第32話「完璧なカモフラージュと安いクッキー」
放課後、俺たち三人――俺とアイノとタケオは、料理部の部室にやって来た。
タケオは息を切らしながら、まるで俺だけが最後の希望だと言わんばかりの顔で俺を見ている。
「それで、レン。作ってくれるんだよな?」
タケオは両手を胸の前で合わせた。
「昨日、先生が言ってたやつ! あの『傑作』!」
俺は何も言わず、食材の入った棚へ向かった。
昨日のココアの一件は、俺が思っていた以上に大きな騒ぎになってしまった。
百円のココアが予想以上に美味しくなってしまったせいで、先生には色々と聞かれることになった。
このままではまずい。
俺は、どうしても証明しなければならなかった。
自分がどこにでもいる普通の高校生だということを。
だから、今回は完璧な作戦を考えていた。
今回は、とにかく普通のクッキーを作る。
誰が作っても、それなりにできるような、何の特徴もないクッキーを。
それをタケオに食べさせる。
「普通だな」と言わせる。
そして先生に伝えてもらう。
そうすれば、ようやく俺の料理に変な期待をする人もいなくなるはずだ。
俺は棚を開けた。
良い材料には目もくれない。
代わりに、一番安い小麦粉を取り出した。
さらに普通の砂糖と、バターではなくマーガリン。
これでいい。
むしろ、これがいい。
近くの椅子に座っていたアイノが、黙って俺の手元を見ている。
少し不思議そうな顔をしていたが、何も言わなかった。
「よし。始めるか」
俺はボウルを取り出した。
今回は計量器も使わない。
計量カップも使わない。
そんなことをしたら、あまりにも丁寧すぎる。
俺は小麦粉を適当に入れ、マーガリンをそのまま加え、砂糖も何となくの量を入れた。
そして、混ぜ始める。
わざと丁寧には混ぜなかった。
少しくらいダマが残っていても気にしない。
むしろ、そのほうがいい。
生地ができると、今度はクッキーの形を作る。
適当に生地をちぎって、そのまま天板に並べていく。
大きさも形もバラバラ。
丸いものもあれば、少し歪んでいるものもある。
俺は完成したクッキーを見た。
完璧だ。
形は悪い。見た目も地味。どこにでもありそうなクッキーだ。
これなら普通に見える。
俺は満足しながら天板をオーブンに入れた。
あとは待つだけだ。
二十分ほど経つと、部室に甘い香りが広がり始めた。
俺はオーブンを止め、天板を取り出す。
焼き上がったクッキーは、見た目だけなら本当に普通だった。
形は少し歪んでいる。
大きさも揃っていない。
飾りも何もない。
俺の作戦は成功した。
……見た目だけなら。
俺は一枚を取って、タケオに差し出した。
「できたぞ。食べてみろ」
俺は、せいぜい無難な感想が返ってくると思っていた。
「普通だな」とか。
「まあ、こんなもんか」とか。
その程度で十分だった。
タケオはクッキーを受け取る。
「おお……」
少し息を吹きかけてから、勢いよくかじった。
パキッ。
小さな音が部室に響いた。
その瞬間、タケオが固まった。
「……」
俺はタケオを見る。
しばらく何も言わない。
まさか……まずすぎて言葉が出ないのか?
そんな期待をした。
しかし。
タケオの顔が、徐々に変わっていく。
「レン……」
「何だ?」
「これ……」
タケオはもう一度クッキーを見た。
そして、大きく目を見開いた。
「めちゃくちゃ美味い!」
「……は?」
「何これ!?」
タケオはもう一口かじる。
「外はサクサクなのに、中はちゃんと柔らかい!」
「……」
「しかも甘さもちょうどいい!」
タケオは興奮したように俺を見る。
「レン、お前やっぱりすごいな!」
俺は無言で自分の手を見る。
どういうことだ?
俺はわざと適当に作ったんだぞ?
材料だって一番安いやつを選んだ。
それなのに、どうしてこうなる。
俺には理由が分からなかった。
ただ、マーガリンの量や生地の混ぜ方が偶然うまく噛み合って、焼き上がりが絶妙な食感になったのかもしれない。
……いや。
そんなことを考えている場合じゃない。
俺の完璧な作戦が、開始数分で崩壊している。
「ちょっと待って、レン」
アイノが立ち上がった。
「私も食べていい?」
「ああ」
アイノは一枚手に取る。
そして、一口。
「……」
アイノも固まった。
「どうした?」
俺が聞くと、アイノはゆっくり俺を見る。
「レン」
「ん?」
「これ……美味しい」
「そうか」
「いや、そうかじゃないでしょ」
アイノはクッキーを見つめる。
「レン、全然ちゃんと作ってなかったよね?」
「まあな」
「材料も適当に選んでたし」
「ああ」
「なのに、なんでこんなに美味しいの?」
俺は答えられなかった。
タケオはその横で、すでに二枚目を食べている。
「レン、これもう一枚もらっていい?」
「好きにしろ」
「やった!」
俺はため息をついた。
そのとき、部室のドアが開いた。
「まだここにいたのか?」
聞き慣れた声がして、俺は振り返った。
そこにはミコとカイトが立っていた。
「何してるの?」
ミコが部室の中を覗く。
カイトが鼻を動かす。
「……なんか、すごくいい匂いがするな」
「本当だ」
ミコも匂いに気づいたらしい。
タケオがすぐに答えた。
「レンがクッキー作ったんだ!」
「レンが?」
カイトが少し驚いた顔をする。
「食べてもいい?」
「ああ」
カイトが一枚取る。
そして一口。
「……」
カイトの動きが止まった。
その隣で、ミコもクッキーを一枚手に取る。
「じゃあ、私も」
一口。
「……え?」
ミコの目が大きくなる。
カイトとミコは顔を見合わせた。
そして、二人とももう一度クッキーを見る。
「美味しい……」
ミコが呟く。
「ああ。かなり美味い」
カイトも頷いた。
俺は頭を抱えたくなった。
どうしてだ。
どうして俺が適当に作ったクッキーまで、こんなことになるんだ?
ミコが俺を見る。
「レン、本当にこれ自分で作ったの?」
「ああ」
「普通の材料だけで?」
「ああ」
カイトが笑う。
「レンって、もしかして何か隠してないか?」
「何も隠してない」
「そうか」
カイトはそう言って、またクッキーを一枚取った。
「じゃあ、運が良かったんだな」
「……たぶんな」
俺はそう答えた。
テーブルの上には、まだたくさんのクッキーが残っている。
俺の完璧なカモフラージュ作戦。
普通の高校生に見せるために、わざと適当に作ったクッキー。
結果は――
またしても大失敗だった。
……どうやら、料理だけは普通にできないらしい。




