第26話「教科書の嘘と本当の天才」
昨日の夜、俺は両親と普通に夕食を食べた。
そのあと、母さんに見つからないように、自分の部屋で買ってきたクッキーを一袋全部食べた。
おかげで気分はかなり良かった。
次の朝、暖かい日差しを浴びながら学校へ向かう。
三時間目は世界史だった。
先生は黒板の前に立ち、チョークを振りながら熱心に授業をしていた。
黒板には、ある皇帝の遠征ルートが矢印で描かれている。
「……そして、この偉大な皇帝は、天才的な攻撃戦術と完璧な戦略によって、圧倒的に有利だった敵軍を打ち破り、広大な領土を手に入れたのです!」
クラスメイトたちは、先生の話を真面目にノートへ書き写している。
「歴史家たちは、今でもこの戦いを古代の軍事史における最高傑作の一つと評価しています!」
俺は頬杖をつきながら、教科書に載っている「偉大な戦術家」の肖像画を眺めた。
そして、ため息をつきそうになる。
……何だよ、それ。
元・宇宙の支配者だった俺は、心の中で続ける。
あいつ、ただの馬鹿だったぞ。
誰も本当の勝因を知らないんだな。あいつは戦術なんて何一つ使ってない。
俺はあの時代のことをよく覚えている。
三百億年もの間、地球の文明が発展していく様子を眺めてきた俺には、本当の歴史が分かっていた。
あの夜、城を守っていた兵士の半分は酔いつぶれていた。
しかも「偉大な征服者」本人は霧の中で道に迷い、偶然開いていた城門の前に出た。
そして、そのまま中へ入った。
それだけだ。
それが、教科書に載っている「偉大な戦略」の正体だった。
もし俺の部下の将軍たちがこんな作戦を使ったら、出撃する前に存在ごと消されてるな。
俺は何事もなかったように、手の中のボールペンをくるくる回した。
「……こうして、この偉大な征服者は史上類を見ない天才として歴史に名を残したのです!」
先生が満足そうにチョークを置く。
「さて。それじゃあ、ちゃんと授業を聞いていたか確認しましょう」
先生が教室を見回す。
そして、最後列に目を向けた。
「レンくん!」
俺は考え事から引き戻された。
「窓の外の鳥のほうが気になるみたいだな。じゃあ答えてもらおう。この皇帝が勝利を収めた決め手は何だった?」
クラス中の視線が俺に集まる。
目立つのも嫌だし、先生と余計なことで言い争うつもりもない。
普通の十五歳の高校生として振る舞うなら、ここで正しい答えを出す必要がある。
俺は教科書の太字部分に目を走らせる。
そして席を立ち、落ち着いた声で答えた。
「夜の闇に紛れて山道から敵軍の側面へ回り込む奇襲を仕掛け、守備側の不意を突いて撤退させたことです」
学校で教えられている内容としては、それで正解だった。
先生は満足そうに頷いた。
「悪くないな、レンくん。次はもう少し自信を持って答えて、窓の外に気を取られないようにな。それでも、ちゃんと要点は理解できている。座っていいぞ」
「はい」
俺は静かに席へ戻った。
その直後、廊下から休み時間を知らせる鐘が鳴った。
教室が一気に騒がしくなる。
椅子を引く音。
机を動かす音。
生徒たちの話し声。
俺は心の中で小さく息を吐いた。
また、いつもの状態に戻った。
目立たない普通の生徒。
それで十分だ。
昼休みになると、校庭はいつも以上に賑やかだった。
俺が自動販売機のほうへ向かおうとすると、ミコ、タケオ、アイノがやって来た。
「レン、一緒にお昼食べない?」
ミコに聞かれ、俺は頷いた。
「ああ」
その途中、俺は自動販売機に寄って、クッキーをもう一袋買った。
俺たちは校庭の空いているテーブルを見つけ、そこで昼食を食べることにした。
俺は家から持ってきた弁当を取り出す。
白いご飯に、唐揚げが何個か。
それに、綺麗に巻かれた卵焼き。
三人の昼食も、それぞれ似たようなものだった。
タケオは焼きそばパンを勢いよく食べている。
ミコとアイノは、おにぎりを食べていた。
俺は弁当を食べながら、みんなの話を聞いていた。
そして、ポケットの中には新しく買ったクッキーが入っている。
出番を待っているところだ。
ミコとアイノが学校の噂について話していると、突然タケオが動きを止めた。
自分の焼きそばパンを見つめている。
「しまった!」
突然、頭を抱える。
「ソース買うの忘れた!」
まるで世界の終わりでも見たような顔をしていた。
「焼きそばにソースがないなんて……ただの乾いた炭水化物じゃないか! もう終わりだ!」
その様子を、俺は黙って見ていた。
三百億年の間に、星系が滅びるところだって見てきた。
それでも、今のタケオのほうがよっぽど悲壮な顔をしている。
「はい。余ってたからあげる」
ミコがバッグから小さな辛口ソースの袋を取り出し、タケオに渡した。
「救世主!」
タケオは嬉しそうに袋を受け取ると、端を歯でくわえて思い切り引っ張った。
しかし、袋は思った以上に丈夫だった。
「くっ……!」
さらに力を入れる。
顔が真っ赤になるほど引っ張っている。
俺は正面からその様子を見ていた。
そして、すぐに分かった。
……もう少しで破れるな。
そのままいけば、ソースが飛び散る。
俺の制服にもかかる。
ついでにポケットのクッキーまで犠牲になる可能性がある。
それは困る。
タケオの手を止めるわけにはいかない。
そんなことをしたら、余計に怪しまれる。
だから俺は、誰にも気づかれない程度に、ほんのわずかな力をソースの袋へ向けた。
その瞬間。
袋の切れ目が、ちょうどいいところで開いた。
「おっ!」
だが、タケオはまだ思い切り引っ張っていた。
「あれ?」
勢い余って、タケオの体が後ろへ傾く。
椅子がぐらりと揺れた。
「うわああっ!」
タケオはそのまま芝生の上へ倒れた。
そして――
焼きそばパンが空中へ飛んだ。
綺麗な弧を描いて、こちらへ飛んでくる。
俺は立ち上がらなかった。
ただ、空になった弁当箱を前に差し出す。
次の瞬間。
焼きそばパンが、ぽすっと弁当箱の中へ落ちた。
中の焼きそばも、一つもこぼれていない。
数秒間、静寂が訪れた。
ミコとアイノが驚いた顔で俺を見る。
最初に口を開いたのはアイノだった。
「タケオ、相変わらずだね……」
呆れたように首を振る。
それから俺を見る。
「でもレン、今のすごくない? どうやって捕まえたの?」
俺は地面から起き上がったタケオに、焼きそばパンの入った弁当箱を差し出した。
「たまたまだ」
「たまたま?」
「ああ。勝手にそこへ飛んできた」
タケオは焼きそばパンと俺を交互に見る。
「お前……すごいな」
俺は何も答えなかった。
ただ、誰にも気づかれないようにポケットを確認する。
クッキーは無事だった。
……危なかった。
もう少しで、制服についたソースの跡を母さんに説明するところだった。
今回も、普通の生徒としての俺の正体は守られた。
純粋な「運」のおかげで。




