目を向けた。
そこではアイノとミコが、今日の出来事について楽しそうに話していた。
どうやら、女子たちも一日を満喫できたらしい。
やがて夕食が終わると、俺たちは食事処を出て、廊下の奥にある男湯へ向かった。
* * *
脱衣所で服を脱ぎ、体を洗ってから、俺たちは大きな木の湯船に入った。
「はぁぁ……生き返る……」
タケオは首まで湯につかり、気持ちよさそうに息を吐いた。
「今日一日頑張ったかいがあったな……」
「それは分かる」
カイトも湯船の端に座り、目を閉じた。
「歩き疲れた体には、ちょうどいいな」
俺も木の縁に背中を預けた。
熱い湯に入ると、一日の疲れが少しずつ抜けていく気がした。
湯気が立ち上り、大きな窓の向こうには、静かな中庭が見えていた。
タケオはすっかりくつろいで、小さな声で鼻歌を歌っている。
カイトも目を閉じたまま、のんびりしていた。
しばらくすると、カイトが目を開けて俺のほうを向いた。
「なあ、レン」
「ん?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
タケオも鼻歌をやめ、こちらを見た。
「何だ?」
「お前って、何かトレーニングしてるのか?」
俺は少しだけ首を傾けた。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
カイトは肩をすくめた。
「いや、前から気になってたんだ。お前、部活にも入ってないし、体育の授業でもそんなに頑張ってるようには見えないだろ?」
「それなのに、結構筋肉がついてるよな。普通の高校生より体つきがいいっていうか……」
カイトがそう言うと、タケオも思い出したように声を上げた。
「あっ、確かに! 制服がゆったりしてるから、今まで気づかなかったんだよな!」
タケオは興味津々といった様子で俺を見た。
「レン、お前、夜中にこっそり筋トレしてるのか? それとも、遺伝子がチートなのか?」
俺は湯の中にある自分の手を見た。
まさか、そんなところに気づかれるとは思わなかった。
何と答えるべきか、少し考える。
「いや、別に何もしてないよ。家で力仕事をすることはあるけどな。それが理由かもしれない」
カイトは少しの間、俺の顔を見ていた。
「家での力仕事ね……」
「そうそう。普通の家の仕事だよ」
タケオが首を傾げた。
「それだけで、そんな体になるのか?」
「さあな」
「何だよ、それ! 強くなる方法を教えてくれると思ったのに!」
「そんな方法があるなら、俺も知りたいよ」
「絶対に嘘だろ!」
タケオが不満そうに声を上げると、カイトが小さく笑った。
「まずは、お前がサボらずに運動することだな」
「おい! なんで俺の話になるんだよ!」
二人のやり取りを聞いて、俺も思わず笑った。
カイトはまだ少し気になっている様子だったが、それ以上は何も聞いてこなかった。
タケオもすぐに興味を失い、再び湯船の縁に寄りかかった。
やがて、浴場には静けさが戻った。
窓の外では、中庭が暗闇に包まれていた。
俺は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
明日もまた、観光で忙しい一日になりそうだ。
そしてきっと、タケオはまた何か騒ぎを起こすのだろう。
まあ、それも悪くない。
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