第25話「壊された平穏と一枚のクッキー」
昨日の買い物で、俺は人生最大の発見をした。
どうやら、この星にはこんなものが存在していたらしい。
俺は静かな街の公園にある木製のベンチに座り、青い袋を大事そうに手に持っていた。
袋には、派手な文字でこう書かれている。
『プレミアムチョコチップクッキー――一枚の幸せ。150円』
かつて、その一言で銀河団すら消し去ることができた「血の皇帝」にとって、このクッキーは新たな至高の存在だった。
俺は最近、方眼ノートまで用意して、新しく見つけた「趣味」の研究結果を書き込んでいる。
食感、チョコチップの量、甘さ。
東京の菓子を食べ比べることが、地球での俺の一番の楽しみになっていた。
「9点……いや、10点でもいいな」
そう呟きながら、俺はもう一枚クッキーを口に入れた。
自然と目を閉じる。
「まさに傑作だ。これなら、皇帝の座を捨てた価値もある」
そして、最後の一枚に手を伸ばした。
その瞬間だった。
ベンチの周囲の空気が、一気に冷たくなった。
空間が、古い布のように軋む。
次の瞬間、夜の東京の一角に紫色の光が走った。
歪んだ空間の中から、巨大な人影が現れる。
漆黒の鎧。
その周囲には、星さえ焼き尽くすほどの力を秘めた「暗黒物質」が渦巻いていた。
そいつは、かつての俺の帝国で最高位にいた将軍の一人だった。
「見つけた……!」
地面を震わせるような声が響く。
「ついに見つけましたぞ、血の皇帝!」
近くの建物の窓まで震えた。
「なぜこのような場所にいるのです! こんな辺鄙な星で、そんな格好までして……!」
将軍は大声で叫ぶ。
「お戻りください! さもなくば、この星を灰に――」
そのとき。
将軍が放った力の波が、俺の座っていたベンチを揺らした。
手に持っていた袋が跳ねる。
そして――
最後の一枚。
一番楽しみにしていたクッキーが、俺の手から落ちた。
地面にぶつかり、小さな音を立てて砕ける。
公園が静まり返った。
俺はゆっくりと、自分の空っぽの手を見る。
そして、地面に散らばったクッキーの欠片へ視線を落とした。
「お前……」
俺の声は小さかった。
「は、はい……?」
「お前が……」
俺は顔を上げた。
「最後のクッキーを壊したのか?」
将軍の動きが止まった。
「そ、それが何か……!」
「150円だったんだぞ」
俺は静かに言った。
「しかも、最高に美味しかった」
その瞬間。
将軍の周囲を覆っていた暗黒物質が、突然小さく縮んだ。
そして、消えた。
「な……」
将軍の声が震える。
「皇帝の力が……」
俺は立ち上がった。
「お前のせいで、せっかくの休憩が台無しだ」
右手を軽く上げる。
そして、指を鳴らした。
パチン。
ガラスが割れるような音が響く。
次の瞬間、将軍の身体から凄まじい力が抜けていった。
宇宙を支配していたほどの力も、不死の力も、すべて消えていく。
黒い鎧さえ、ただの安っぽい金属のようになった。
「へ、陛下……お待ちください……!」
「もう帰れ」
俺はため息をついた。
「それと、他の連中にも伝えておけ」
俺は将軍を見た。
「俺の夕飯を邪魔するなってな」
「は、はい……!」
俺は軽く足を上げ、そのまま将軍を蹴った。
力を失った将軍の身体は、空高く飛んでいく。
雲を突き抜け、そのまま宇宙へ消えていった。
俺はもう一度ため息をつく。
さっきまでの異様な気配は、すぐに消えた。
俺は再びベンチに座り、ノートを取り出す。
そして、最後の記録を悲しそうに消した。
『馬鹿のせいで地面に落ちた。0点』
俺はノートを閉じ、家へ向かった。
歩きながら、頭の中ではさっきのことばかり考えていた。
あの馬鹿のせいでクッキーを一枚失った……。最悪だ。
それに、これからああいう連中が何度も来るようになるのか?
まったく……どうして俺を見つけたんだよ。
それが一番面倒だった。
あいつが俺を見つけられたということは、他の将軍や昔の敵だって、この東京を騒ぎの場所にする可能性がある。
せっかく力を隠して、普通の高校生として暮らしているのに。
次に誰かが菓子屋の近くでポータルなんて開いたら……
くだらない演説を始める前に送り返してやる。
そう心に決めた。
そのとき、俺は明るい店の前で足を止めた。
小さなコンビニだった。
「……そうだ」
俺は店内に入った。
そして、さっきと同じ青い袋を見つける。
チョコチップクッキー。
150円。
俺はすぐにレジへ向かい、財布から硬貨を出した。
店を出る。
新しいクッキーの袋を手に持って、俺は家へ向かって歩き始めた。
やっぱりクッキー最高だな!
昨日初めて食べたばかりなのに、もう完全にハマってしまった。
地球の人間は、とんでもないものを作り出したな……!
三百億年もの間、宇宙を支配してきた俺でさえ、こんなに完璧な食べ物には出会ったことがなかった。
俺は歩きながら、ポケットの中に手を入れる。
新しいクッキーの袋を、そっと撫でた。
さっきまでの宇宙規模の騒ぎなんて、今の俺にとってはどうでもいい。
今夜の楽しみは――
このクッキーだけだった。




