第30話「古い教室の怖い噂」
俺は、使われなくなった古い教室の真ん中で、古びた木の椅子に座っていた。
そこへ俺を連れてきたのは、生徒会長のサユリと、運動部から来た二人の男子生徒だった。
俺は余計な注目を集めないため、そしてどこにでもいる普通の生徒として振る舞うため、黙って二人についてきた。
だが、今は状況が少し変わっていた。
サユリは、俺から取り上げたお気に入りのチョコレートクッキーを指先で弄んでいる。
一袋150円。
俺にとっては、放課後に楽しみにしている大切なお菓子だ。
それをサユリは、何やら「調査する」と言って持っていこうとしていた。
その瞬間だった。
教室の中の温度が、急激に下がった。
床の隙間や閉め切られた窓のあたりから、まるで冷気が流れ込んできたようだった。
俺は、本当に腹を立てていた。
普通の生徒を演じるために、くだらない質問に付き合うくらいなら我慢できる。
だが――
放課後のおやつまで生徒会に没収される。
それはさすがに許せなかった。
教室の空気が、重くなる。
サユリが突然、肩を震わせた。
あまりの寒さに指が震え、青い袋が手から滑り落ちる。
カサッ。
クッキーの袋が、埃っぽい床に落ちた。
「な、なんだよこれ……?」
運動部の男子の一人が、怯えたように周囲を見回した。
「なんで急にこんな寒くなったんだ? 息まで白くなってるぞ!」
日本の学校には、幽霊や呪い、使われなくなった教室にまつわる怖い噂がいくつもある。
この二人も、見た目こそ屈強な運動部員だが、実はかなりの怖がりだった。
今の俺から感じる異様な圧を、二人は無意識のうちに別の何かだと思い込んでいた。
「サユリさん……もう行きましょう」
もう一人の男子が、震えた声で言う。
「この古い校舎には、昔から呪いがあるって噂があります。これ……絶対、悪霊ですよ」
サユリも、さすがに平静ではいられなかった。
背中にぞくりと寒気が走る。
眼鏡も冷気で少し曇っていた。
教室にいた全員が壁際に寄り、暗い隅を恐る恐る見つめている。
そんな中、俺だけは冷静だった。
俺は椅子からゆっくりと身を乗り出し、床に落ちたクッキーの袋へ手を伸ばす。
そして、それを拾い上げた。
埃を丁寧に払い、俺は大切な戦利品をズボンのポケットへしまった。
それから、俺はすぐに周囲への圧を消した。
教室の温度も、元に戻っていく。
そして俺は、普通の怖がりな男子生徒を演じるため、少しだけ怯えた表情を浮かべた。
「えっ……みんなも感じたのか?」
俺は肩を抱くようにして、目を見開く。
「ここ、本当に幽霊がいるんじゃないか? 俺、幽霊とか無理なんだけど……。先生も、古い教室には長くいるなって言ってたし。呪われるかもしれないって……」
俺は立ち上がった。
「もう遅いし、俺は帰る!」
その言葉が最後の一押しになった。
二人の男子生徒は勢いよく振り返ると、教室から飛び出していった。
廊下では、すぐに走る足音が聞こえる。
サユリも、普段の生徒会長らしい余裕を完全に失っていた。
「ちょ、ちょっと待って!」
そう言いながら、二人の後を追って走り去っていく。
どうやら、俺への尋問も、ケントのことも、校則も、料理部への疑いも――全部忘れてしまったらしい。
俺はしばらくその場で待った。
やがて、廊下から聞こえていた足音も消える。
俺はゆっくり立ち上がり、制服を整えた。
普通の生徒としての俺の立場は、無事に守られた。
そして――
お気に入りのチョコレートクッキーも、無事に持ち主のもとへ戻ってきた。
俺はそのまま、何事もなかったかのように教室を出た。
今日は家に帰って、ゆっくりお茶でも飲もう。
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次の日の昼休み。
俺は料理部の部室へ向かった。
部室では、アイノが落ち着かない様子でエプロンの端を指で弄っていた。
俺が部屋に入った瞬間、アイノが立ち上がる。
「レン! やっと来た!」
アイノは心配そうに俺を見る。
「昨日、サユリが男の人たちと一緒にレンを連れて行ったから、ずっと心配してたんだよ! 生徒会って厳しいんでしょ? ケントのせいで料理部が廃部にされるかもしれないって思って……。何されたの? やっぱり尋問された?」
俺は何でもないように席へ向かい、椅子に座った。
そして鞄から弁当を取り出す。
「別に、大したことじゃない」
そう言いながら、弁当の蓋を開ける。
「古い校舎の使われてない教室に連れて行かれただけだ。サユリが、どうやって俺が勝負に勝ったのかとか、なんで料理部のクッキーがあんなに美味しいのかとか、色々聞いてきた」
「それで?」
アイノが身を乗り出す。
「何か変なものでも入れたんじゃないかって疑われた」
「何したの!?」
アイノが息を呑む。
「何もしてない。学校のレシピ通りに作ったって言った。でも信じてもらえなかった」
俺は箸で弁当のおかずを取る。
「それで、ポケットに入れてたクッキーまで取り上げられた。生徒会で調べるつもりだったらしい」
アイノは一瞬、言葉を失った。
「レンのクッキーを!? もう……。それで、どうやって出てきたの? 帰してもらえたの?」
「まあ、正確には違うな」
俺は焼き鳥を一口食べた。
「教室が急にものすごく寒くなったんだ」
「寒くなった?」
「ああ。冷たい風が吹いたみたいになってな。サユリの手が震えて、クッキーの袋を床に落とした」
「それで?」
「運動部の二人がものすごく怖がってた」
俺は淡々と話を続ける。
「古い校舎には昔から呪いがあるとか、悪霊がいるとか言い始めてな」
アイノが目を瞬かせる。
「幽霊……? 運動部の人たちが幽霊を怖がったの?」
「ああ」
俺は頷いた。
三百億年もの間、宇宙を支配していた頃の俺からすれば、地球の学生たちが感じた程度の圧など何でもない。
それなのに、こいつらは勝手に幽霊だと思い込んだらしい。
「二人とも急に逃げていった。サユリもかなり怖かったみたいで、そのまま後を追っていった」
俺は弁当を食べながら続ける。
「だから俺は、床に落ちたクッキーを拾って、ポケットに入れて帰った」
アイノは数秒間、黙って俺を見つめた。
そして、ため息をつきながら片手で顔を覆った。
「レン……本当に?」
「何が?」
「生徒会長と運動部の怖そうな人たちが、自分たちから始めた尋問を途中で放り出して、風と幽霊の噂に怯えて逃げたの?」
「ああ」
「それでレンは、ただクッキーを拾って帰ってきたの?」
「そうだけど」
アイノはしばらく何も言わなかった。
やがて、呆れたように首を横に振る。
「……なんでそんなに運がいいの?」
「さあな」
俺は何でもないように答えた。
「みんな、こういう都市伝説を簡単に信じるんだな」
そして、弁当を食べ終えた。
「まあ、一番大事なのはクッキーが無事だったことだ。それに、料理部のことも忘れたみたいだし」
俺は小さく頷く。
「これで、部が廃部になる心配もなさそうだ」
アイノは呆れたように俺を見る。
そして、もう一度小さく首を振った。
どうやらアイノは、俺のとんでもない幸運に呆れているらしい。
あとがき
気づけば、今回で三十話になりました。
二十話を書いたときも「ここまで来たんだな」と思いましたが、あれからさらに十話。
こうして三十話まで書き続けることができたのは、この物語を読んでくださっている皆さんのおかげです。
本当にありがとうございます。
最初は、三百億年もの間生き続けた「血の皇帝」が、普通の少年として新しい人生を始める。
そんな物語を書いてみたいと思ったところから始まりました。
今のレンは、まだ普通の生活を始めたばかりです。
学校へ行って、友達と話して、一緒に遊んで。
そんな何気ない毎日の中で、少しずつ新しいものを知っていく。
これからレンがどんなものを見て、何を感じていくのか。
そして、この先どんな出来事が待っているのか。
僕自身も楽しみながら、これからも書いていきたいと思います。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
これからも『永劫の守護者』をよろしくお願いします。
――EternalRen




