第31話「恐怖の余韻と穏やかな日常」
昨日の旧校舎での「幽霊騒ぎ」のあと、俺は学校生活がまたいつもの静かな日常に戻ることを願っていた。
目立たない普通の生徒を演じることも、今まで通り問題なくできている。
それに、昨日のチョコチップクッキーも無事に守り抜き、夕食後のお茶と一緒に美味しくいただいた。
だが、翌朝の登校中。
俺は思いもよらないものを目にすることになった。
俺はいつものように廊下を歩きながら、教室へ向かっていた。
大休みになったら、バナナクリームの入ったクッキーでも買おうか。
そんなことをぼんやり考えていると、前方から見覚えのある二人組が歩いてきた。
昨日、サユリに連れられて俺を取り調べに行くとき、手伝っていたスポーツ委員会の大柄な男子たちだ。
二人は俺の姿を見つけた瞬間、ぴたりと足を止めた。
そして、みるみるうちに顔が青ざめていく。
俺に近づいてくるどころか、二人そろって壁に背中を押しつけた。
「来る……」
一人がリュックの肩紐を強く握りながら、小声で呟く。
「あの男だ……」
「おい、目を見るな!」
もう一人が慌てて床へ視線を落とした。
「呪われるぞ!」
俺はそんな二人の横を、何事もなかったかのように通り過ぎた。
……なんなんだ、あいつら?
俺は小さくため息をついた。
昨日、ほんの数秒だけ。
俺は自分の本当の力を表に出した。
俺にとっては、ほんの一瞬のことだった。
だが、彼らにとっては違ったらしい。
どうやら今では、何の変哲もない俺の背後に、何か恐ろしいものがいると思われているようだ。
教室に入ると、俺は自分の席に座った。
鞄から方眼紙のノートを取り出し、いつものページを開く。
これは俺だけの食べ物の評価や、料理についてのちょっとした研究を書き留めているノートだ。
周りを確認して、誰にも見られていないことを確かめる。
そして、俺は新しい記録を書き込んだ。
> 「昨日の百円ココアのテスト。
結果:完璧。十点満点で十点。
欠点:注目を集めすぎる。
次回はもう少し普通の味に調整する必要あり」
ノートを閉じ、鞄にしまう。
その隣では、アイノが必死に笑いをこらえていた。
どうやら、教室の開いた扉からさっきの光景を見ていたらしい。
机に突っ伏し、顔を腕に埋めながら肩を震わせている。
しばらくして、アイノが顔を上げた。
「レン……」
「ん?」
「さっきの二人の顔、見た?」
アイノはまた笑いそうになる。
「スポーツ委員会の人たち、今日のレンを見た瞬間、まるで化け物でも見たみたいに逃げてたよ!」
「そうか?」
「そうだよ。もう学校中で噂になってるんだから」
俺は鞄を閉じながら聞いた。
「どんな噂だ?」
「昨日、サユリ先輩が旧校舎で、レンに取り憑いてる怖い何かに遭遇したって!」
アイノは楽しそうに目を細める。
「しかも、サユリ先輩、今日の朝の委員会にも来なかったんだよ。体調が悪いって」
「なるほど」
俺は頬杖をつき、窓の外を見る。
考えてみれば、これはこれで都合がいい。
今まで俺たちのことに何かと口を出して、料理部の活動まで止めようとしていた生徒会が、今では俺たちの教室に近づこうともしない。
目立たない普通の生徒としての俺の立場が、いつの間にか――
「何かに呪われている普通の生徒」
になってしまったようだ。
完璧だ。
これでもう、誰も俺のクッキーに手を出さないだろう。
そう考えていたところで、突然、大きな音が教室に響いた。
教室の扉が勢いよく開く。
そこに立っていたのは、息を切らしたタケオだった。
片手にはスマホを握りしめ、目は妙に輝いている。
そして、そのまま俺の席へ一直線に向かってきた。
「レン! 友よ!」
タケオが勢いよく俺の机に両手をつく。
机の上に置いてあった鉛筆が跳ねた。
「俺、頼みがある!」
俺はゆっくりとタケオを見る。
「正確には……」
タケオが少し身を乗り出した。
「昨日、国語の先生が職員室で話してた、あの伝説のクッキーが欲しいんだ!」
アイノも興味深そうにタケオを見る。
「先生が言ってたんだ! お前の作ったお菓子は奇跡だって!」
タケオは両手を合わせた。
「頼む! 一個だけでいいから作ってくれ!」
俺は騒いでいるタケオを見て、それからアイノを見る。
料理部への新たな注目は、まったく予想していなかった方向からやってきたらしい。
俺はもう一度タケオに視線を戻し、静かに言った。
「考えておく」
タケオの動きが止まる。
「本当か!?」
「ただし、材料を無駄にするつもりはないからな」
「分かった!」
タケオはすぐに満面の笑みを浮かべた。
俺は小さくため息をついた。
どうやら、今日も静かな一日にはなりそうにない。




