第27話「料理部の独裁者」
最後の授業が終わる少し前、担任の先生が教卓に何枚もの用紙を置いた。
「じゃあ、もう一度言っておくぞ。今週中に、全員どこか一つの部活に入るように。これは学校の決まりだ。まだ決まってないやつは、この用紙を持って自分に合いそうな部活を探してくれ」
教室が一気に騒がしくなった。
サッカー部に入るやつ。
剣道部に入るやつ。
友達同士で、どの部活に入るか相談するやつ。
そんな中、俺は頬杖をついて小さくため息をついた。
部活か……。面倒だな。
三百億年もの間、銀河同盟や軍団を支配してきた俺が、今度は学校の部活に時間を使うのか?
ボールを追いかけるのも、将棋のルールを覚えるのも気が進まない。
俺が必要としているのは、もっと静かな場所だった。
人が少なくて、騒がしくなくて、ただ隅に座っていられるような部活。
できれば、好きなクッキーでも食べながら過ごせる場所がいい。
放課後、俺は校内の廊下をゆっくり歩きながら、各教室の前にある札を眺めていた。
三階、西棟。
そのあたりまで来たところで、ふと甘い香りが鼻をくすぐった。
バニラと、焼きたての砂糖のような香り。
俺は一枚のドアの前で足を止めた。
そこには、
『家庭科部』
と書かれていた。
料理か?
俺は少し考えた。
いい匂いだな。
ここなら静かそうだ。数人でお茶でも飲みながら、クッキーを焼いてるくらいだろう。
理想的だ。
俺はゆっくりとドアを開け、中へ入った。
部屋は思っていたより広かった。
いくつかの調理台が並び、その奥にはコンロやオーブンも設置されている。
だが、俺が予想していた光景とは少し違った。
調理台の前に、一人だけ立っていた。
それはアイノだった。
アイノはきちんとエプロンを身につけ、手には少しだけ小麦粉がついている。
「えっ、レン?」
アイノが驚いたように目を瞬かせた。
「どうしたの? こんなところで」
「よっ」
俺はいつも通り答えた。
「部活を探してる」
「もしかして、ここに入るの?」
「ああ。静かなところを探してた」
アイノは突然、胸を張った。
「それならちょうどいいよ! 私、ここの部長だから!」
「部長?」
「うん!」
そう言ったアイノだったが、すぐに少しだけ表情を曇らせた。
「まあ……今は私一人だけど」
「一人?」
「うん。先輩たちは卒業しちゃったし、新しく入ってくる人もいなくて……」
アイノは少し困ったように笑った。
「今週中にもう一人でも入ってくれないと、学校側に部活をなくされちゃうんだ」
俺は周りを見渡した。
廃部寸前の部活。
部員は一人。
騒がしくもない。
完璧だ。
「じゃあ、入る」
俺は記入した用紙をアイノに渡した。
「えっ、本当に?」
「ああ」
「そんな簡単に決めていいの?」
「別に問題ないだろ」
アイノは嬉しそうに笑った。
「やった! じゃあ、今日から家庭科部の仲間だね!」
そう言って、棚から予備のエプロンを取り出して俺に渡す。
「でも、ここでずっと何もしないのは禁止だからね」
「分かってる」
「じゃあ、さっそく入部テスト!」
「テスト?」
アイノが調理台を指差した。
そこには小麦粉、バター、砂糖などの材料が用意されていた。
「ちょうど今、簡単なクッキーを作ろうとしてたの」
アイノが笑う。
「レンも作ってみてよ。どれくらいできるか見てあげる!」
俺は材料を見た。
クッキー……?
その瞬間、俺の目に小さな光が宿った。
地球に来てから、俺が気に入ったものの一つ。
それがクッキーだった。
だったら――
中途半端なものを作るわけにはいかない。
俺は黙ってエプロンを身につけ、調理台の前に立った。
アイノにとっては、ただの簡単な料理だった。
だが俺にとっては違う。
三百億年という長い時間を生きてきた俺には、何事においても無駄な動きをしない習慣が染みついている。
俺は材料を一つずつ確認した。
小麦粉。
バターは常温。
室温も問題ない。
湿度も、この程度なら問題ないな。
俺はレシピを確認しながら、材料を量り始めた。
ほとんど迷うことなく、必要な量を正確に測っていく。
「レン、料理したことあるの?」
アイノが尋ねた。
「少しだけ」
「少しだけ?」
「ああ」
俺はバターと砂糖を混ぜ始めた。
余計な動きは一切ない。
混ぜる速度も一定。
生地の状態を確認しながら、次の材料を加えていく。
アイノはいつの間にか、俺の手元をじっと見ていた。
「……なんか、すごく真剣だね」
「料理は正確さが大事だからな」
「ただのクッキーだよ?」
「だからこそだ」
アイノが小さく笑った。
「何それ。職人みたい」
俺は気にせず、生地を伸ばしていく。
そして、同じ大きさになるように一枚ずつ形を整えた。
すべてを天板に並べる。
あとは焼くだけだ。
俺はオーブンの前に立った。
百八十度。
レシピに書かれている温度を確認する。
少し古いオーブンだったが、問題はない。
俺は設定を済ませ、天板を中へ入れた。
しばらくして、部屋の中に甘い香りが広がり始めた。
アイノが顔を上げる。
「……いい匂い」
俺は時計を確認した。
まだ少し早い。
あと少し。
そして――
チンッ。
タイマーの音が鳴った。
俺はオーブンを開け、天板を取り出した。
焼き上がったクッキーは、綺麗なきつね色をしていた。
形もほとんど揃っている。
アイノが近づいてくる。
「わあ……」
「普通だろ」
「いやいや、普通じゃないよ」
アイノはクッキーをじっと見つめた。
「レン、本当に初めて?」
「ああ」
「本当に?」
「本当だ」
アイノは半信半疑のまま、一枚手に取った。
少し冷ましてから、そっと口に運ぶ。
そして――
「……おいしい」
アイノの動きが止まった。
「すごくおいしい」
俺は少し意外に思った。
「そうか?」
「うん!」
アイノはもう一口食べる。
そして俺を見る。
「レン、どうやって作ったの?」
「レシピ通りに作っただけだ」
「それだけ?」
「ああ」
アイノは納得できないような顔をした。
「絶対何かあるでしょ」
「ない」
「隠し味は?」
「ない」
「本当に?」
「本当だ」
アイノはしばらく俺を見つめていた。
そして突然、俺の肩を掴んだ。
「じゃあ、どうしてこんなにおいしいの!?」
「知らない」
「レンって実は料理の天才なの!?」
「違う」
「絶対怪しい!」
俺は困ったようにアイノを見る。
俺はただ、普通にクッキーを作っただけだ。
入部して、静かに過ごしたかっただけなのに。
どうやら少し頑張りすぎたらしい。
俺は机の上に置いていた入部届を手に取った。
「それで、俺は入部できるのか?」
アイノはクッキーを食べながら、何度も頷いた。
「もちろん!」
「そうか」
俺は入部届をしまった。
これで静かな部活を見つけられた。
人も少ない。
騒がしくもない。
それに、クッキーまである。
悪くないな。
その隣では、アイノがまだクッキーを食べている。
どうやら俺の入部テストは、無事に合格したらしい。
こうして俺は――
家庭科部に入部することになった。




