第28話「格の違いと奇跡のココア」
次の日の放課後。
俺とアイノは家庭科部の部室で、今週の予定について話していた。
アイノはノートを開き、俺は紅茶を飲みながら窓の外を眺めている。
静かだった。
こういう時間は嫌いじゃない。
そのとき――
バンッ!
突然、部室のドアが勢いよく開いた。
「ここが家庭科部か!」
俺とアイノは同時にドアを見る。
そこに立っていたのは、背の高い男子生徒だった。
真っ白な料理人の服を着ていて、少しの汚れもない。
その後ろには、二人の男子生徒が控えていた。
二人とも大きな荷物を抱えている。
俺は三人を見た。
……なんだ、これ。
男は部室の中を見渡した。
そして、古いコンロや調理台を見ると、鼻で笑った。
「なるほど。ここが噂の家庭科部か」
アイノが怪訝そうな顔をする。
「誰?」
男は胸を張った。
「俺はケント。この学校の伝統和食研究部の部長だ」
「伝統和食研究部?」
「ああ」
ケントは腕を組んだ。
「そして、今日はお前たちに現実を教えに来た」
「現実?」
「そうだ」
ケントは部室を見回した。
「大した設備もない。部員も少ない。まともな活動をしているようにも見えない」
「失礼じゃない?」
アイノが眉をひそめる。
「事実だろう」
ケントは平然と言った。
「こんな部活が学校に残っていること自体、恥ずかしい。いっそのこと廃部にして、その予算を我々に回すべきだ」
「なんでそうなるのよ!」
アイノが立ち上がった。
「私たちはちゃんと活動してる!」
「活動?」
ケントが笑う。
「たった二人でか?」
「二人で十分よ!」
アイノは俺を見る。
「ね、レン?」
「まあな」
「それに、レンは昨日すごくおいしいクッキーを作ったんだから!」
「クッキー?」
ケントが鼻で笑った。
「そんなものが料理だと?」
「……」
俺は黙って紅茶を飲んでいた。
「ただの焼き菓子だろう」
ケントは続ける。
「小麦と砂糖を使った、どこにでもある菓子だ」
そして、自信満々に言った。
「本物の料理とは、技術と伝統、そして芸術性を兼ね備えたものだ!」
「へえ」
「……なんだ、その反応は?」
「別に」
俺はカップを置いた。
ケントは少しだけ眉をひそめた。
「気に入らないな」
そして、突然こちらを指差した。
「ならば勝負だ!」
「勝負?」
アイノが首を傾げる。
「料理対決だ!」
ケントは堂々と言い放った。
「ここで互いに料理を作り、審査員に勝者を決めてもらう」
「もし私たちが勝ったら?」
「その場合は、我々が家庭科部を認めよう」
「じゃあ、そっちが負けたら?」
ケントは少し間を置いた。
「お前たちが自分から部活を廃止する」
「そんなの……!」
アイノが言い返そうとする。
だが、その前に俺が口を開いた。
「いいぞ」
「レン!?」
アイノが驚いて俺を見る。
「でも……」
「この部活がなくなるのは困る」
俺は椅子から立ち上がった。
「せっかく静かな場所を見つけたんだ」
「……レン」
ケントが満足そうに笑った。
「決まりだな」
---
「審査員を探してくる!」
アイノはそう言って、廊下へ飛び出していった。
数分後。
アイノは一人の先生を連れて戻ってきた。
「先生、この人ならいいですよね?」
「え? 何が?」
連れてこられたのは、俺たちの担任だった。
日本文学を担当している先生だ。
どうやら職員室へ戻る途中だったらしい。
先生は少し疲れた顔をしていた。
「今日は生徒の作文を大量に採点していてな……」
そう言って、肩を落とす。
「それで、何をすればいいんだ?」
アイノが説明する。
「料理対決の審査員をお願いします!」
「料理対決?」
「はい!」
先生は俺たちとケントを交互に見た。
それから、テーブルの上に並べられた材料を見る。
「……料理か」
少し考えたあと、先生は頷いた。
「まあ、ちょうど甘いものが欲しかったところだ」
「決まりですね!」
こうして、急遽料理対決が始まることになった。
制限時間は三十分。
テーマは――
お茶に合うデザート。
「では、始め!」
先生の合図と同時に、ケントが動き出した。
「行くぞ!」
「はい!」
「こちらです!」
後ろにいた二人の部員も素早く動く。
高そうな木箱が次々とテーブルに並べられた。
中から出てきたのは、特別に挽かれた米粉。
さらに、京都から取り寄せたという上質な小豆。
そして、飾りつけ用の金箔まである。
「すごい……」
アイノが思わず声を漏らした。
ケントは得意げに笑った。
「これが本物の料理だ」
そう言って、ケントは作業を始めた。
その動きは無駄がなく、妙に様になっている。
一方、俺は学校の共有棚へ向かった。
中に残っている材料を確認する。
小麦粉。
砂糖。
そして――
「ココアか」
俺は一袋のココアパウダーを手に取った。
値札を見る。
百円。
これでいいか。
そのとき、ケントがこちらを見た。
「おい」
「ん?」
「まさか、それを使うつもりか?」
「ああ」
「そんな安物で審査員に食べさせるつもりか?」
「そうだけど」
ケントは呆れたように首を振った。
「……どこまでも理解できない奴だな」
俺は何も答えなかった。
作るのは、俺が気に入っているチョコクッキーだ。
材料はシンプル。
だからこそ、余計なことはしない。
俺は小麦粉を量り、砂糖を用意した。
バターの状態を確認する。
そして、レシピをもう一度見る。
材料を混ぜる。
ゆっくり。
丁寧に。
生地の状態を見ながら、少しずつ材料を加えていく。
「レン、料理したことあるの?」
アイノが隣から覗き込んできた。
「少しだけ」
「少しだけ?」
「ああ」
俺は生地を混ぜ続けた。
「なんか、すごく真剣だね」
「料理は正確さが大事だからな」
「ただのクッキーだよ?」
「だからこそだ」
「何それ……」
アイノが小さく笑った。
俺は気にせず作業を続ける。
生地の硬さを確認する。
少しだけ調整する。
もう一度混ぜる。
今度はちょうどいい。
俺は生地を丸く整え、一つずつ天板に並べていく。
大きさもできるだけ揃える。
その様子を、アイノがじっと見ていた。
「……全部同じ大きさ」
「そうか?」
「うん。なんか、すごい」
「普通だろ」
「普通じゃないと思うけど……」
俺はオーブンに天板を入れた。
一方、ケントはというと――
「そこだ!」
「はい!」
「もっと丁寧に!」
「分かりました!」
こちらはまるで戦場だった。
ケントは真剣な表情で和菓子を仕上げていく。
細かな模様をつけるために、なんとピンセットまで使っている。
……そこまでやるのか。
俺は時計を見た。
残り時間は少ない。
しばらくして、部室に甘い香りが広がり始めた。
アイノが顔を上げる。
「……いい匂い」
俺はオーブンを確認した。
もう少し。
そして――
チンッ。
タイマーが鳴った。
「時間だ!」
先生が声を上げる。
俺はオーブンから天板を取り出した。
焼き上がったクッキーは、綺麗なきつね色になっていた。
形もほとんど揃っている。
ケントのほうを見る。
こちらは美しく整えられた和菓子が並んでいた。
見た目だけなら、完全に向こうの勝ちだ。
先生がテーブルにつく。
「では、いただこう」
まずはケントの和菓子。
先生は一つ手に取って、ゆっくり口に運んだ。
「……うん」
しばらく味わってから、頷く。
「これは素晴らしいな」
ケントが胸を張る。
「ありがとうございます」
「小豆の甘さと生地のバランスがいい。上品な味だ」
「当然です」
ケントは自信満々だった。
「これなら、どんな店に出しても恥ずかしくありません」
先生は頷いた。
「確かに。かなり完成度が高い」
ケントの顔がさらに明るくなる。
そして次に、先生は俺のクッキーを見た。
「次はこれか」
一枚手に取る。
「ずいぶんシンプルだな」
「そうだな」
先生はクッキーを一口かじった。
サクッ。
部室が静かになる。
先生の動きが止まった。
「……」
アイノが先生を見る。
ケントも黙っている。
先生はゆっくりとクッキーを食べ終えた。
そして、もう一度クッキーを見た。
「……レン」
「ん?」
「もう一枚もらえるか?」
俺は皿から一枚取って渡した。
先生はそれを食べる。
今度は少し早かった。
「……なるほど」
「どうですか?」
アイノが尋ねる。
先生はケントの和菓子を見る。
それから俺のクッキーを見る。
「ケント」
「はい」
「君の料理は本当に素晴らしい」
「ありがとうございます」
「技術も高い。材料もいい。見た目も美しい」
ケントは少し笑った。
「では――」
「だが」
先生はクッキーを手に取った。
「今回の勝者は、レンだ」
「……え?」
ケントの顔から笑みが消えた。
「なぜですか!?」
「単純な話だ」
先生はクッキーを見ながら言った。
「私はこっちをもう一枚食べたい」
「……」
ケントが固まる。
「私の和菓子よりですか?」
「ああ」
「しかし、こちらの材料は最高級で――」
「それは分かっている」
先生は頷いた。
「君の料理が悪いわけじゃない」
そしてクッキーをもう一口食べる。
「ただ、こっちのほうが好きなんだ」
ケントは完全に言葉を失った。
「そんな……」
「レン!」
アイノが突然、両手を叩いた。
「勝ったよ!」
「ああ」
「これで家庭科部はなくならない!」
「よかったな」
俺は残ったクッキーを皿ごと自分のほうへ寄せた。
ケントがそれを見つめる。
「……どうしてだ」
「ん?」
「どうして、そんな安い材料で俺に勝てるんだ?」
俺は少し考えた。
「普通に作っただけだけど」
「普通に……?」
「ああ」
ケントは頭を抱えた。
「そんなはずは……」
俺は残ったクッキーを一枚、手に取った。
まあ、ちゃんと作ればこんなものだろ。
そのとき、先生が口を開いた。
「レン」
「何?」
「これ、たまに職員室に持ってきてくれないか?」
「材料費を出してくれるなら」
先生は少し考えた。
「……分かった」
アイノが吹き出した。
俺は棚に残っていたココアの袋を見る。
値札は百円。
安いけど、これ結構いいな。
今度、もう一袋買っておこう。
こうして俺は、家庭科部を守ることができた。
そして――
百円のココアが、思った以上に使えることも分かった。




