9.決意の炎
出来る限りの準備は、整えたつもりだ。
ダンジョンへ入った正木と井上、孝太と私の手にはそれぞれ剣が握られていて、胸元には大振りの宝石が揺れている。
カランコエの生えていた場所を掘り返した際に現れたネックレスで、その効果はダメージを三回だけ無効にすると言うもの。それを明らかにするために、少しばかりの熱血が必要だった。
「正木さん、本当にいいんすね?」
「もちろんさ、孝太君。まぁ、こちらもただでは殴られないけどね」
ファイティングポーズを取る二人は、共に同じネックレスをぶら下げている。花言葉から、その効果は推定されたものの、詳しく把握できていなければ、とてもじゃないけど実践では使用できない。
だからこうして、レクリエーション的にボクシングをして確かめようというのだ。
正木は高校時代にボクシング部だったそうだけど、孝太に関しては運動部になんか入っていない。武道なんて、中学時代に授業で剣道を習った程度だった。
おそらく、正木が流れをリードして、その能力を確かめるのだろう。
見様見真似のステップを刻みながら、孝太がじわりじわりと説明んしていく。その姿は、注意深い猫のようだ。前後のステップ、すり足気味の横移動。徐々に迫る様子を、正木は口元を緩めて見守っていた。
「シャッ!」
リーチに入った。胸の前に畳まれた孝太の左腕は、真っすぐに顔面を捉えている。ガードはしていない。受けるつもりだ。そのまま吸い込まれると、思いきや……。
「おっ!」
真っ先に驚きの声を上げたのは、それを間近に目撃した正木だった。
蜃気楼のように、拳と顔面の間が揺れている。
拳は顔面に届かない。
ピタリと止まったまま、何かに阻まれるように。
「なんのっ!」
腕を引き、もう一度拳が迫る。再び空間が歪む。二度あることは三度ある。三度目も謎の人物歪みによって阻まれた。
そこで、孝太は一歩引いてしまった。
「そこで退いちゃあ、いけないなっ!」
正木のジャブの三連打に、孝太はガードを上げる。その隙を逃すような、ボクシング経験者はいないだろう。
「ぐっ!?」
ボディに右の拳が突き刺さる。鋭いながらも力はそれほど入っていなかったようで、軽く俯く程度のダメージしか受けていないようだ。
「三回までだな。ダメージを無効化するのは」
「くっ、そ。ビビった! 悔しい!」
「いや、なかなか動けているよ。用心するのは、まぁ、時には必要かな」
「これ見よがしに煽っている! この悔しさ、あの犬っころにぶつけるからなっ!」
二人の暑苦しい戦いを、私と井上はレジャーシートに座って眺めていた。
「男の人って、ああ言うのが好きですよね」
「神郷さんは苦手?」
「うーん……」
漫画は読む。アニメも観る。けれど、実際にスポーツを観戦したことはなくて。大晦日によく中継しているのは、新聞の番組欄で知っていたけれど、今までチャンネルを合わせることもしなかった。
「ちょっと良いかな、って思いました」
「でも、実際にボクシングの試合を観てみると、あれは凄いですよ? 中継ではなく、会場で、です。こう、音が。重いんです」
「うわぁ、怖くなってきたかも」
私たちも、これからそういう戦いもしなくちゃならないかもしれない。そう思うと、少し身が縮こまる思いに駆られてしまう。
でも、それではいけないことなのだ。このダンジョンと契約しているのは、私なんだもの。私はけして、逃げてはいけない。逃げたくない。この負けず嫌いは、やはり母親譲りなのだろうか。
俯いた私の目に、赤黒い刀身の剣が目に入った。
(復讐、か)
違う、と感じた。頭を過る思いのなかに、確かに両親の無念を晴らしたい、と言うものはある。けれど、私がこうしてここに立っている原動力は、それとは全くの、別種のものだと感じる。
それは、もっと幼くて、未成熟で、それでいて、どこまでも先へ進める感情。
未知なるものに触れるワクワク。未知なる場所に踏み込むドキドキ。
胸が高鳴る。じっとしていられない。痛い目を見たのに、私はまるで懲りていない。でも、今度は焦りや我が儘なんてものじゃない。
(お祖母様、ごめんなさい。私は少し、はしたない姿を見せてしまいます)
心の中で、そう謝っておいた。
「孝太! 悪いけど彼奴、私の獲物だから」
「お、仕返し? だったら仕方ないかぁ。でも、次は俺だからな?」
「次があれば、ね」
私は立ち上がる。
「神郷さん、大丈夫?」
「うん。むしろワクワクしてる」
心配そうな井上に、私は笑顔で頷いた。今すぐにでも駆け出したい気分だ。剣を持つ手が、何だか温かい。まるで早く振るえと訴えているよう。
この熱に溺れてはいけない、と冷静な自分が語りかける。思い切って身を任せろと、純粋な私が叫んでいる。
今は、このまま行こう。この感触を確かめてみよう。
「セイナちゃん。これをきちんと、糧にするんだよ」
「うん。解ってる」
正木のその忠告は、しっかりと耳に届いている。ここはダンジョンだ。魔境なんだ。試練だという言葉は、しっかりと憶えている。
私は駆け出していた。この想いをぶつけるのは、これで最後。最初で最後だから、今は思いっきり。
狼のような化け物は、唸り声をあげて身構えている。しっかりと危険を把握しているようで、けれど臆病になることもなく。四肢を滾らせて私に爪を突き立てようとする。
空間が歪む。
私は剣を振るい上げた。
頭の中に声が響く。
何かが私に、叫ばさせようとしている。
(お祖父様、素敵なプレゼントをありがとうっ!)
剣から溢れ出した赤黒い炎は、私を巻き込んで立ち昇る。天まで昇るそれを、私は叫びと共に振り下ろすっ!
「ウルフズ――、ベインッ!」
炎は敵を包み込む。私の苛烈な思いが溢れ出したかのように、止まることなく前方直線を駆け巡っていく。
化け物は、まるで電波の届かなくなったテレビのように、モザイク状に歪み、乱れ、消えていった。
お父様、お母様。もしも二人の魂がまだ、此処を彷徨っているのなら。どうか、見守っていてください。大層なことを言ってしまうと……、最後の項まで連れて行くからっ!




