第53話「過去」
授業が終わったあと、レンは少し遠回りをして、古い商店街を歩くことにした。
人通りは少なく、小さな店や看板がどこか懐かしい雰囲気を醸し出していた。
店先を通りかかったとき、レンは重そうな箱を店の中へ運ぼうとしている老人に気づいた。
「手伝いましょうか?」
レンが声をかけると、老人は顔を上げた。
「ああ、いいのかい? 助かるよ」
レンは箱を軽々と持ち上げ、店の中まで運んだ。
「いやあ、ありがとう。最近はこんな簡単なことでも一苦労でね」
老人は笑顔でそう言った。
「無理はしないでくださいね」
レンが答えると、老人は何か言いかけて、ふと口を閉じた。
そして、まるで何かを思い出そうとするかのように、レンの顔をじっと見つめた。
「なあ……君とは、どこかで会ったことがないかい?」
レンは一瞬だけ動きを止めた。
「いえ、たぶん人違いだと思います」
「そうかな……。でも、どうにも見覚えがあるんだよなあ」
老人は眉を寄せ、まだ納得できない様子だった。
レンには、その理由がわかっていた。
彼は、この老人と会ったことがある。
ずっと昔、今とはまったく違う場所でのことだった。
当時の老人はまだ若く、働き始めたばかりだった。元気いっぱいで、何かにつけて質問してくるような、落ち着きのない青年だった。
ある日、彼は大きな問題に直面していた。レンはそんな彼に手を貸し、どうにか困難を乗り越えることができた。
そのとき、青年は心から感謝し、肩の荷が下りたような顔で笑っていた。
そして今、目の前にいるのは、あの青年だった。
髪は白くなり、顔には深い皺が刻まれ、動作も昔よりずっとゆっくりになっている。
「そういえば、わしは佐藤というんだ。この辺りでずっと暮らしていてね。もしかしたら、ずいぶん昔に会ったことがあるのかもしれないな」
「そうかもしれませんね。いろいろな場所に行ったことがありますから」
レンは穏やかに答えた。
「なるほどなあ……。しかし、不思議だ。君の顔を見ていると、どうしても昔のことを思い出しそうになるんだよ。ちらっと見かけただけ、という感じじゃないんだ」
「記憶力がいいんですね」
レンが微笑むと、老人は声を上げて笑った。
「ははは! それならいいんだがね。最近じゃ、物をどこに置いたかさえ忘れてしまうんだ。それなのに、君の顔だけはどうしても頭から離れなくてね」
老人は困ったように首を振った。どうやら、これ以上考えても思い出せそうにないと諦めたらしい。
「まあ、いいか。引き止めて悪かったね。手伝ってくれてありがとう」
「いえ。では、お元気で、佐藤さん」
挨拶を交わし、レンは店を出て、再び商店街を歩き始めた。
(そういうことか……。昔、会ったことのある人と再会しても、その事実を隠さなければならない。地上で生きてきた長い年月の中で、僕は何度もこういう経験をしてきた。そして、そのたびに知らない人間のふりをしてきた……)
レンは足を止め、店のほうを振り返った。
佐藤は、あの頃の青年とは見違えるほど変わっていた。
それでも、笑顔の奥には昔と変わらない何かが残っていた。
佐藤にとって、あの日の出会いは、いつか遠い青春時代の曖昧な記憶になるのだろう。
けれど、レンにとっては、つい昨日のことのようにはっきりと思い出せる出来事だった。
レンは静かに息を吐き、再び歩き出した。
こうした再会は、もう珍しいことではない。
それでも、レンは最後まで、それに慣れることができなかった。




