第11話「なぜ、助けたのか」
アイノとの会話のあと、レンはしばらく彼女の言葉が頭から離れなかった。
『あなたたち男は、みんな嘘つき。できるのは、それくらいでしょ』
どうして彼女がそこまで思っているのか、レンには分からなかった。
知ろうと思えば、いつでも知ることはできる。
レンの持つ全知の力なら、相手の過去を覗き、その人が何を経験してきたのかを知ることもできる。
だが、レンはそれをするつもりはなかった。
自分から話したくないと思っていることまで、勝手に心の中へ踏み込むのは違う。
だからレンは、ひとまずそのことを考えないことにした。
それから数日が過ぎた。
学校生活も、少しずついつもの日常へ戻っていった。
二人の武装した犯罪者を倒した謎の少年の話は、今でも時々生徒たちの間で話題になっていた。
けれど、最初ほどの騒ぎではない。
少しずつ、みんなの興味も薄れてきているようだった。
レンにとっては、それが何よりありがたかった。
あの少年に興味を持つ人が減れば減るほど、平穏な日常を守りやすくなる。
学校では相変わらず、目立たないように過ごしていた。
授業ではわざと簡単な問題を間違えたり、体育では力や速さを抑えたり。
空いた時間も、他の生徒たちと変わらない普通の学生として過ごしていた。
アイノと顔を合わせることもあった。
廊下で。
階段で。
教室で。
けれど、あの会話以来、レンから話しかけることはなくなった。
そのほうがいいと思っていた。
アイノも、特に何かを言ってくることはなかった。
ただ、ときどき彼女の視線が自分に向いていることには気づいていた。
それでも、レンは特に気にしていなかった。
その日の授業は、いつもより少し早く終わった。
レンは学校を出ると、ゆっくりと家へ向かって歩き始めた。
天気は良かった。
空は少しずつ夕暮れ色に染まり、街を歩く人もだんだん少なくなっている。
レンは、家に帰ったら少し本でも読もうかと考えていた。
そのときだった。
小さな路地のほうから、声が聞こえてきた。
「おい、待てよ」
「ちょっと話したいだけだって」
「そんなに急がなくてもいいだろ?」
レンは足を止めた。
そして、路地の中へ視線を向ける。
そこにいたのは、アイノだった。
その前には、四人の男子生徒が立っている。
彼女を囲むようにして、逃げ道を塞いでいた。
その表情や笑い方を見れば、まともな話ではないことくらいすぐに分かる。
アイノは明らかに苛立っていた。
「もう話したくないって言ったでしょ」
そう言って横を通り抜けようとする。
しかし、一人の男子が再び彼女の前へ立ちはだかった。
「そんな冷たくするなよ」
別の男子が笑う。
「俺たちはちょっと一緒にいたいだけだって」
「どいて」
アイノが睨みつける。
「嫌だね」
アイノが眉をひそめた。
その光景を、レンはしばらく黙って見ていた。
このまま通り過ぎることもできる。
何も見なかったことにすることだってできる。
けれど――なぜか、そうする気にはなれなかった。
レンはゆっくりと路地へ入っていく。
最初に彼の存在に気づいたのは、一人の男子だった。
「……あ?」
他の三人も振り返る。
「お前、誰だ?」
レンは答えなかった。
ただ、彼らを見つめる。
数秒間、誰も何も言わなかった。
そして――
レンが突然、前へ踏み出した。
最初の男子は、何が起きたのか理解する暇すらなかった。
レンはその服を掴むと、そのまま横へ放り投げた。
「うわっ……!」
二人目がすぐに殴りかかってくる。
レンはそれをかわし、腕を取ると、そのまま地面へ叩き落とした。
三人目も勢いよく向かってくる。
レンは身体をひねり、その男を壁際へ吹き飛ばした。
最後の一人だけが、その場で固まっていた。
レンが彼を見る。
男の顔から血の気が引いていく。
一歩、後ずさる。
だが、もう遅かった。
レンは一瞬でその男の前まで距離を詰めた。
数秒後。
四人全員が、路地の地面に倒れていた。
レンは無言のまま彼らを見下ろす。
そして――
アイノへ視線を向けた。
アイノはその場から動けず、目の前で起きたことを理解しきれない様子でレンを見つめていた。
レンは何も言わなかった。
ただ、身体を反転させる。
そして、そのまま歩き去っていった。
アイノは、しばらくその背中を見つめていた。
何も言えなかった。
礼を言うことも。
名前を聞くことも。
彼が誰なのか尋ねることさえできなかった。
ただ現れて。
何も言わずに助けて。
そして、何も言わずに去っていった。
アイノはゆっくりと視線を落とした。
まだ心臓が少し速く鼓動している。
怖かったからではない。
むしろ、戸惑っていた。
どうしてなのか、分からなかった。
どうして彼は助けたのか。
どうして何も言わなかったのか。
どうして、助けたあとに自分へ何も求めなかったのか。
頭の中に、以前のレンとの会話が蘇る。
『俺は、そういう質問で人の心に踏み込むのは好きじゃない』
あのときは、ただの嘘だと思っていた。
けれど今は――
本当にそうなのかもしれない。
アイノは初めて、自分がこれまで信じてきたものに疑問を抱いた。
一方その頃。
レンはすでに路地を抜け、何事もなかったかのように家へ向かっていた。
彼にとって、さっきの出来事はそれほど大きなことではなかった。
数分も経てば、もうほとんど頭から消えていた。
*帰ったら、あの本の続きを読もう。*
レンは夕暮れの空を見上げる。
そしてまた、いつもの日常へと意識を戻していった。
自分が一人の少女の中に、初めて小さな疑問を残したことにも気づかないまま――。




