第51話:「長く続いてほしかった一日」
土曜日の朝は、気持ちのいい晴天だった。
レンが駅に着いたのは、待ち合わせの時間より数分早かった。改札口の近くでは、カイトが時折発車案内を確認しながら、ほかのメンバーを待っていた。
「早いな」とカイトが声をかける。
「みんなを待たせたくなかったからな」
「じゃあ、今のところ早く来たのは二人か」
「三人目は?」
「まだいない。でも、きっと来るさ」
レンは小さく笑った。
ほどなくしてタケオもやってきた。挨拶を交わすと、彼は持っていたバッグをベンチに置き、周囲を見回した。
「女子二人はまだか?」
「ミコから、もうすぐ着くって連絡があったよ」とカイトが答える。
タケオはスマートフォンを取り出し、メッセージを確認した。
「……ただ、最後のメッセージを見る限り、ミコは途中で店を見つけたらしい」
「今日の待ち合わせ場所、駅だってわかってるんだよな?」とレンが尋ねる。
「わかってる。だから心配してるんだ」
数分後、アイノとミコが姿を現した。
「遅刻してないからね!」
ミコは、誰かに文句を言われる前に釘を刺すように宣言した。
「誰も何も言ってないだろ」とタケオ。
「でも、言いたそうな顔してた!」
「普通に立ってただけだ」
「その顔が、これから説教しますって感じだったの!」
アイノは思わず笑い、レンのほうを向いた。
「おはよう、レン」
「おはよう。よく眠れたか?」
「うん。レンは?」
「俺もよく眠れたよ」
カイトは時計を確認した。
「電車は五分後だ。みんな準備できてるなら、そろそろ行こう」
今度は誰も寄り道を提案しなかった。
* * *
電車では、五人並んで近くの席に座ることができた。
ミコが窓際に座り、その隣にアイノが腰を下ろす。向かい側にはレンが座り、カイトとタケオも隣の席を確保した。
やがて、電車がゆっくりと動き始めた。
窓の外を流れていく見慣れた街並みは、少しずつ小さな家や木々、広々とした景色へと変わっていく。
「カメラを持ってくればよかったなあ」
窓の外を眺めながら、ミコが呟いた。
「スマホにもカメラはついてるだろ」とタケオが指摘する。
「そういうことじゃないの!」
「じゃあ、どういうことだよ?」
「旅行のためにカメラを持ってくるっていうのが大事なの!」
タケオはしばらく考え込んだ。
「……お前の考えを理解しようとするのは、時々諦めたほうがよさそうだな」
「そのほうがいいよ。考えすぎると頭が疲れちゃうから!」
カイトが小さく笑い、レンも笑みを隠すように窓の外へ視線を向けた。
その様子に気づいたアイノが尋ねる。
「どうしたの?」
「いや、二人は本当に仲がいいなと思って」
「タケオとミコのこと?」
「ああ」
アイノは言い合いを続ける二人を見て、微笑んだ。
「いつもあんな感じだけど、どちらかが本当に困ったときは、きっともう一人が真っ先に助けに来ると思うよ」
「そうかもしれないな」
少し考えてから、アイノは再びレンに視線を向けた。
「レンは?」
「俺?」
「もし私たちの誰かが困っていたら、レンも助けてくれる?」
レンは、なぜそんなことを聞くのだろうという顔をした。
「もちろん。そんなこと、聞くまでもないだろ?」
アイノは一瞬、言葉を失った。
「……そうだね」
彼女は微笑みを隠すように窓の外を向いた。
その後、話題は今日の予定へと移った。
カイトがスマートフォンでルートを見せ、タケオが昼食をカフェで取ることを提案する。一方、ミコは何よりも先に公園へ行くべきだと主張した。
「せっかく来たんだから、まずは公園でしょ!」
「公園だけじゃないよ。散策してから昼食にして、そのあと街の中心部を見て回るのはどうかな。帰りの電車まで時間があれば、少し予定を延ばしてもいいし」
カイトがそう提案すると、アイノが頷いた。
「いいと思う」
「俺も賛成だ」とレン。
タケオも同意する。
「行き先を決めるだけで一日が終わらなければ、それでいいよ」
「それ、私のことを言ってる?」
ミコがじっと彼を見る。
「誰のこととも言ってないだろ」
「じゃあ、私のことだね!」
「自分で認めたな」
そんなやり取りをしているうちに、電車は目的の駅へと到着した。
* * *
小さな街は、静かな通りと爽やかな朝の空気で五人を迎えてくれた。
駅から公園までは、思っていたほど遠くなかった。道沿いには小さなカフェやパン屋、雑貨店が並び、すでに営業を始めている店もあった。
ミコは何度か店先に目を留めたものの、今回は足を止めずに歩き続けた。
「今日は妙におとなしいな」とタケオが言う。
「最初に公園へ行くって決めたでしょ」
「まさか、そんな日が来るとはな」
「まだ何か言うなら、予定を変更しちゃおうかな?」
「……いつものミコに戻ってきたな」
カイトは少し先を歩き、交差点に差しかかるたびに地図を確認していた。ほかの四人も、無理なくその後についていく。
やがて公園に到着すると、ミコは思わず足を止めた。
「わあ、きれい!」
広々とした遊歩道の両側には大きな木々が並び、手入れの行き届いた花壇が彩りを添えていた。少し離れた場所には池があり、水面には朝日がきらきらと反射している。
普段なら何かしら口にするタケオも、しばらく黙って景色を眺めていた。
「……なるほど。ここまで来た甲斐はあったな」
「ほら、やっぱりいい場所だったでしょ!」
ミコがすぐさま振り返る。
「はいはい」
「今、私に賛成したよね?」
「公園がきれいだって認めただけだ」
「ほとんど同じじゃない!」
「全然違うだろ」
そんな二人をよそに、カイトがスマートフォンを取り出した。
「先にみんなで写真を撮らない? そのあと、ゆっくり回ろう」
「いいね!」
ミコはすぐに賛成し、池を背景に五人を並ばせ始めた。
タケオがカイトの隣に立ち、アイノが反対側に並ぶ。そしてレンも、自然とアイノの隣に立った。
「ちょっと待って」
ミコは画面を確認してから、レンに声をかけた。
「レン、もう少しアイノに近づいて。二人の間、ちょっと離れすぎ!」
レンは言われたとおり、一歩だけ近づいた。
アイノも少しだけ位置を調整したが、レンの顔を見ることはできなかった。
「うん、これでよし!」
カイトが何枚か写真を撮り、みんなに画面を見せた。
一枚目はタケオが横を向いていて、二枚目はミコが目を閉じていた。しかし三枚目には、五人全員がきちんと収まっていた。
「これがいい!」
ミコは嬉しそうに写真を見せた。
「絶対に保存するからね!」
「俺にも送ってくれ。変な顔で写ってないか確認したい」とタケオ。
「三枚とも変な顔だったらどうする?」
「ミコ」
「冗談だって! ちゃんと全部送るよ」
アイノも写真を送ってほしいと頼み、レンはグループチャットを開いた。すでにカイトが写真を送信している。
レンは最後の一枚を開いた。
五人が並んで写っている。ミコは満面の笑みを浮かべ、タケオは真面目な顔を保とうとしていた。カイトはいつもどおり落ち着いた表情で、アイノは少しだけレンのほうを向いて笑っている。
そして、レン自身も笑っていた。
思っていたより長く写真を眺めてから、彼はその一枚を保存した。
「気に入った?」とアイノが画面を覗き込む。
「ああ。いい写真だと思う」
「レンって、あまり写真を撮らないよね」
「そうかもな。今までは、こうして写真を撮る機会があまりなかったから」
アイノはもう一度、画面に目を落とした。
「じゃあ、今日は撮る理由ができてよかったね」
「そうだな」
彼女は嬉しそうに微笑み、スマートフォンをしまった。
* * *
池の周りを一周したあと、五人は木々の間を通る小道へと進んだ。
ミコとタケオは先頭を歩きながら、まだ昼食には早いというのに、どのカフェへ行くかを相談している。
カイトは脇道の先を確認するため、園内の案内板の前で少し足を止めた。
その間に、レンとアイノは自然とほかの三人から少し離れた。
「公園、気に入った?」とアイノが尋ねる。
「ああ」
「静かでいいよね。私、こういう場所が好きなんだ」
アイノは周囲を見渡してから、少しだけ声を落とした。
「今日、来られてよかった。最近は毎日があっという間に過ぎちゃうから。授業に宿題に、ほかにもいろいろあって……気づいたら一週間が終わってるの」
「わかる気がする」
「でも、今日は何も急がなくていいんだよね」
レンは前を歩く二人に目を向けた。ミコがデザートのあるカフェを勧め、タケオが何か言い返している。
「休日って、本当はそういうものなのかもしれないな」
「レンって、何でも前から考えていたみたいに話すよね」
「それは悪いことか?」
「ううん」
アイノは微笑んだ。
「ただ、レンが本当は何を考えているのか、時々気になるだけ」
レンは少し考え込んだ。
「今か? そうだな……こうして一日を過ごすのは久しぶりだな、って思ってた。特別な用事もなく、ただ一緒にいて楽しいと思える人たちと過ごす一日っていうのは」
アイノの歩みが、ほんの少しだけ遅くなった。
「……私たちと?」
「もちろん」
レンは何のためらいもなく答えた。
アイノは一瞬、返事に困ってしまった。
「そ、そうなんだ……」
「どうかしたのか?」
「ううん! 何でもないよ」
「そうか。それならよかった」
レンは再び前を向き、みんなに追いつこうと歩き出した。
アイノが数秒遅れてそのあとを追ったことには、まったく気づいていなかった。
(どうして、そんなことを平気な顔で言えるんだろう……)
レンが自分をからかっているわけではないことは、アイノにもわかっていた。
だからこそ、余計に困ってしまう。
彼はわざと格好いい言葉を選んだり、誰かに気に入られようと自分を飾ったりしない。楽しいと思えばそう言うし、誰かと一緒にいたいと思えば、それをそのまま口にする。
きっと、今の言葉にも特別な意味を持たせたつもりはないのだろう。
それでもアイノは、レンが自分の言葉の持つ意味に、いつか気づく日が来るのだろうかと考えてしまうのだった。
どうやら、今はまだ先の話らしい。
* * *
昼頃、五人は公園からほど近いカフェに入った。
店内はそれほど混雑しておらず、窓際のテーブルにすぐ座ることができた。
ミコはメニューを開き、デザートのページを何度も見比べていた。一方、タケオはすでに食べたいものを決めていた。
「そんなに悩んでたら、注文する前に年を取っちゃうぞ」とタケオが言う。
「大事なことは、じっくり考えないといけないの!」
「二種類のケーキで悩んでるだけだろ」
「そう! だからこそ大事なの!」
カイトはメニューを閉じて、穏やかに言った。
「僕は待てるよ。急いでないから」
「ほら、カイトを見習いなさい!」
ミコがタケオを指さす。
「カイトはただ礼儀正しいだけだろ」
「じゃあ、タケオは礼儀正しくないってこと?」
「俺だって礼儀正しいよ。ただ正直なだけだ」
ようやく注文を終えると、話題は学校での出来事へと移った。
タケオは提出し忘れそうになった課題の話をし、ミコは最近買ったものについて話した。そしてカイトが、以前、古い時刻表を信じて目的地を間違えたことがあると明かした。
「えっ、カイトでもそんなことがあるの?」とアイノが驚く。
「あるよ。古い情報をそのまま信じて、もう一度確認するのを忘れたんだ」
「それで、どうしたの?」
「正しいルートを調べ直して、目的地まで行ったよ。予定より時間はかかったけどね」
「どうして今まで話してくれなかったんだ?」とタケオが尋ねた。
カイトは軽く肩をすくめた。
「わざわざ話すほどのことでもないと思ってたから」
「カイトだって間違えることがあるんだね」とミコ。
「僕は自分が絶対に間違えないなんて、一度も言ってないよ」
「でも、いつも何でも知ってるみたいに見えるんだもん!」
「普段から事前に確認しているだけだよ」
ミコは納得したような、していないような顔で首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
やがて話題は、次の週末に何をするかという話に変わった。
タケオが映画を見に行くことを提案し、アイノも賛成した。するとミコは、見たい映画の名前を次々と挙げ始めた。
「まずは、みんなの予定が合う日を決めよう。それから映画を選べばいいと思う」とカイトが提案する。
「それがいいな」とレンも同意した。
「だから、カイトと予定を立てるのは楽なんだよね」とアイノが言った。「みんなの都合を先に確認してくれるから」
「そうしないと、あとになって別の予定がある人が出てくるからね」
「そして、もう半分は『別の日にすればいいじゃん』って言い出すんだ」とタケオが付け加えた。
「私、そんなこと言ってないよ!」
ミコがすぐに反論する。
「言ってただろ。予定なんて別の日に移せばいいって」
「だって、移せるならいいじゃない!」
「移せない予定もあるんだよ」
「わかった。じゃあ、次はタケオが予定を管理してよ」
「なんで俺なんだよ?」
「いつも細かく確認してるから!」
タケオは助けを求めるようにカイトを見たが、カイトは穏やかに笑っただけだった。
「それも悪くないと思うよ」
「裏切り者……」
タケオがぼそりと呟き、みんなが笑った。もちろん、本人も最後には笑っていた。
料理が運ばれてくると、会話はしばらく途切れた。
窓の外では人々が行き交い、遠くから自転車のベルが聞こえてくる。テーブルには午後の日差しが差し込んでいた。
レンは、向かいに座る友人たちを眺めた。
ミコは騒がしいところもあるが、小さなことでも心から楽しめる。タケオはよく彼女と言い合いになるものの、結局はミコの希望をきちんと考えている。カイトは自分だけで物事を決めるのではなく、みんなが納得できるように話をまとめてくれる。
そして、アイノは――。
レンは彼女へ視線を移した。
アイノはミコの話を聞きながら、時折相槌を打って微笑んでいた。
彼女がふと顔を上げ、レンと目が合った。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと考え事をしてた」
「何を?」
「ここに来られてよかったな、って」
アイノは優しく微笑んだ。
「私もそう思うよ」
* * *
昼食を終えると、一行は公園へ向かう途中でミコが見つけた店を見て回ることにした。
最初に入ったのは、小さな洋菓子店だった。
ミコはショーケースへまっすぐ向かい、タケオも文句を言いながらそのあとについていった。
「どの店にも入るつもりはないって言ってなかった?」とアイノが尋ねる。
「全部に入るつもりはないよ。ここだけ」
「どうして、ここだけなの?」
タケオはショーケースを指さした。
「電車の中でミコが話してたケーキがあるんだよ」
アイノは驚いてタケオを見た。
「覚えてたの?」
「あいつ、五回くらい同じ話をしてたからな。忘れるほうが難しいよ」
そのとき、店の奥からミコの声が聞こえた。
「タケオ、早く来て! 決められないんだけど!」
「ほらな。まったく……ちょっと待ってろ」
そう言って、タケオは店内へ入っていった。
残されたアイノは、レンのほうを向いた。
「二人って、やっぱり仲がいいよね」
「ああ。タケオは、ミコが一人で悩まなくて済むように付き合ってるんだと思う」
「レンもそう思う?」
「もちろん。文句を言いながらでも、結局は一緒に行動してるだろ?」
アイノは微笑みながらレンを見つめた。
「レンって、そういうところによく気づくよね」
「そういうところ?」
「誰かが何も言わなくても、相手のためにしていることとか」
レンは少し考えた。
「そうかな。言葉よりも、実際に何をするかのほうがわかりやすいと思うけど」
アイノは何も答えなかったが、その言葉を心の中に留めておいた。
ほどなくして、ミコとタケオが店から出てきた。ミコは小さな袋を持ち、タケオはケーキの箱を抱えていた。
「みんなの分も買ってきたよ。よかったら一緒に食べよう!」
「もちろん」とレンが答える。
「じゃあ、どこか座れる場所を探さないとね!」
「さっき昼ご飯を食べたばかりだろ」とタケオ。
「甘いものは別腹なの!」
「……はいはい」
その後も五人は街の中心部を散策し、いくつかの店に立ち寄った。小物を買ったり、広場のベンチで少し休んだりしているうちに、時間はゆっくりと過ぎていった。
カイトが時計を確認した。
「そろそろ駅に戻ろうか。まだ余裕はあるけど、最後に慌てたくないからね」
「そうだね」とアイノが頷く。
ミコは何か言いたそうにしたものの、手に持ったお菓子の袋を見て、今日のところは満足したらしい。
「わかった。でも、次に来るときはもっと早い時間に出発したいな」
「じゃあ、次は先にルートを決めておこう」とカイト。
「それから、お店を見る時間もちゃんと確保してくれよ」とタケオが付け加えた。
「そうそう! やっとわかってきたね!」
「調子に乗るなよ」
* * *
駅へ戻る道のりは、朝よりもずっと静かだった。
ミコはすっかり疲れたのか、タケオと言い合うこともほとんどなくなっていた。代わりにアイノへ写真を見せながら、どれをグループチャットに送るか相談している。
カイトも二人の会話に加わり、ときどき意見を述べていた。
少し後ろを歩いていたレンは、すっかり見慣れたように感じられる街並みを眺めていた。
「疲れたか?」と、隣に並んだタケオが尋ねた。
「いや。タケオは?」
「少しな。でも、いい一日だったよ」
レンは頷いた。
「ああ」
タケオは前を歩く三人へ視線を向けた。
「また来たいな。次はもう少し近い場所でもいいけど。移動に時間を取られすぎるのも、もったいないし」
「みんな賛成すると思うよ」
「特にミコはな。近くに店があれば、どこだって喜ぶだろ」
「聞こえてるよ!」
前方からミコの声が飛んできた。
タケオは平然と片手を上げた。
「聞こえるように言ったんだよ」
ミコは振り返って舌を出し、再びスマートフォンに目を落とした。
駅に到着したとき、電車の発車時刻まではまだ余裕があった。カイトがホームを確認し、五人は慌てることなく電車に乗り込んだ。
* * *
帰りの電車では、ミコはとうとう眠ってしまい、アイノの肩に寄りかかっていた。
向かい側ではタケオがスマートフォンを見ながら、ときどき窓の外へ目を向けている。カイトもグループチャットのメッセージを確認していた。
レンはアイノの隣に座っていた。
しばらくの間、二人は車輪の規則正しい音を聞きながら、何も話さなかった。
やがてアイノが、ミコを起こさないように小さな声で尋ねた。
「今日、来てよかった?」
「もちろん」
「移動も長かったのに?」
「移動も含めて、今日の旅行だろ」
アイノはくすりと笑った。
「レンって、何でもいい方向に考えられるの?」
「何でもってわけじゃないよ。ただ、今日は特別に何かを探す必要がなかっただけだ」
アイノは不思議そうに彼を見た。
「どういう意味?」
レンは友人たちに目を向けてから、再びアイノを見た。
「みんなと一緒に過ごせて楽しかった。それだけで十分だったんだ」
「……レンって、時々、本当に突然そういうことを言うよね」
「そうか?」
「うん」
「悪かった。困らせるつもりはなかったんだ」
「謝らなくていいよ」
アイノは窓の外へ顔を向け、何と答えればいいのか考えた。
レンはそれ以上尋ねなかった。長い一日で彼女も疲れているのだろうと思い、自分も流れていく景色を眺めた。
しばらくして、アイノが再び口を開いた。
「またみんなで出かけることがあったら、レンも来る?」
「もちろん。誘ってくれるなら」
「じゃあ、覚えておくね」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
レンは頷いた。
その何気ない返事がアイノにとってどれほど嬉しいものだったのか、彼はまだ知らなかった。
* * *
電車が見慣れた駅に到着した頃には、太陽も傾き始めていた。
五人はホームを降り、駅の出口へ向かった。ミコが疲れた様子で伸びをすると、タケオが一日の大半を自分で行き先を選んで過ごしていたことを指摘した。
「それでも、入った店に後悔はしてないよ!」
ミコは胸を張って答えた。
「だろうな」
「次はもっと早く来ようよ。そうしたら、もっといろんなところを見られるし!」
「その前に、店を片っ端から回ろうとするのをやめたらどうだ?」
「それは無理!」
カイトは二人を見て笑い、先に別れの挨拶をした。タケオも少し歩いたところで自分の帰り道へと曲がり、やがてレン、アイノ、ミコの三人だけになった。
しばらく進むと、道が分かれる場所に差しかかった。
「じゃあ、私はこっちだから」
ミコは肩にかけたバッグを直した。
「今日はありがとう! 楽しかったね!」
「家に着いたら連絡してね」とアイノが言った。
「うん。アイノもね!」
ミコは二人に手を振り、自分の家へ続く道を一人で歩いていった。
レンとアイノは、そのまま二人で歩き続けた。
一日中たくさん話していたせいか、二人の間には自然と静かな時間が流れていた。それでも気まずさはなく、むしろ心地よかった。
「疲れた?」とアイノが尋ねる。
「少し。でも、楽しかったよ」
「私も。特に公園がよかったな」
「俺は、みんなと一緒に歩いている時間が好きだった」
アイノは微笑んだ。
「それ、さっきも言ってたよ」
「そうだったか?」
「公園でね」
「……それだけ楽しかったってことだな」
アイノはレンを見つめた。
(またそんなことを、何でもないみたいに……)
「じゃあ、次も一緒に行こうね」
「もちろん。誘ってくれるなら」
「うん。覚えておく」
やがて二人は、それぞれの家の前にたどり着いた。
二人の家は通りを挟んで真正面に建っている。そのため、一緒に歩いてきた道のりも、いつの間にか終わりを迎えていた。
街灯が少しずつ明かりを灯し始め、家々の窓には暖かな光が浮かんでいる。
アイノは自宅の門の前で立ち止まり、レンに向き直った。
「それじゃあ、また明日ね」
「ああ。また明日」
彼女は家に入ろうとしたが、ふと思い出したように振り返った。
「レン」
「ん?」
「今日はありがとう」
レンは少し意外そうな顔をしたあと、微笑んだ。
「お礼なんていらないよ。俺だって行きたかったんだから」
「それでも……レンと一緒に過ごせて、嬉しかったから」
そう言い終えると、アイノは慌てて顔をそらし、レンが返事をする前に門の向こうへと姿を消してしまった。
レンはしばらく、その後ろ姿を見送っていた。
(……今日は少し変なアイノだったな)
そう思いながらも、彼は深く考えず、自分の家へと戻っていった。
* * *
夜、自室で着替えを済ませてくつろいでいると、グループチャットに新しいメッセージが届いた。
ミコが何枚かの写真を送信し、次の旅行も必ず企画すると宣言している。タケオは、その前にルートを相談しようと返し、カイトは全員の都合が合う日を決めることを提案していた。
メッセージを読んだレンは、自然と笑みを浮かべた。
それから、池の前で撮った集合写真を開いた。
五人が並んだ一枚。それぞれの表情は違っていたが、みんな楽しそうに笑っている。
レンはもう一度その写真を眺め、専用のフォルダに保存した。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
今日、特別な出来事があったわけではない。
ただ友人たちと一日を過ごし、知らない街を歩き、夕方にはいつもの家へ帰ってきただけだ。
それなのに、レンはこの日を、ありふれた一日として片づけたくなかった。
きっと、自分にもこんな時間を分かち合いたいと思える人たちができたからだろう。
そしてもう一つ。
アイノの家の前で別れたとき、彼はすでに、次はいつ一緒に出かけられるだろうと考えていた。
レンはスマートフォンを置き、窓の外へ目を向けた。
通りの向こうにあるアイノの家には、まだ明かりが灯っていた。
彼女が今、何を考えているのかはわからない。
それでもレンは、そっと微笑んだ。
今日という一日を、忘れずにいたいと思った。




