第33話「普通の掃除」
朝は、クラス委員の連絡から始まった。
今日は最後の授業の代わりに、クラスのみんなで掃除をすることになった。
俺とアイノとタケオは、校舎の裏にある古い倉庫を担当することになった。
そこには、たくさんのホコリや古い家具、使われなくなった物が溜まっていた。
「よし、やるか!」
タケオが元気よくほうきとバケツを手に取る。
俺は頷き、棚のほうへ向かった。
昔、家では母さんと一緒に掃除をしていた。
でも、その頃から俺は掃除があまり得意じゃなかった。
一人でやるとなると、何から始めればいいのかも分からない。
俺は雑巾を手に取り、バケツの水に浸した。
そして、そのまま木製の棚へ向かった。
雑巾は、最初に絞るものだということを俺は知らなかった。
濡らしたばかりなのに、どうしてまた水を抜くんだ?
俺には、いまいち意味が分からなかった。
俺は濡れて重くなった雑巾を棚の上に押しつけ、そのまま横へ動かした。
すると、雑巾から水が流れ落ち、床と俺のスニーカーを濡らした。
「わっ!」
アイノが慌てて後ろへ下がる。
「レン、何してるの?」
俺はホコリを拭き取ろうとした。
しかし、消えるどころか、ただ汚れを広げただけだった。
棚は黒っぽい汚れに覆われ、俺が来る前よりもひどい状態になってしまった。
「……棚は、あとにするか」
俺はそう呟き、まだ水が滴っている雑巾を置いて、ほうきを手に取った。
床には、乾いたゴミやホコリがたくさん落ちていた。
俺はそれを一か所に集めようとして、ほうきを下から上へ勢いよく振った。
しかし――
ゴミを集めるどころか、乾いたホコリを目の前に舞い上げてしまった。
灰色のホコリが一気に空中へ広がる。
「ゴホッ、ゴホッ! レン、待て! 何してるんだよ!」
タケオが咳き込みながら顔を手で覆う。
俺はほうきを持ったまま動きを止めた。
周りには灰色のホコリが舞っている。
アイノが疲れたようにため息をつき、眉間を指で押さえた。
「レン……」
小さな声で、アイノが言う。
「正直に言って。レンって、今まで一人で掃除したことないでしょ?」
「家では母さんと一緒に掃除してた。でも、それでもあまり上手くできなかった……」
俺が正直に答えると、タケオはようやく咳を止め、手を振ってホコリを追い払った。
「なるほど。ほら、ほうき貸せ。これ以上、俺たちがホコリまみれになる前に」
タケオが俺のところまで来て、ほうきを受け取った。
「よく見てろよ」
そう言って、タケオはほうきを床にしっかりつける。
「ほうきは自分のほうへ、ゆっくり動かすんだ。外に向かって振るんじゃない。こうだ」
タケオがゆっくりほうきを動かす。
すると、ホコリは舞い上がらず、きれいに一か所へ集まっていった。
その間に、アイノが俺の濡れた雑巾を拾った。
「こっちはもっと簡単だよ」
アイノは雑巾を両手で絞り、水をバケツの中へ戻す。
「雑巾は濡れてればいいの。びしょびしょだと、木を傷めちゃうから」
そう言って、半乾きになった雑巾を俺に渡した。
「はい。やってみて」
俺は雑巾を受け取り、次の棚へ向かった。
そして、アイノがやったように、ゆっくりと表面を拭いていく。
今度はホコリが簡単に消え、きれいな木の表面が現れた。
「おお、ちゃんとできてるじゃん!」
隣で床を掃いていたタケオが笑う。
「でも怒るなよ? レンって家じゃ何もやらせてもらえないのか?」
俺は雑巾を持ったまま、一瞬だけ動きを止めた。
「たぶん、こういうことは向いてないんだと思う」
少し気まずそうに答える。
「そういうこともあるよな」
タケオはため息をつきながら、ゴミをちり取りに集める。
「俺なんか毎週土曜日、母さんに家中掃除させられてるぞ。ちょっとでもホコリが残ってたら、すぐ怒られるんだからな」
アイノは笑いながら、汚れた水を倉庫の隅にある流しへ捨てた。
「そんなに文句言わないの。これでレンに掃除を教える先生になれるじゃん」
「それ、いいな!」
タケオが得意げに胸を張る。
「レン、クッキー一箱でいいぞ。一週間で掃除の達人にしてやる!」
「高すぎる」
俺が答える。
「おい! 俺、結構いい先生だぞ!」
アイノが笑った。
俺は何も言わず、また棚を拭き始めた。
最初はホコリだらけだった倉庫も、少しずつ明るく、きれいになっていった。
やがて、最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「よし、終わったな」
タケオがほうきに寄りかかる。
俺は倉庫を見回した。
もう、きれいになっている。
「悪くないな」
「全部、俺の教え方が良かったおかげだな!」
タケオが得意げに言う。
「私の教え方もね」
アイノが付け加える。
俺は二人を見る。
「じゃあ、俺には先生が二人いたってことか」
「そういうこと!」
タケオが満足そうに答えた。
俺たちは道具を元の場所に戻し、倉庫を出た。
外はもう少しずつ暗くなっていた。
暖かい風が、心地よく顔に当たる。
「じゃあ、俺はバスだから」
交差点で、タケオが手を振る。
「レン、家でもちゃんと雑巾の練習しろよ! じゃあ、また明日!」
「また明日」
俺はそう答えた。
俺とアイノは、そのまま静かな道を歩いていく。
自分の家へ向かう道に入るところで、俺は足を止めた。
「ありがとう」
俺は小さな声で言った。
「掃除のやり方、教えてくれて」
アイノも足を止め、髪を耳にかけながら優しく笑った。
「気にしないで。またホコリの嵐を起こしたくなったら、いつでも呼んで」
そう言って、アイノは手を振り、駅のほうへ歩いていった。
俺は自分の家へ向き直った。
今日一日の疲れが、心地よく肩に残っていた。
玄関のドアを開け、家の中へ入る。
中には、いつもの静けさがあった。
靴を脱ぎ、部屋へ入ると、学校のカバンを椅子に置いた。
タケオに「家でも雑巾の練習をしろ」と言われたことが、まだ頭に残っている。
俺は机を見る。
ここ数日の間に、薄くホコリが積もっていた。
……そうだな。
普通の人間になるって決めたんだ。だったら、雑巾くらいちゃんと使えるようにならないとな。
俺は洗面所へ向かい、きれいな雑巾を見つけた。
そして、小さなバケツにぬるま湯を入れる。
今度はすぐに雑巾を両手で絞った。
アイノがやっていたのと同じように。
水がバケツの中へ落ちていく。
雑巾はちょうどいい湿り具合になった。
俺は部屋へ戻り、机の前に立つ。
そして、木の表面をゆっくりと拭いた。
ホコリは簡単に消えて、きれいな表面が現れた。
……できた。
最初の成功に少し気をよくして、今度は棚の上も拭いてみることにした。
俺は手を伸ばした。
そのとき、棚の端に置いてあった小さな小物入れに手が当たった。
ガタン!
小物入れが落ち、中に入っていた小銭が床に散らばった。
何枚かはベッドの下へ転がっていく。
俺は深いため息をつき、床に膝をついた。
数分かけて、部屋のあちこちに転がった小銭を拾うことになった。
ようやく全部拾い終えると、今度はタケオに教えてもらったことを試してみることにした。
俺は家のほうきとちり取りを取り出した。
ほうきはゆっくり、自分のほうへ動かす。
それを思い出しながら、床の細かいゴミを一か所へ集めていく。
今度はホコリの嵐は起こらなかった。
ゴミは素直に部屋の中央へ集まっていく。
しかし、それをちり取りに入れようとしたところで、新しい問題が起きた。
ほうきを動かすたびに、ゴミの一部がちり取りを飛び越えてしまう。
細かいホコリは、ちり取りの端に沿うように床へ残っていた。
俺は何度かちり取りの位置を変えてみた。
それでも、その細いホコリの線はなかなか消えてくれない。
結局、残ったものは手で集めることになった。
俺は立ち上がり、ゴミをゴミ箱へ捨てた。
そして、部屋を見回す。
机にはホコリ一つない。
床もきれいになっている。
物もすべて元の場所に戻っていた。
確かに、途中で何度か失敗した。
小銭も床にばらまいた。
それでも――
部屋はきれいになった。
そして、これは俺一人でやったことだ。
俺はベッドに座り、自分の手のひらを見つめた。
こんな簡単な日常のことでも、何も知らないところから覚えていく。
それはそれで、なかなか面白いことなのかもしれない。




