第57話:「不幸を隠す仮面」
放課後、カイトとミコに別れを告げたレンとアイノは、家路についた。
夕方の街は静かだった。二人は少し休んでいこうと、公園に立ち寄ることにした。
大きな木々の陰にある木製のベンチに腰を下ろし、最初は授業のことや今週の予定について、のんびりと話していた。
しかし、ふと会話が途切れた。
アイノはレンの横顔を見つめ、静かに口を開いた。
「レン」
「ん?」
「ちょっと真面目なことを聞いてもいい? 昔のことなんだけど……」
レンは肩を軽く動かし、いつもと変わらない様子で答えた。
「いいよ。別に」
アイノは一瞬ためらってから、尋ねた。
「どうして、昔の生活を全部捨てて、普通の人間として生きようと思ったの?」
レンは動きを止めた。
視線の先では、一枚の枯れ葉が風に吹かれ、ゆっくりと宙を舞っていた。
普段は意識しないようにしている過去が、一瞬だけ脳裏によみがえる。
「……疲れたんだ」
レンは静かに答えた。その声は、いつもより少し低かった。
「力と破壊の繰り返しにね。世界の運命を左右できるほどの力を持っていると、自分がどれだけの戦争や血を生み出しているのかさえ、分からなくなってくるんだ」
レンは視線を落とした。
「俺は、あまりにも多くのものを壊してきた。簡単に『ごめん』と言ったところで、許されるとは思っていない。だから、これからもずっと覚えているつもりだ。最後まで俺についてきてくれた人たちの顔を……そして、彼らのことを、どんな世界に行っても忘れずにいる」
そこで言葉を切り、レンはアイノに目を向けた。
彼女の表情が曇っていることに気づくと、少しだけ声を和らげた。
「アイノは本当に優しいな。でも、俺のことをそんなに気にかけなくていい。俺は自分のしたことに見合った罰を受けているだけだから」
アイノは顔を上げ、眉をひそめた。
「でも、今のレンは昔とは違うでしょ!」
「それがどうした? 過去が消えるわけじゃない」
「だって、今のレンを見てよ!」
アイノは少し身を乗り出して言った。
「もう誰とも戦ってないし、学校にも通ってる。私たちと一緒に過ごして、休み時間にはあの変な紅茶だって飲んでるじゃない。そうやって普通に暮らしていくんじゃ、ダメなの?」
レンは苦笑した。
「普通の生活を送るだけで、昔の罪が帳消しになると思うのか?」
「そんなこと思ってないよ」
アイノはバッグの肩ひもをぎゅっと握った。
「でも、いつまでも自分を責め続けるのだって、違うと思う」
「自分がしたことを忘れるわけにはいかないんだ」
「忘れてほしいなんて言ってないよ」
アイノは少しだけ彼との距離を縮め、目を合わせた。
「ただ……レンが、自分にはもう幸せになる資格もないって思ってるみたいで。それが、ちょっと悲しいんだ」
レンはしばらく黙っていた。
アイノがここまで真剣に自分のことを考えてくれているとは、思っていなかったのだ。
やがて、彼はいつもの笑みを浮かべた。
「へえ。真面目で優等生なアイノの裏には、こんなに好奇心旺盛な一面もあったんだな」
「ちょっと! 私は真剣に話してるんだけど!」
アイノは頬を膨らませ、ぷいっと遊歩道のほうを向いた。
「その気持ちは、ちゃんと嬉しいよ」
「……ほんと、レンって話しにくいんだから」
「そうか? 俺はなかなかいい会話ができてると思うけど」
「レン!」
アイノはじろりと睨んだものの、彼の優しい眼差しに気づくと、思わず吹き出した。
二人は再び黙った。
けれど、先ほどまでのような気まずさはなかった。
時折、通りかかる人々の足音が聞こえ、木々の葉が風に揺れている。
いつもと変わらない、穏やかな時間だった。
数分後、アイノが小さな声で尋ねた。
「ねえ……レンは、今ここで幸せ? 私たちと一緒にいて」
レンは一瞬だけ目を閉じた。
カイトの笑い声、教師たちの小言、教室で過ごす時間、そしてアイノと二人きりで過ごした何気ないひととき。
そんな日常が、次々と思い浮かんだ。
「……ああ」
レンは素直に答えた。
「今は、幸せだと思う」
「そっか。よかった!」
アイノはぱっと笑顔になり、スマートフォンの画面を確認した。
「あ、もうこんな時間! そろそろ帰らないと。遅くなったらお母さんに怒られちゃう」
「そうだな。帰ろう」
二人はベンチから立ち上がり、公園の出口に向かって歩き始めた。
遊歩道を進んでいると、アイノがふと思い出したように口を開いた。
「レン……もし、いつか昔のことを思い出すのがつらくなったら、私に話してもいいからね。ちゃんと聞くから。どんなレンでも」
レンは一瞬、驚いたように足を止めた。
それから彼女に追いつき、答えた。
「分かった。考えておくよ」
「約束?」
「努力はする」
「もう、そこは約束してよ!」
アイノは少し呆れたように笑った。
レンも彼女を見て、かすかに微笑んだ。
過去に対する彼の考えが、今すぐ変わるわけではない。
それでも、自分の話を聞こうとしてくれる人がいる。
そう思うと、少しだけ嬉しかった。
やがて、二人はそれぞれの家の近くまでたどり着いた。
「じゃあ、また明日ね、レン」
「ああ。また明日、アイノ」




