↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/71

第9話「普通の夜」

試合は引き分けに終わった。


レンにとって、思っていた以上に楽しい時間だった。


最初はサッカーのことなどほとんど何も分からなかった。


だが、周りの選手たちの動きを観察しているうちに、少しずつ試合の流れが分かるようになっていった。


どこへ動けばいいのか。


いつパスを受ければいいのか。


いつボールを出すべきなのか。


いつ下がるべきなのか。


まだ初心者ではある。


それでも試合が終わる頃には、レンもそれなりにフィールドを走れるようになっていた。


もちろん、本来の身体能力は意図的に抑えている。


周囲から見れば、ただ運動神経のいい初心者。


それくらいに見えていれば十分だった。


試合が終わると、チームのメンバーたちは次々と帰り始めた。


レンもタケオと一緒に運動場を後にする。


「いやー、いい試合だったな!」


タケオが笑いながら言った。


「レン、お前すげえよ」


「僕が?」


「そうだよ!」


タケオはレンの肩を軽く叩いた。


「初めてだろ? しかも何の練習もしてないのに、普通に動けてたじゃん」


「……たまたまだよ」


「またそれかよ」


タケオは呆れたように笑った。


「お前、本当に何でも運が良かったで済ませるよな」


レンも苦笑する。


やがて二人は、別々の道へ分かれる交差点までやってきた。


すると、タケオが突然足を止めた。


「そうだ、レン」


「ん?」


「お前の電話番号、教えてくれよ」


「電話番号?」


「次に試合するとき、誘いたいんだよ」


タケオはスマートフォンを取り出した。


「ほら、番号」


「分かった」


レンは自分の番号を伝えた。


数秒後。


レンのスマートフォンが振動する。


「よし、登録完了!」


タケオは満足そうに頷いた。


「今日はいい夜だった。ありがとな!」


「こっちこそ」


「じゃあ、またな!」


「うん。またね」


タケオは自分の家へ向かって歩き出した。


レンも反対方向へ歩き始める。


ここからは、一人だった。


歩きながら、レンは今日一日のことを思い返していた。


学校。


タケオとの会話。


サッカー。


新しい仲間たち。


どれも特別なことではない。


ただの高校生なら、きっと何気なく過ごすような一日だ。


けれど――


レンにとっては違った。


三百億年にも及ぶ長い時間の中で、こんな時間を過ごしたことはほとんどなかった。


世界を支配することもない。


文明の命運を背負うこともない。


神々と戦うこともない。


ただ、同年代の少年たちと一緒にサッカーをする。


それだけ。


なのに――


「……楽しかったな」


レンは小さく呟いた。


そして、ほんの少しだけ笑った。


『こんなに楽しい時間を過ごしたのは……いつ以来だろう』


そのまま歩き続ける。


だが、しばらくすると周囲の明かりが少なくなってきた。


人通りもほとんどない。


街灯もまばらだった。


レンは、もう少し明るい道へ出ようとした。


その時だった。


「全部出せ!」


「財布! バッグもだ!」


近くの細い路地から、怒鳴り声が聞こえてきた。


レンは足を止める。


聞き間違いではない。


何か良くないことが起きている。


レンは静かに路地の角から中を覗いた。


そこには一人の女性と、二人の男がいた。


男たちは女性を取り囲んでいる。


そして――


二人とも銃を持っていた。


「お願い……」


女性の声が震えている。


「早くしろ!」


レンは数秒間、その光景を見つめた。


このまま立ち去ることもできる。


自分には関係のないことだ。


そう考えることもできた。


けれど――


『……僕が今ここを離れたら、どうなる?』


レンは小さく息を吐いた。


やはり、見捨てることはできなかった。


レンはフードを被り直し、路地へと歩み出した。


「おい!」


一人の男がレンに気づいた。


「お前、誰だ?」


男はすぐに銃口をレンへ向けた。


「手を上げろ!」


レンは立ち止まった。


だが、手を上げることはしなかった。


「聞こえなかったのか? 手を上げろ!」


レンは銃ではなく、男の目を見た。


「……その人から離れてください」


男が一瞬、呆気に取られる。


「は?」


「女性から離れてください」


「お前……舐めてんのか?」


男の声が低くなる。


「もう一度言う。手を上げろ」


レンは答えない。


「撃つぞ!」


それでも、レンは動かなかった。


次の瞬間――


パンッ!


乾いた銃声が夜の路地に響き渡った。


普通の人間なら、何が起きたのか理解することすらできない。


だが、レンにとっては違った。


世界が、ゆっくりと動き始める。


飛んでくる弾丸。


その軌道。


速度。


そして、弾丸が到達する場所。


すべてが明確に見えていた。


レンは、ほんの少し身体を横へずらした。


弾丸はレンの横を通り過ぎ、壁へと突き刺さった。


「……は?」


男の顔が固まる。


レンは何も言わない。


「ま、まぐれだ……!」


男はもう一度引き金を引いた。


パンッ!


また一発。


レンは再び身体を動かす。


弾丸は空を切った。


「な、なんだよ……!」


三発目。


また外れる。


男の顔から余裕が消えていく。


「お前……何なんだよ!?」


レンは静かに男を見つめた。


『……本気で僕を殺すつもりなのか』


そう理解した瞬間。


レンは待つことをやめた。


一瞬で距離を詰める。


男の目には、レンが消えたように見えた。


次の瞬間。


ドッ!


レンの拳が男の身体に入った。


だが、直前で力を大きく抑えた。


それでも男は意識を失い、その場に崩れ落ちた。


もう一人の男が慌てて銃を持ち上げる。


しかし――


遅い。


レンはすでに目の前にいた。


「なっ――」


短い一撃。


男の身体が数メートル吹き飛び、地面に転がった。


こちらも意識を失う。


レンは二人を見下ろした。


そして、わずかに眉を寄せる。


『……少し強すぎたか』


三百億年もの間、レンは自分の力を使い続けてきた。


その力は、人間が扱える範囲を遥かに超えている。


だからこそ、今のレンには別の技術が必要だった。


力を使うことではない。


――力を抑えること。


レンは小さく息を吐いた。


「……まだ慣れないな」


そして、女性のほうへ歩いていく。


地面には、奪われたバッグと財布が落ちていた。


レンはそれを拾い上げ、女性へ差し出した。


「どうぞ」


女性は震える手で受け取った。


「……あ、ありがとう……ございます」


まだ状況を理解しきれていないのか、女性の顔には恐怖が残っていた。


レンはそんな彼女に、できるだけ優しい声で言った。


「暗い路地を近道に使うのは、やめたほうがいいですよ」


「え……?」


「五分や十分くらいなら、遠回りしてでも明るい道を歩いたほうがいいです」


レンは小さく微笑んだ。


「そのほうが安全ですから」


女性はしばらくレンを見つめていた。


そして、おずおずと尋ねる。


「あなたは……誰なんですか?」


レンは少しだけ視線を逸らした。


自分のことを知られる必要はない。


「……早く帰ってください」


「え?」


「家に帰れば、それで大丈夫です」


女性は戸惑いながらも頷いた。


「……はい」


そして何度か後ろを振り返りながら、明るい大通りへと急いで向かっていった。


やがて、その姿は人混みの中へ消えていく。


レンは一人、路地に残った。


足元には、意識を失った二人の男。


レンは二人を見つめた。


『警察を呼んだほうがいいな』


その辺に落ちていたロープのようなものを見つけると、レンは二人の男を縛った。


そして、男たちが持っていた銃を回収する。


これで、目を覚ましたとしても簡単には使えない。


レンはスマートフォンを取り出し、警察へ通報した。


事件の場所を伝える。


そして、電話を切った。


遠くからサイレンの音が聞こえてくる。


レンは空を見上げた。


『……今日はもう十分だな』


そう思いながら、レンはその場を後にした。


再び家へ向かって歩き始める。


だが、今度は先ほどまでとは違った。


レンの頭の中には、先ほどの光景が残っていた。


暗い路地。


怯えた女性。


銃を持った二人の男。


レンは夜の街を眺める。


窓から漏れる明かり。


道路を走る車。


家へ帰る人々。


どこにでもある、普通の夜。


レンは静かに呟いた。


『この世界は……本当に美しい』


しかし――


すぐに、先ほどの光景が脳裏に浮かぶ。


『……でも』


レンは少しだけ目を伏せた。


『あんな人間たちがいるせいで……』


レンは歩きながら考える。


この世界は完璧ではない。


どれだけ平和に見えても、誰かを傷つける人間は存在する。


自分が三百億年生きてきた中で、そういう光景は何度も見てきた。


欲望によって滅びた文明。


争いによって消えた国。


ただ自分がそうしたいという理由だけで、他者を傷つける人々。


レンは、もう何も感じないと思っていた。


長すぎる人生の中で、あらゆるものを見てきた。


それでも――


今日、初めて思った。


『……見ているだけじゃ、駄目なのかもしれない』


もちろん、すべてを救うつもりなどない。


世界を変えるつもりもない。


ましてや、昔のように神の力を振るうつもりもない。


ただ――


目の前で誰かが助けを求めているなら。


手を差し伸べるくらいは、してもいいのかもしれない。


レンは前を向いた。


『……これが、普通の人間として生きるってことなのかな』


そう考えながら、レンは家へと歩き続けた。


しばらくして、ようやく家が見えてきた。


家の中は、もう静かだった。


レンはそっと玄関を開ける。


誰も起こさないように静かに階段を上がり、自分の部屋へ入った。


バッグを置く。


制服を着替える。


そして、そのままベッドへ倒れ込んだ。


今日は色々なことがあった。


新しい学校。


タケオ。


サッカー。


リキオ。


そして――


あの二人の強盗。


レンは目を閉じる。


『……疲れたな』


そのまま、すぐに眠りへ落ちていった。


まだレンは知らない。


今日の出来事が――


彼の異常な力を、普通の人間たちの目に触れさせる最初の出来事になることを。


そして。


この夜を境に、レンの日常は少しずつ変わり始めていくことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。